昨日の続きです。
ホンダの祖業をご存知?ホンダは自転車に外販のガソリンエンジンを付けるキットを、戦後まもなくして売り出しました。これが「原動機付き自転車」です。このガソリンエンジンは自社製ではなくて、大東亜戦争中に日本軍が無線機用の発電機として使用していたもの。この原チャリが結構売れたようです。ホンダは次の手として自社製のエンジンを載せて売り出しました。この原チャリをホンダA型と言います。写真のものがそれ。50cc2サイクルエンジンでした。幼児の頃、私はこれのお古を見たことが
あります。普通の平地では、ペダルで走り、坂道上りになると乗ったままエンジンをペダルで始動し、その動力(ガソリンエンジン)を補助として使って上って行きました。車体はこの色ではなくて、黒でした。当時、自転車はちょっとした荷物の運搬に使われるものでした。たいていは、店、問屋、工場などの配送のために使われていましたので、後ろの荷台に大きな荷物がくくりつけられていました。今流に言えば、人間の馬力とガソリンエンジンのハイブリッドですね。ただ、幼児だった私が見たものが、本当にホンダ製であったかどうかはよくわかりませんね。当時は似た製品が多くの会社から売り出されていました。スズキ、カワサキもその一群にいたはずだと想像します。
余計なハナシを。WWIIの後、日本では3輪トラックというものがあったのはご存知?マツダの前
身である東洋工業の得意なセグメントでした。荷物を積むためには4輪にするメリットは大きいのですが、前輪の舵を動かすための部品(タイロッド、ラック&ピニオンなど)を設計、製造する技術がなかったために、大きなバーハンドル(バイクのハンドル)を運転席に付けて、前輪1個をダイレクトに操作して方向をコントロールしていました。その後、東洋工業は4輪に進化させました。写真の緑色のものはマツダの3輪トラックですが、ハンドルが円形になっていますので、オリジナルのバーハンドル型ではありません。
ホンダA型つまり原チャリがホンダの祖業というわけです。キモはエンジンです。それを捨てて、EVに邁進する・・・それは大きな間違いだったのです。テスラという会社の立ち上がり時期に起こったトラブルのひとつは、車体にドアを取り付けることができなかったこと。これはこれで解説を要する事柄ですが、要するに現場をまったく知らない人々(エンジニア、経営陣)が設計していたということです。欧米の会社あるある、ですね。ドアを取り付けられないので、工場のヤードにはドアなしのテスラ車がズラーッと並んでいました。そんなクルマがアーリーマジョリティの心をわしづかみできるものでしょうか。無理でしょう。今から70年前のガソリンエンジン3輪トラックと10年位前の製造ラインから出てくるドアなし未完成のテスラEV、どちらが技術的に劣っていたのでしょうか。無理のある比較ですが、少なくともアーリーマジョリティの頭には、納車後のトラブルのひとつとして、ドアの故障が浮かび上がったはず。「俺はひょっとすると助手席側ドアから乗り降りすることになるのかよ・・・」これではたいした台数はさばけないでしょう。
若者のために、逆の例を。昔、マスタン(ムスタング)というアメ車が売れに売れた時代がありました。フォード社のクルマ。これは練りに練られた努力の結晶でした。上述のマーケティング理論の5つの客層が全部欲しがるような魅力に溢れたクルマでした。爆発的ヒットでした。(トヨタもマスタンのコピー車を日本で売っていましたね。セリカという名前で結構売れました。)なぜそんな現象が?WWIIの後のアメリカの空前絶後の好景気の中で、努力をしなくても、クルマが飛ぶように売れていました。どの会社もガラクタな新車をつくれば、客が奪うようにして買っていった時代でした。そんな時代に、基本に忠実なマーケティングを展開して完全なスクラッチで生産されたのがマスタンでした。
ホンダはEVに集中、ガソリンエンジンを捨てて、EVに邁進、と決めた三部氏。取締役会をどのようにまとめたのでしょう?取締役会はだんまり?その後は工場(たしか栃木県の大きな工場)を閉鎖し、従業員を基本的には解雇。累計2兆円になるはずの赤字を生んだそのdecision-makingの旗振り役の三部氏。ホンダの取締役会は辞任を勧告しないのでしょうか。ちょっとした見物ですね。なお、彼は英語を話さないのかも知れません。三部敏宏氏の英語 (アーカイブ)
ホンダの祖業をご存知?ホンダは自転車に外販のガソリンエンジンを付けるキットを、戦後まもなくして売り出しました。これが「原動機付き自転車」です。このガソリンエンジンは自社製ではなくて、大東亜戦争中に日本軍が無線機用の発電機として使用していたもの。この原チャリが結構売れたようです。ホンダは次の手として自社製のエンジンを載せて売り出しました。この原チャリをホンダA型と言います。写真のものがそれ。50cc2サイクルエンジンでした。幼児の頃、私はこれのお古を見たことが
あります。普通の平地では、ペダルで走り、坂道上りになると乗ったままエンジンをペダルで始動し、その動力(ガソリンエンジン)を補助として使って上って行きました。車体はこの色ではなくて、黒でした。当時、自転車はちょっとした荷物の運搬に使われるものでした。たいていは、店、問屋、工場などの配送のために使われていましたので、後ろの荷台に大きな荷物がくくりつけられていました。今流に言えば、人間の馬力とガソリンエンジンのハイブリッドですね。ただ、幼児だった私が見たものが、本当にホンダ製であったかどうかはよくわかりませんね。当時は似た製品が多くの会社から売り出されていました。スズキ、カワサキもその一群にいたはずだと想像します。余計なハナシを。WWIIの後、日本では3輪トラックというものがあったのはご存知?マツダの前
身である東洋工業の得意なセグメントでした。荷物を積むためには4輪にするメリットは大きいのですが、前輪の舵を動かすための部品(タイロッド、ラック&ピニオンなど)を設計、製造する技術がなかったために、大きなバーハンドル(バイクのハンドル)を運転席に付けて、前輪1個をダイレクトに操作して方向をコントロールしていました。その後、東洋工業は4輪に進化させました。写真の緑色のものはマツダの3輪トラックですが、ハンドルが円形になっていますので、オリジナルのバーハンドル型ではありません。ホンダA型つまり原チャリがホンダの祖業というわけです。キモはエンジンです。それを捨てて、EVに邁進する・・・それは大きな間違いだったのです。テスラという会社の立ち上がり時期に起こったトラブルのひとつは、車体にドアを取り付けることができなかったこと。これはこれで解説を要する事柄ですが、要するに現場をまったく知らない人々(エンジニア、経営陣)が設計していたということです。欧米の会社あるある、ですね。ドアを取り付けられないので、工場のヤードにはドアなしのテスラ車がズラーッと並んでいました。そんなクルマがアーリーマジョリティの心をわしづかみできるものでしょうか。無理でしょう。今から70年前のガソリンエンジン3輪トラックと10年位前の製造ラインから出てくるドアなし未完成のテスラEV、どちらが技術的に劣っていたのでしょうか。無理のある比較ですが、少なくともアーリーマジョリティの頭には、納車後のトラブルのひとつとして、ドアの故障が浮かび上がったはず。「俺はひょっとすると助手席側ドアから乗り降りすることになるのかよ・・・」これではたいした台数はさばけないでしょう。
若者のために、逆の例を。昔、マスタン(ムスタング)というアメ車が売れに売れた時代がありました。フォード社のクルマ。これは練りに練られた努力の結晶でした。上述のマーケティング理論の5つの客層が全部欲しがるような魅力に溢れたクルマでした。爆発的ヒットでした。(トヨタもマスタンのコピー車を日本で売っていましたね。セリカという名前で結構売れました。)なぜそんな現象が?WWIIの後のアメリカの空前絶後の好景気の中で、努力をしなくても、クルマが飛ぶように売れていました。どの会社もガラクタな新車をつくれば、客が奪うようにして買っていった時代でした。そんな時代に、基本に忠実なマーケティングを展開して完全なスクラッチで生産されたのがマスタンでした。
ホンダはEVに集中、ガソリンエンジンを捨てて、EVに邁進、と決めた三部氏。取締役会をどのようにまとめたのでしょう?取締役会はだんまり?その後は工場(たしか栃木県の大きな工場)を閉鎖し、従業員を基本的には解雇。累計2兆円になるはずの赤字を生んだそのdecision-makingの旗振り役の三部氏。ホンダの取締役会は辞任を勧告しないのでしょうか。ちょっとした見物ですね。なお、彼は英語を話さないのかも知れません。三部敏宏氏の英語 (アーカイブ)