中学で習うUKの政治家の名前のひとつは、ベンジャミン・ディズレーリBenjamin Disraeli (1804-1881)です。イングランド人にしてはちょっと違和感のある名前です。彼はイタリア系ユダヤ人商人の子としてロンドンで生まれました。セファルディム、アシュケナージム双方の血を引くと言われています。両親はほぼ白人の容貌を持っていましたが、彼はややユダヤ系らしき容貌を持っていたと私は判断します。彼は子供の頃に改宗して、Anglicanとなりました。元々父 Isaac D'Israeli からして、ユダヤ教にはほとんど関心がなかったようです。研究者によると、Benは自分の経歴を本に著したときに、事実ではない事柄を書いたそうです。仕方のないことかも知れません。というか彼は政治家になる前は小説家でした。その後何度か落選しながら、それでも、彼は政治家として大成し、首相を勤め、Queen Victoriaに仕えました。つまりUKの黄金時代の首相だったわけです。彼は保守党 Tories のボスであり、彼のライバルは常に自由党のWilliam Gladstone (1809-1898)でした。

余計な話ですが、中学校の時に、「ディズレーリという名前はアングロサクソンには聞こえないが、何人か」と質問をして教師から疎まれたことを覚えております。公立中学校教師だと、この程度のことを知らなかったのですね。もっとちゃんとした学校(教育学部付属中学、私立中学)であれば、容易に正しく答えることができたろうと想像しますが、そこら辺のボンクラ頭の行くような公立中学では・・・というわけです。それを言い出せば、経済学者のDavid Ricardo の名前もBrit風ではありませんよね。カタカナで書けば多少違和感は減りますが・・・ 他にErnest Casselという大銀行家がいますが、この人はドイツ系の移民でしたので、おそらくドイツではKasselという綴りだったのではないでしょうか。当時Great Britainは世界の中心でしたのでこのように世界各地からたくさんの才能を吸い寄せていたのでしょう。後に世界の中心はアメリカに移りましたので、その役割もアメリカに。

私が今回、深く知っている訳ではない Disraeli について書く気になったのは、トランプの行状を見ていて、です。israeliの大きな関心事のひとつは、ロンドンが世界的な繁栄を謳歌していた時代において、国民がrich/poorに分裂し、その差が拡大しているという事実でした。つまり今流に言えば、国民の分断です。2つの階層に分かれても、one nationであることは大事、というのが保守政治家としての彼の信念でした。これを保守党流のデモクラシー Tory democracyと呼びます。彼の支持母体は上流階級でしたが、上流階級こそが、下層階級のwelfareについての責任を負う、という倫理観です。

聡明な読者諸氏だと容易に noblesse oblige という言葉を想起するでしょうが、少し違います。noblesse oblige は元々フランス語の外交用語でしたので、政治思想、政治倫理よりは、外交世界で使われました。一言で言えば、支配者(国家元首)に仕える貴族階級のaristocracyに由来します。Disraeliも上流階級に属しましたが、生まれでは貴族ではありませんでした(後に貴族(earl 伯爵)に叙せられました)。それはpaternalistic eliteとしての義務というのが彼の位置づけです。つまり、大家族としてのUKがあるとした場合、その家長は父親であり、父親が子供たちを扶養するような感覚です。慈愛から、というよりは、この「大家族」にあってはそれは当然の責務というのが保守本流であった彼の考えです。このために社会を改革する必要があるのであれば、それを受入れようという、積極的保守主義。これは僭越ではありません。当時の社会通念を表しています。つまり、上流階級から見て、下層階級というのは、困ったちゃんであり、上流階級が手を差し伸べてやらないと大したことはできない、という見方が主流でした。今の時代の頭で見ると、上流階級ですらたいしたことはないし、某国のroyal familyを見ていると、ちょっと絶望的な気持ちになりますが、それはこの何十年かの、新しい見方なのです。

これと対比していただきたいのが、Karl Marxというユダヤ人が19世紀後半に打ち出した思想。労働者階級が支配階級を打ち倒して革命が成功することで資本主義は終わり、次の社会主義、共産主義にいたる、というもの。つまり暴力で決着を付けるというもの。それに対してDisraeliの方は、選挙権を庶民まで拡大することを目指し、労働者階級の健康を大事する政治を目指していたということです。DisraeliとMarx、似た者同士で、目指すものは似ていたはずですが、手段、方法は正反対でした。金満家の家庭に生まれたMarxはプロイセン王国から追放されて、ロンドンで無国籍人として亡命生活を送り、赤貧のうちに死にましたが、その間、そんな貧民窟にいる危険思想者を国外追放にすることもなく、静観していたのは、繁栄の頂点にいたUKだったという皮肉。ロンドンのMarxの墓地を拝観するだけでたしか、ひとり£20/30かかるはず。私のような労働者階級にはとても簡単に払う気になるような料金ではありませんね。いやはや・・・ なお、このふたりとほぼ同時期に生きたのが文豪 Charles Dickens (1812-1870) です。彼の描く人々は下層階級でした。

私はドン・トランプの手法、性格、考え方、常識などなどを想像するにつけ、どうしても、Ben Disraeli流の政治哲学のことを考えますね。彼の父親 Frederick はただの無教養な不動産屋でした。息子をguideするような思想、教養は持ち合わせておらず、金勘定だけで生き、死んだ人です。同じことが、Donの家族でも繰り返されていたはずで、あまりまともなeliteはいそうにありませんね。普通はそのような人は、人の上に立つことを躊躇するものですが、彼にはそのような感覚は皆無です。私が飲んだくれのオヤジだったにしても、子供には「いいか、トランプのようになるなよ」とさとす程度の分別はあったはず・・・ ぜひ覚えておいてください、Ben Disraeli。