シーザーなのか、カエサルなのか。ラテン語に近い発音は後者ですが、英語では前者を採用しています。ラテン語でCaesarと書いて英語でシーザー。この綴り字と読みを見て、英語国民は少し頭が弱そうだと感じる人が多いかも知れません。(私はどちらも正しいと考える方です…)英語はなぜ「シーザー」を採用するのか、あなたは考えて見たことはありますか?私はおそらくフランス語の影響だろうと思います。フランス語で同じラテン・アルファベットを/se.zaʁ/と発音します(wiktionaryによる)。見慣れない記号が2個ありますが、英語のこのブログではあまり気にしないことにしましょう。要するに「セザール」と発音します。現代イタリア語ではCesareと書いて「チェザーレ」と発音します。プリニウスという博物学者兼軍人がいましたが、彼のラテン語での綴りはPliniusです。英語ではPliny (the Elder)と綴りますが、フランス語ではPline /plin/となります。イタリア語ではPlinioです。フランス語とイタリア語は姉妹言語なのでお互いに気にしあいます。この辺りは歴史的な要素が絡み合ってきますが、日本にはおそらく明治時代になってからPliniusが入ってきましたので、ラテン語での読みを輸入したことになります。つまり日本も時代的な要素とは無縁ではありえない、ということですね。明治維新の頃は英語がlingua francaとなっていましたので、英語式の訛りでも良かったのかも知れません。いずれにせよ、英語には、おそらくlingua francaであったはずのフランス語から多くが入った可能性が高いと私は思います。これがローマ人の名前の英語が少し変な理由でしょう。
さて、先日Quora (質問箱サイト)を見ていたら、意外な質問が。カエサルは何回刺されたのか?そう言えば、気にしたことがありませんでした。それと関連する事柄を少しいじります。
(1)まず何回刺されたのか、は何個の刺し傷があったのか、ということでしょう。
ある説では23個、別の説では33個です。これは何を意味するのでしょうか。ある解釈では、「あいつは刺さなかった」と後で言われるのが嫌で、暗殺者が代わる代わるに刺した、というのが真相だとか。ほとんどチンピラの渡世のようです。でもよく考えるとカエサル自体が少し前ガリアで「シノギ」をして回っていた訳ですので、渡世の義理で、チンピラがヤクザの頭(かしら)を刺したようなものかも知れません。
(2)誰の刺し傷が致命傷だったのか。
諸説あるようですが、私が気に入ったのは、autopsy reportがあり、死因は失血死と報告されている、とのことです。たしかに20数個以上刺されればその可能性の方が高いかも知れません。ただ、別の説では2回目の刺し傷が大動脈に達していた、との説もありました。ただ、その2回目の傷を与えたのが誰かは私にはよくわかりませんでした。胸骨で守られている大動脈などの血管を刺す、というのはかなり手慣れたやり方です。単に大怪我をさせることを狙ったのではなく、殺すことを目的とした、プロの手並みというべきでしょうか。それなりの長さの刃物を、しかるべき角度で刺した、つまり、腹のあたりから、心臓の方に向けて突き刺した、ということでしょうね。人間の血液は4L位と言われています。1/3で失血死すると言われていますので、1.5L位は現場に流れたのでしょうか。
(3)暗殺の目的は何であったのか
(4)カエサルとは何者だったのか。
彼はガリア地方をたしか7,8年間移動し続けました。戦闘行為があった場合には、敵の兵士などを捕虜にして、外国に売ったそうです。奴隷商人が足しげく通ったらしく、1度の最大の取引では5万人のガリア人奴隷を売却したそうです。なお、箕輪成男氏の見積もりではカエサルは合計100万人のガリア人を奴隷として獲得した、と書いています(*)。奴隷の価値は当時高かったので、彼は当時のローマ帝国の貴族の中で最も豊かな人だったようです。これが彼の長期にわたる行軍を財政的に可能にしたのでしょうね。言わば焼け太りの行軍だったというわけです。ということは、ローマ帝国の軍隊といえども、公のお金と私のお金の区別は曖昧だったということでしょうね。なお、当時のローマの人口はおおむね100万人(市民と奴隷)と言われています。
なお、パピルスのロールと、ローマ数字と算盤abacusで、複式簿記なしでやる当時の会計担当は相当難儀な仕事だったと思います。しかも毎日何万人もの軍人と奴隷に食料を調達して食べさせなければならず、調達係は別にいたでしょうが、金(きん)、ローマ貨幣、現物の入出庫、自然減(=死亡)、着服への誘惑…毎日が胃痛との戦いだったかも知れません。(戦わずローマに忠誠を誓う部族もいたので、そのような部族の地域では、首長に土産を与えて、安全に抜けていったのだそうです。)そういえば、カエサルの家庭教師はガリア生まれの奴隷で、役目は、カエサル家での子供教育でした。名前は Marcus Antonius Gnipho、あるいは単にGnipho、英語では最初のgは発音されません。
果たしてブルータスの一刺しは致命傷だったのかはわかりませんでしたが、少しは見通しがよくなったような気がします。
(*)『パピルスが伝えた文明』箕輪成男 出版ニュース社2002
さて、先日Quora (質問箱サイト)を見ていたら、意外な質問が。カエサルは何回刺されたのか?そう言えば、気にしたことがありませんでした。それと関連する事柄を少しいじります。
(1)まず何回刺されたのか、は何個の刺し傷があったのか、ということでしょう。
ある説では23個、別の説では33個です。これは何を意味するのでしょうか。ある解釈では、「あいつは刺さなかった」と後で言われるのが嫌で、暗殺者が代わる代わるに刺した、というのが真相だとか。ほとんどチンピラの渡世のようです。でもよく考えるとカエサル自体が少し前ガリアで「シノギ」をして回っていた訳ですので、渡世の義理で、チンピラがヤクザの頭(かしら)を刺したようなものかも知れません。
(2)誰の刺し傷が致命傷だったのか。
諸説あるようですが、私が気に入ったのは、autopsy reportがあり、死因は失血死と報告されている、とのことです。たしかに20数個以上刺されればその可能性の方が高いかも知れません。ただ、別の説では2回目の刺し傷が大動脈に達していた、との説もありました。ただ、その2回目の傷を与えたのが誰かは私にはよくわかりませんでした。胸骨で守られている大動脈などの血管を刺す、というのはかなり手慣れたやり方です。単に大怪我をさせることを狙ったのではなく、殺すことを目的とした、プロの手並みというべきでしょうか。それなりの長さの刃物を、しかるべき角度で刺した、つまり、腹のあたりから、心臓の方に向けて突き刺した、ということでしょうね。人間の血液は4L位と言われています。1/3で失血死すると言われていますので、1.5L位は現場に流れたのでしょうか。
(3)暗殺の目的は何であったのか
カエサルはdictatorの地位にありました。それはemperorではありません。彼の義理の息子Augustusが初代のemperor皇帝となりました。共和制支持者にとっては、dictatorは許せなくて、emperorは許せたのでしょうか。内戦後、初めはカエサルは三頭政治 triumvirate と呼ばれる、3者共同の統治者の一人でした。そのうちライバルが減り単独で統治するようになり、dictatorとなりました。これは今日の英語にそのままで残っていますね。独裁者を意味します。ですが、etymonlineによると、dictatorの語源は、最初からその意味ではなく、14世紀に、フランス語から英語に入り、単独の裁判官を意味し、その後「独裁者」に変わったそうです。イングランド系の北米植民地では、統治のトップはmagistrateと呼ばれていました。magistrate=judgeです。いずれにせよ、暗殺の目的が私にはよく理解できませんね。なお、triumvirate の語源は、 古ラテン語の trium virum, tres viri の所有格複数形から英語に、との説明です。uにアクセントがあります。
(4)カエサルとは何者だったのか。
彼はガリア地方をたしか7,8年間移動し続けました。戦闘行為があった場合には、敵の兵士などを捕虜にして、外国に売ったそうです。奴隷商人が足しげく通ったらしく、1度の最大の取引では5万人のガリア人奴隷を売却したそうです。なお、箕輪成男氏の見積もりではカエサルは合計100万人のガリア人を奴隷として獲得した、と書いています(*)。奴隷の価値は当時高かったので、彼は当時のローマ帝国の貴族の中で最も豊かな人だったようです。これが彼の長期にわたる行軍を財政的に可能にしたのでしょうね。言わば焼け太りの行軍だったというわけです。ということは、ローマ帝国の軍隊といえども、公のお金と私のお金の区別は曖昧だったということでしょうね。なお、当時のローマの人口はおおむね100万人(市民と奴隷)と言われています。
なお、パピルスのロールと、ローマ数字と算盤abacusで、複式簿記なしでやる当時の会計担当は相当難儀な仕事だったと思います。しかも毎日何万人もの軍人と奴隷に食料を調達して食べさせなければならず、調達係は別にいたでしょうが、金(きん)、ローマ貨幣、現物の入出庫、自然減(=死亡)、着服への誘惑…毎日が胃痛との戦いだったかも知れません。(戦わずローマに忠誠を誓う部族もいたので、そのような部族の地域では、首長に土産を与えて、安全に抜けていったのだそうです。)そういえば、カエサルの家庭教師はガリア生まれの奴隷で、役目は、カエサル家での子供教育でした。名前は Marcus Antonius Gnipho、あるいは単にGnipho、英語では最初のgは発音されません。
果たしてブルータスの一刺しは致命傷だったのかはわかりませんでしたが、少しは見通しがよくなったような気がします。
(*)『パピルスが伝えた文明』箕輪成男 出版ニュース社2002
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