最近再び注目を浴びるイスラエル。エルサレムから地中海までの距離をご存知ですか?約50km、クルマで1時間だそうです。こんな幅の狭いエリアが改めて注目されています。更に狭く小さいガザ地区ですが少し詳しく書こうとするととんでもない分量になりそうですので、あなたが知らないようなことを中心に書きます。どこにでも出ている話は検索すればかなりの程度わかりますので。
1)人種
今日パレスチナ人と呼ばれる人々は、昔はアラブ人と呼ばれていました。そのうち一部の人が後述の理由により難民となって「本来の居住地」から離れるようになりました。(ただ遊牧など非定住型の人々もいたはずでこのことがどう評価されているのかは私は知りません。)彼らはパレスチナ人の難民と当時は呼ばれました。やがて、難民ではなくても、イスラエルと隣接する地区にいるアラブ人をパレスチナ人と呼ぶようになりました。最初はPLOという組織が旗振りをしました。PLOは、失った土地をテロで取り返すことをモットーにしていました。PLOの議長はアラファト、英語式表記はYasser Arafatで、故人です。最初はヨルダン王国で活動していましたが、国王がそのうち国内の反国王派の動きを心配してPLOを国外追放にしました。1970年代初頭だったかと。 それ以来周辺をさまよっています。生前、アラファトはノーベル平和賞を受賞したことがあります。テロリストにノーベル平和賞。なお、同時に当時のイスラエルの首相も受賞しましたので、ノーベル平和賞選定委員会は公平に過ちを犯しただけ、と言えます。(ノーベル平和賞は過誤、堕落との戦いですね。理念が見えません。廃止すべきです。)
2)地理
最近ガザ地区(Gaza Strip)に対して、イスラエルが空爆をしたそうです。特に新しいことではありません。ガザの住民がイスラエルに対してロケット弾攻撃をしていました。今回の死者数で見ると20倍返しです。少しやりすぎでしょうが、メッセージは極めて明白です。ただ彼らは最近いさかいを始めたのではなく、20世紀初頭からですのでどちらに正義があるかの話は意味がありません。(あるいは、人によっては、ローマ帝国統治時代からほぼ同じ場所に住み続けているユダヤ人、アラブ人がいますので、その時代にさかのぼる必要があるのかも知れませんが誰もしないでしょう。)
イスラエルが圧倒的に優位になったのはこの50年位の現象で、それ以前は逆でした。なお、英語のstripとは「細長い地」という意味です。Gaza Areaとはなぜか言いません。
もう一方のヨルダン川西岸。現代の英語でWest Bank。cis-Jordanと呼ばれた時代があります。反対語はtrans-Jordanです。ヨルダン川の「反対側」つまり東側です。こんなところにもローマ時代の統治の名残があるのですね。
20世紀初頭までの時代、今日のイスラエルと呼ばれる地域およびその周辺にはユダヤ人が点々と暮らしていましたが、常に、トルコ人、アラブ人からは冷遇、迫害されていました。支配者がオスマントルコでしたので仕方ないかも知れません。当時のユダヤ人には少数派の悲哀がありました。
19世紀後半から20世紀初頭に何があったのでしょうか。それは世界各地のユダヤ人社会にシオニズムと呼ばれる運動が高まって来ました。それに呼応したユダヤ人が世界中から今日のイスラエルと呼ばれる地域に移住し、オスマン・トルコあるいはアラブ人から土地を買おうとしました。イスラエル地区は一面の砂漠のような乾燥地帯だと我々は想像しがちですが、それは正しくありません。元々レバノンから南下する高原地帯があり、降雨があり、森林、牧草地帯がありました。オスマン・トルコがこのエリアの樹木を丸刈りにして燃料にしたために表土流失、乾燥化が極度に進行しましたが、いまでも、低湿地が各所に存在してそれがマラリアの発生源になると言われております。マラリアのはやる土地は比較的容易にユダヤ人が取得できたようです。
地中海世界はどこでもマラリアの脅威にあります、あるいはかつてはそうでした。今日イスラエルと呼ぶ地域の相当なエリアでは20世紀初頭はマラリア発生地であったため人口は希薄でした。ガザ地区はマラリアのリスクが少ないので昔から人口稠密でした。エルサレムという都市は昔から歴史的な土地ですが、標高が7,800メートルの場所にあり、マラリアのリスクのない地区になります。マラリアを仲介する蚊ハマダラカは英語でanopheles /ənάfəlìːz/と言います。単なるmosquitoとは区別した方が良い場合が多いです。なお、マラリア、malaria /məléəriə/ は、イタリア語から英語に入りました。意味はmal aria、つまりbad airです。etymonlineによると英語になったのは1740年だそうです。ブリテン島にはいないので、単語 mosquitoもmalariaも輸入されました。なお、ローマ帝国滅亡の理由の一つに、マラリアを挙げる学者は多いです。
続きは明日に。
1)人種
今日パレスチナ人と呼ばれる人々は、昔はアラブ人と呼ばれていました。そのうち一部の人が後述の理由により難民となって「本来の居住地」から離れるようになりました。(ただ遊牧など非定住型の人々もいたはずでこのことがどう評価されているのかは私は知りません。)彼らはパレスチナ人の難民と当時は呼ばれました。やがて、難民ではなくても、イスラエルと隣接する地区にいるアラブ人をパレスチナ人と呼ぶようになりました。最初はPLOという組織が旗振りをしました。PLOは、失った土地をテロで取り返すことをモットーにしていました。PLOの議長はアラファト、英語式表記はYasser Arafatで、故人です。最初はヨルダン王国で活動していましたが、国王がそのうち国内の反国王派の動きを心配してPLOを国外追放にしました。1970年代初頭だったかと。 それ以来周辺をさまよっています。生前、アラファトはノーベル平和賞を受賞したことがあります。テロリストにノーベル平和賞。なお、同時に当時のイスラエルの首相も受賞しましたので、ノーベル平和賞選定委員会は公平に過ちを犯しただけ、と言えます。(ノーベル平和賞は過誤、堕落との戦いですね。理念が見えません。廃止すべきです。)
2)地理
最近ガザ地区(Gaza Strip)に対して、イスラエルが空爆をしたそうです。特に新しいことではありません。ガザの住民がイスラエルに対してロケット弾攻撃をしていました。今回の死者数で見ると20倍返しです。少しやりすぎでしょうが、メッセージは極めて明白です。ただ彼らは最近いさかいを始めたのではなく、20世紀初頭からですのでどちらに正義があるかの話は意味がありません。(あるいは、人によっては、ローマ帝国統治時代からほぼ同じ場所に住み続けているユダヤ人、アラブ人がいますので、その時代にさかのぼる必要があるのかも知れませんが誰もしないでしょう。)
イスラエルが圧倒的に優位になったのはこの50年位の現象で、それ以前は逆でした。なお、英語のstripとは「細長い地」という意味です。Gaza Areaとはなぜか言いません。
もう一方のヨルダン川西岸。現代の英語でWest Bank。cis-Jordanと呼ばれた時代があります。反対語はtrans-Jordanです。ヨルダン川の「反対側」つまり東側です。こんなところにもローマ時代の統治の名残があるのですね。
20世紀初頭までの時代、今日のイスラエルと呼ばれる地域およびその周辺にはユダヤ人が点々と暮らしていましたが、常に、トルコ人、アラブ人からは冷遇、迫害されていました。支配者がオスマントルコでしたので仕方ないかも知れません。当時のユダヤ人には少数派の悲哀がありました。
19世紀後半から20世紀初頭に何があったのでしょうか。それは世界各地のユダヤ人社会にシオニズムと呼ばれる運動が高まって来ました。それに呼応したユダヤ人が世界中から今日のイスラエルと呼ばれる地域に移住し、オスマン・トルコあるいはアラブ人から土地を買おうとしました。イスラエル地区は一面の砂漠のような乾燥地帯だと我々は想像しがちですが、それは正しくありません。元々レバノンから南下する高原地帯があり、降雨があり、森林、牧草地帯がありました。オスマン・トルコがこのエリアの樹木を丸刈りにして燃料にしたために表土流失、乾燥化が極度に進行しましたが、いまでも、低湿地が各所に存在してそれがマラリアの発生源になると言われております。マラリアのはやる土地は比較的容易にユダヤ人が取得できたようです。
地中海世界はどこでもマラリアの脅威にあります、あるいはかつてはそうでした。今日イスラエルと呼ぶ地域の相当なエリアでは20世紀初頭はマラリア発生地であったため人口は希薄でした。ガザ地区はマラリアのリスクが少ないので昔から人口稠密でした。エルサレムという都市は昔から歴史的な土地ですが、標高が7,800メートルの場所にあり、マラリアのリスクのない地区になります。マラリアを仲介する蚊ハマダラカは英語でanopheles /ənάfəlìːz/と言います。単なるmosquitoとは区別した方が良い場合が多いです。なお、マラリア、malaria /məléəriə/ は、イタリア語から英語に入りました。意味はmal aria、つまりbad airです。etymonlineによると英語になったのは1740年だそうです。ブリテン島にはいないので、単語 mosquitoもmalariaも輸入されました。なお、ローマ帝国滅亡の理由の一つに、マラリアを挙げる学者は多いです。
続きは明日に。
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