昨日の続きです。

当時の裁判においては、「雪冤(せつえん)宣誓」が大事なこととされたそうです。冤罪の「冤(えん)
」ですね。疑いを晴らす(雪のように真っ白にする?)ことを言います。英語でcompurgationだそうです。その動詞はcompurgateでしょうが、掲載された辞書を見つけることはできませんでした。

これの意味するところは、当時の裁判において、被告人は、自分が潔白であることを自ら証明するよう求められた、ということでしょう。現代ですと、被告人が潔白であることを証明したり主張したりすることを求められません。それは原告人の義務です。その方法がordealsだったのでしょうね。ただ文献によっては、当時ですら、trials by ordeals は、少なくとも一部の人々から批判の対象だったようです。なお、魔女狩りにつきものの魔女裁判の記録で最も古いものは15世紀だそうです。つまり、それは、西ヨーロッパの人々が、裁判とは事実を審理し、法律に照らして、判決を下す手続きである、という認識をまだ持たずにいた時代であった、ということですね。また、さらに、被告人が聖職者である場合、世俗権力が裁判をして、さらに宗教権力が別の裁判をすることにつながりかねませんので、聖職者への裁判を行う「権利」を持つのが、世俗側(王権側)なのか宗教側なのか、についてもルールを定める必要があります。

中世イングランドでの裁判で、裁判長は何者で、どのような頻度で、どこで行われていたかを調べましたが、あまりわかりませんでした。イングランド国王が裁判長となる裁判もあったようです。ただ、おそらくは、イングランドでは、多くの裁判はsheriffが行っていたと思います。これをHenry II (Henry Curtmantle 在位 1154-1189)という国王が禁止して、12名から成る jury (陪臣)が、証拠の評価を行い、評決を下す、というやり方を普及させます。(それまでは、当事者(今でいう原告人、被告人)の主張をサポートする人々が証人で、法廷では彼らは事実認定について質問されたことに正直に答えるという立場ではありませんでした。)

そもそも、Henry Curtmantleはものすごく誠実に執務をした人でした。イングランド1対フランス2の比率で振り分けていたように見えます。ほぼ常に法廷顧問のような立場の人々も同行したようです。その目的は、法令を徹底させる、納税をきちんとさせる、王権の徹底をはかる、というようなことだったのでしょう。1170年4月には、イングランドのシェリフの大半を免職したという記録があり、その日には約40km馬で走行したそうです。本当に端から端まで移動したようです。加えてこの人にはたしか庶子(正妻以外の女性に生ませた子供)が10人以上いた人だったはず。

そして、彼は、自分が裁判をするのではなく、代理人を立てて、その人物が王に代わって、裁判を処理する、というルールを打ち立てます。その地位をchief justiciar と呼びます。今流に言えば、司法長官です。ですが、これはおそらく今の総理大臣に相当する地位だと考えられています。というのも、国王は、イングランドとノルマンディーの間を行ったり来たりしていましたので、イングランドでの業務を合理化したかったのだそうです。そこで疑問ですが、Henry Curtmantleはtraial by ordealsをどのくらい馬鹿馬鹿しいと思っていたのでしょうかねえ。あちこち調べましたが、そのような見解は見かけませんでした。

私は以上のことを知って、少しHenry IIのことを好きになりました。Curtmantleの意味ですが、短いマント、という意味なのだそうです。何語かも知りません。当時の歴代の国王がまとっていたマントよりも丈が短かったようです。ですが、結構このHenry Curtmantleは名君だったと私は思います。ここに書くとさらに長くなるので省略しますが、気になる方は検索してみてください。なお、彼はHouse of Normandyの人ではなく、House of Anjouです。息子2人もイングランド国王になっており、Richard the Lionheartと、John Lacklandです。両方とも非常に有名ですね。特に後者は、マグナカルタの当事者です。

ちなみに、Henry Curtmantle が指名した justiciar は Richard de Luci という名前の人物だったそうです。Richardは英語、フランス語、ドイツ語も同じ綴りですが、姓を併せて考えると、これはおそらくフランス系の人でしょうね。NC以来、イングランドでの法廷語はフランス語になり、記録はラテン語でなされました。

さらに、Henry Curtmantle を極めて有名にした事件があります。それはトーマス・ベケット暗殺事件です。Henryとカンタベリー大司教Thomas Becketとは非常に仲が良かったのですが、やがて対立するようになり、一時は和解します。しかし、その後、Henryの逆鱗に触れ、その意を汲んだ貴族が彼をカンタベリー大聖堂の中で暗殺します。このため同聖堂の中にある彼のステンドグラスでは、頭部に剣を刺された姿で描かれています。なおベケットは後に聖列されます。

jury のことををetymonlineで確認しておきましょう。そのままコピーします:
"set number of persons, selected according to law and sworn to determine the facts and truth of a case or charge submitted to them and render a verdict," early 14c. (late 12c. in Anglo-Latin), from Anglo-French and Old French juree (13c.), from Medieval Latin iurata "an oath, a judicial inquest, sworn body of men," noun use of fem. past participle of Latin iurare "to swear," from ius (genitive iuris) "law, an oath" (see jurist).

なお、Anglo-Latinという言葉ですが、これの意味は、「中世にイングランドで使われていたラテン語」という意味です。MLより更に狭いことを意味することになります。late 12c in ALというのは、つまり、Henry Curtmantleの時代のことですね。

今のアメリカ映画法廷もので、"Ladies and gentlemen of the Jury"で弁護士が話し始めますが、その伝統は12世紀のHenry Curtmantleにさかのぼるというお話でした。