字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2025年08月

日本で報道されるアメリカ最高裁の判決は、判事が〇対△で、これこれという判決になって、というようなもの。TV記者はstraight faceでそのように言っていますね。実はアメリカの憲法には、最高裁の判決は多数決(あるいは別の何々という手法)によるべし、という規定はありません。(おそらく日系報道陣の殆どはそんなことを知らないのだろうと私は思っております。)これは先日取り上げたJohn Marshall以来の慣習です。ですがそれはMarshallのオリジナルでは決してありません。それはイングランドのcommon lawの伝統です。なお、少数派の判事の意見が、判決に添えられるのは、Marshallが採用した手法ですが、これのオリジンもまたイングランドのcommon lawに由来します。なお、この付属意見のことを英語ではseriatimというラテン語で呼びます。本来のラテン語の意味とはかけ離れているようですが、代わる代わる意見を言う、ということを指しているのでしょうね。common lawとは、イングランド式の、明文化された法律と慣習とが合体している法体系を指します。つまり、アメリカの法にある色々な課題のひとつは、私見では、このようなイングランドから持ち越されてきた法慣習が入り込んでいることです。これが法律を必要以上に難しくして素人を遠ざけて専門家に委ねざるを得なくしていると思います。なお、common lawの反対語はcodified law 成文法などと呼ばれます。

このブログは言語を扱いますのでまず言葉を整理。「多数決の原理」、英語では majority rule と言う名詞句になります(以下でMR)。rule of majorityなど他の言い方もたくさんあります。これと非常に良く似た言葉 majoritarianism という言葉があります。majoritarianismの方は、手法に注目する時の用語、MRの方は、投票数の多い方が最終決定となる(勝つ)という原則を示します。あまりにもMRが安直に使われているために、我々はそれ以外の方法を忘れていますので、ここで整理をして置きましょう。初出をチェックするとMRのは1842だそう。majoritarianismは1942です。意外と最近なのですね。

majority rule
| M-W

majoritarianism | M-W

最初の決議方法は全会一致です。英語ではunanimous decisiontです。外交ではunanimous decisionが普通です(国連総会は別として)。このためしばしば「会議は踊る」ことになります・・・

その次は、consensus decisionというもの。unamimousよりも少し緩いやり方で、反対がひとりでもいたら不成立というほどでもないが、全参加員は説得すること、されることに努力する、という形。

次が、supermajority decision というもの。これは単に過半数ではなくて、普通は2/3以上、あるいは規定によっては90%以上というような場合もあり得ます。

その次は、過半数以下の場合。plurality decision と呼ばれます。日本語訳では「相対多数」と呼ばれますが、英語よりずっとわかりやすいですよね。

これら以外にも、最も不人気な選択肢を1回投票毎に排除してゆくやり方、議長一任方式などがあります。

最近の日本の国会議員たちのコメントを聞いていると、どうも彼らはこれらすべてを忘れて、常にMRでやろうとしていますが、それは民主主義の手法のひとつに過ぎないことを我々は想起する必要があります。つまり、貧弱な民主主義と呼ぶべきもの。貧弱な民主主義からは貧弱な政治しか生まれません。非常識な軍人の暴走を許した明治憲法の欠陥こそが日本の敗戦の元凶でしょう。

アメリカのNEには独立以前からタウンミーティングの伝統があります。町の住民が集まって色々な事柄を自分たちで決めますが、それは決してMRではありません。常にconsensus decisionを目指して行われます。そして、アメリカのタウンミーティングでの重要なcommon senseは、全員一致の結果に対する生理的不信感です。教育のあるなしに関係なく、全員一致というのは少し変かもな、という感覚。買収などの不正が行われた可能性があることを示唆しています。

おそらくこれはイングランドから持ち込まれたもの、というよりは、NEで醸成された文化でしょう。というのは、このエリアではPuritanismが支配的だったからです。イングランドではそんなことはありません。というか、Puritanismが嫌われて、国外追放になり、最終的に今日NEと呼ばれるエリアに信者たちがたどり着いたと言う歴史があります。日本国憲法は私見ではNEの文化の産物です。

昨日のpostの中での私の疑問を改めてここに書くと、自由な選挙、自由な意思表示(出版、デモ)が今のところ最低限許されている国のひとつであるアメリカ(USA)において、約4分の1の国民が、トランプの独裁を支持している、という推計は何を意味しているのでしょうか。それは民主主義の進む先にある新しい形態なのか、それとも時代を逆行したところにある古い形態なのか。

実はこれらに関しては、既に同じ問いはなされ、解は得られています。哲学者Erich Fromm (1900-1980)、これをエリックと発音すべきか、エーリッヒと発音すべきかは、彼をアメリカ人とみるか、ドイツ人とみるかに過ぎず、同じ人物です。彼の主要著作『自由からの逃走』Escape from Freedom 1941は、そのことを扱った歴史的著作です。有名な部分:

Can freedom become a burden, too heavy for a man to bear, something he tries to escape from?

Escape from Freedom attempts to show, modern man still is anxious and tempted to surrender his freedom to dictators of all kinds, or to love it by transforming himself into small cog in the machine, well fed, and well clothed, yet not a free man but an automaton.

人間の本姓の中には、追い求めていたはずの「自由」を手にすると、人間はその重みに耐えかねて、独裁者たちにひれ伏す、あるいは自ら進んで社会の歯車となることを望むようになる、ということです。

彼は、ナチスドイツ興隆の過程にある人間の哲理を見抜こうとしています。自由の対価としての孤独、責任に人は耐えられないものだと彼は見抜きます。この弱さが、自由の対極にあるはずの、抑圧、独裁、暴力を生むのです。彼が見ていたのは20世紀初頭のドイツですが、あたかも現在のアメリカなどの極右の台頭を見ているかのようです。現代の先進国では、飢餓からの自由、失業からの自由はほぼ達成できています。しかし、今度はそれが権威主義、破壊主義への逃避となるのです。

逆に言えば、今「極右」が台頭している国は、どれも皆豊かでなのですが、フロムの看過する人間の弱さのために、全体主義的誘惑、暴力主義的誘惑にあらがうことができない人々が、人間同士のつながりを求めて結集しつつあるということになります。その道具がSNSというわけです。

では、それら弱い存在とは異なるはずの我々はどうすべきなのでしょうか。知性、教養を磨くしかありません。普通に考えれば、個人の知性、教養がナチス流の暴力政治に対抗しうるはずはありません。不可能とも言い切れませんが。弱く、小さく、脆(もろ)いはずの知性、教養を、暴力に対抗するまでに育てることは、自由、民主主義社会に生きる者の神聖な義務であることを我々は銘記せねばなりますまい。

例えば、ドン・トランプは公正な選挙で選ばれたかも知れない。しかし、そのことは、彼が、自分の支持層だけのために政治、行政を行うことではありません。ましてや、彼が独裁者となって自分のために政治、行政を操作することでもありません。populationには、全体主義的、暴力主義的誘惑あるいは「異人種」隔離という誘惑があるものです。同時に、dictatorにもtyrannyという誘惑があるでしょうが、どうもトランプはそれに抗っているようには見えません。

蛇足。私が最近見かけた言葉、それはジャンポール・サルトルJean-Paul Sartre (1905-1980)のもの。「人間は自由の刑に処せられている」という和訳。これは十分妥当なのでしょうか。この原文は
"L'homme est condamné à être libre"です。このフランス語の文は、ほとんどフランス語を知らないアメリカ人でもだいたい意味はわかります。condamnéは、英語のcondemnという動詞の元になった言葉です。英語の語感だけからすると、「人間は自由の刑に処せられている」と訳したくなる気持ちはわかります。しかし、フランス語では少し意味が違います。私が選択する和訳は「人間は自由であるべく運命づけられているのだ」です。「自由の刑に処せられている」という訳は十分素敵ですけどね。現代人にとて「自由」とは重荷なのかも知れません。

まぁ、私はおそらく完全にトランプ劇場あるいはトランプ沼にはまってますね(おそらく)。公正な選挙で大統領になった男が、自分のキャラを隠さずに、全開で暴走する・・・大国の行政の最高位に就くこんな人物を見たことはありません。完全に私の「常識」を超えています。誰がこの男にパンツをはかせるのか。メディアしかいません。この男は、先ず裁判にかけられるべきだったのでは?あるいは少なくとも、第2期就任前に、1,2件の裁判で有罪が確定しおり、量刑言い渡しがトランプを待っていたはずだったのでは?

以下のような記事が出始めております。これはCNNのもの。特にきどった言い回しもなく、ストレートに意見を言っています:
Trump says many people might want a dictator. Yes, many of his people. | CNN
PRRIとは世論調査会社らしいです。 

最低限の救いは、今のところアメリカ国民の過半数が支持ではない、ということですが、単純化のためにアメリカ人の半分がリパブリカンであると仮定しても、決して無視し得ない数の人々がトランプ独裁を支持している、ということです。いやはやアメリカという国は進歩しているのか、退歩しているのか・・・それすらもわからなくなりました。あと3年半ありますので、もしかすると・・・

彼が独裁すると仮定すれば、何を彼は最初にするでしょうか?それは、憲法の規定で2期までとなっているpresidencyをanother term務めることでしょうね。another one term or more? That's the question, isn't it?では、彼はその時に選挙付きでもう1期するのか、選挙なしでか?去年でしたか、どこかのサイトのジョークで言われていたのが、形式上、JD Vanceをボスにして、トランプがVPで、ということでした。昔トランプのgood friendであったヴラディミール・プーティンが実際にこれをやりました。プーティンでも堂々とはできなかった憲法無視ですが、トランプだとできるかも知れません。そうなると上院議長はトランプということになります。いやはや。Long Live Tyrant!

ところで、あなたはアメリカに観光旅行に行きたいと思いますか?私はまったく思いませんね。トランプと同じで、ただの観光目的でさえ、予想不可能です。まるで中国観光旅行が持つリスクと同程度。日本人には最悪です。

昨日引用した、木村太郎氏というジャーナリスト。どんな英語を話すのかを知りたく検索するとこんな動画がありました。本日のネタはそれです。

彼の経歴がwikiに書かれています。アメリカで生まれ、幼児の頃に日本に渡ったのですね。NHK、フジテレビのあと、フリー、という経歴のようです。彼が21時のNHKのニュースショウのアンカーパースンをやっていたのを覚えております。
木村太郎 (ジャーナリスト) | wiki

フジテレビという会社はかなり風変わりな会社です。出版業界はどんな本を出そうと原則自由ですが、テレビ放送会社は「放送法」という法律でregulateされて「政府」の干渉を受けます。電波は有限の資源であるためライセンス制であり、出版業とは違うという位置づけのためです。フジは反共産主義の立場から設立されました。既にこの「出自」の辺りで放送法の精神との治まりが悪いと私は見ます。木村太郎氏はフジテレビの夜のニュースショウに出ていた時は明らかに右寄りの立場から意見を言っていたように記憶しております。この頃、もう少しバランスのとれたコメントをしていれば、彼の評判はもっと良かっただろうと私は思いますね。フジサンケイグループと呼ばれ、フジTV、産経新聞ともにあまりメディアとして一目置かれたことがないことと同じ軌道の話ですね。

このvideoの最初の2,3分は飛ばしても良いでしょう。この放送局はHillsoroという場所にあるらしいですが、Tampa郊外のようです。ほぼ東京のような、暑くて、湿気が高いところです。ラジオ局ですが、放送に道路ノイズが入り込んで来ていますね。アメリカらしいおおらかさです。MCの黒人男性は気取った英語を話さない(話せない?)、そこら辺の黒人のおっさんという雰囲気ですが、Republicanのようです。黒人でRepublicanというのは昔はかなり異色でしたが、今は普通の現象ですね。



かなり良い英語を話しますね。ただ、アメリカで英語を身につけて育った人の、というよりは、外国語として英語を学んだという英語。ジャーナリスト特有の、相手に切り込もうとする、丁々発止の鋭さというものを見せることなく、あまりジャーナリスティックではないホストに合わせています。ただ、日本人っぽい英語は相当落としていますね。お年の割には木村太郎氏の声に張りがあるのが印象的。たいしたもんです。

この2人の話の先も興味がありますが、私は最初の4,5分位で切り上げました。普通最初にどんな話をするか、つまりどんな質問をするか、どんな答えをするか、おおよその時間の割り振りを打ち合わせるものですが、それはなし。ヘッドセットをつけて自分と相手の声をモニターしながら放送するタイプではありませんね。かなり、地方色豊かということなのでしょう。

このvideoをどうやってこの投稿者が入手したのでしょうか。本筋とは何の関係もありませんが、気になります。

26日の日本語ニュースまとめサイトを見ていて、木村太郎氏のpostに曰く「関税を払うのは米国人!?」。私はこれにちょっと驚かされました。もしまだであれば、先ず以下のその和文のpostを読んで見てください:


まとめサイトにはこのFNNのサイトだと明記されていなかったような気がしますが、これでした。我々としては、そのpostが言うSecretary Scott Bessentの以下のインタビューを見る必要があります:

 https://www.youtube.com/watch?v=VMBAxyImv0Q

なるほど。確かにそう言ってますね。このインタビューの後、場面は切り替わります。

こんな基礎的な事まで言う必要があるのか・・・と嘆息しますが、逆に言えば、木村氏の記事のように、ここまで言えば、議論の余地のない、完璧な事実認識になります。

正直に申しますと、私はドン・トランプの、tariffは輸出者が払うというコメントはあまりにも馬鹿げた話であり、そんなことを論じるまでもない、と思っていましたが、そんな表現では相手の心臓を突くとどめの一撃にはならない、のですね。私は甘かった、というわけです。

ところで、このYouTubeのcaptionを改めて目でチェックしてみて何かを感じませんか?Bessent admits consumers may feel tariffs...多分このfeelの意味、用法に漠然とした違和感を感じたと思います。「feelじゃ少し変じゃね?」私もそう感じます。これはfeelのjounalisticな用例です。言わば生きた見本。ジャーナリストがfeelを使う時は、大抵このような「否定」「反対」「苦痛」が目的語に置かれるときです。つまり、肯定的な、賛同を得やすい、快楽を伴う事柄を取ることはありません。私が調べた限りでは、辞書には載っていませんでした。ですが、この用法はしょっちゅう見かけます。例えば、数週間前になりますが以下のもの:
Who's Feeling the Pain of Trump's Tariffs? | The Economist
https://www.economist.com/finance-and-economics/2025/07/27/whos-feeling-the-pain-of-trumps-tariffs

なぜジャーナリストはこんな用法を選択するのかに関するChatGTPの説明は、softening/euphemismだという説明。おそらく英語圏の辞書編集者は、このfeelの用法を取り上げるべきかどうか悩むところだろうと私は思いますが、辞書がすべての語釈、用例を網羅することはありません。これに対して、feelで言えば、feel like doing というidiomはすべての辞書で掲載されています。こちらの用法を落とす訳には行かないでしょう。おまけでしたが、英語のジャングルの奥はなかなか見えないものですね・・・

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