日本で報道されるアメリカ最高裁の判決は、判事が〇対△で、これこれという判決になって、というようなもの。TV記者はstraight faceでそのように言っていますね。実はアメリカの憲法には、最高裁の判決は多数決(あるいは別の何々という手法)によるべし、という規定はありません。(おそらく日系報道陣の殆どはそんなことを知らないのだろうと私は思っております。)これは先日取り上げたJohn Marshall以来の慣習です。ですがそれはMarshallのオリジナルでは決してありません。それはイングランドのcommon lawの伝統です。なお、少数派の判事の意見が、判決に添えられるのは、Marshallが採用した手法ですが、これのオリジンもまたイングランドのcommon lawに由来します。なお、この付属意見のことを英語ではseriatimというラテン語で呼びます。本来のラテン語の意味とはかけ離れているようですが、代わる代わる意見を言う、ということを指しているのでしょうね。common lawとは、イングランド式の、明文化された法律と慣習とが合体している法体系を指します。つまり、アメリカの法にある色々な課題のひとつは、私見では、このようなイングランドから持ち越されてきた法慣習が入り込んでいることです。これが法律を必要以上に難しくして素人を遠ざけて専門家に委ねざるを得なくしていると思います。なお、common lawの反対語はcodified law 成文法などと呼ばれます。
このブログは言語を扱いますのでまず言葉を整理。「多数決の原理」、英語では majority rule と言う名詞句になります(以下でMR)。rule of majorityなど他の言い方もたくさんあります。これと非常に良く似た言葉 majoritarianism という言葉があります。majoritarianismの方は、手法に注目する時の用語、MRの方は、投票数の多い方が最終決定となる(勝つ)という原則を示します。あまりにもMRが安直に使われているために、我々はそれ以外の方法を忘れていますので、ここで整理をして置きましょう。初出をチェックするとMRのは1842だそう。majoritarianismは1942です。意外と最近なのですね。
majority rule | M-W
最近の日本の国会議員たちのコメントを聞いていると、どうも彼らはこれらすべてを忘れて、常にMRでやろうとしていますが、それは民主主義の手法のひとつに過ぎないことを我々は想起する必要があります。つまり、貧弱な民主主義と呼ぶべきもの。貧弱な民主主義からは貧弱な政治しか生まれません。非常識な軍人の暴走を許した明治憲法の欠陥こそが日本の敗戦の元凶でしょう。
アメリカのNEには独立以前からタウンミーティングの伝統があります。町の住民が集まって色々な事柄を自分たちで決めますが、それは決してMRではありません。常にconsensus decisionを目指して行われます。そして、アメリカのタウンミーティングでの重要なcommon senseは、全員一致の結果に対する生理的不信感です。教育のあるなしに関係なく、全員一致というのは少し変かもな、という感覚。買収などの不正が行われた可能性があることを示唆しています。
おそらくこれはイングランドから持ち込まれたもの、というよりは、NEで醸成された文化でしょう。というのは、このエリアではPuritanismが支配的だったからです。イングランドではそんなことはありません。というか、Puritanismが嫌われて、国外追放になり、最終的に今日NEと呼ばれるエリアに信者たちがたどり着いたと言う歴史があります。日本国憲法は私見ではNEの文化の産物です。
このブログは言語を扱いますのでまず言葉を整理。「多数決の原理」、英語では majority rule と言う名詞句になります(以下でMR)。rule of majorityなど他の言い方もたくさんあります。これと非常に良く似た言葉 majoritarianism という言葉があります。majoritarianismの方は、手法に注目する時の用語、MRの方は、投票数の多い方が最終決定となる(勝つ)という原則を示します。あまりにもMRが安直に使われているために、我々はそれ以外の方法を忘れていますので、ここで整理をして置きましょう。初出をチェックするとMRのは1842だそう。majoritarianismは1942です。意外と最近なのですね。
majority rule | M-W
majoritarianism | M-W
最初の決議方法は全会一致です。英語ではunanimous decisiontです。外交ではunanimous decisionが普通です(国連総会は別として)。このためしばしば「会議は踊る」ことになります・・・
その次は、consensus decisionというもの。unamimousよりも少し緩いやり方で、反対がひとりでもいたら不成立というほどでもないが、全参加員は説得すること、されることに努力する、という形。
次が、supermajority decision というもの。これは単に過半数ではなくて、普通は2/3以上、あるいは規定によっては90%以上というような場合もあり得ます。
その次は、過半数以下の場合。plurality decision と呼ばれます。日本語訳では「相対多数」と呼ばれますが、英語よりずっとわかりやすいですよね。
これら以外にも、最も不人気な選択肢を1回投票毎に排除してゆくやり方、議長一任方式などがあります。
最初の決議方法は全会一致です。英語ではunanimous decisiontです。外交ではunanimous decisionが普通です(国連総会は別として)。このためしばしば「会議は踊る」ことになります・・・
その次は、consensus decisionというもの。unamimousよりも少し緩いやり方で、反対がひとりでもいたら不成立というほどでもないが、全参加員は説得すること、されることに努力する、という形。
次が、supermajority decision というもの。これは単に過半数ではなくて、普通は2/3以上、あるいは規定によっては90%以上というような場合もあり得ます。
その次は、過半数以下の場合。plurality decision と呼ばれます。日本語訳では「相対多数」と呼ばれますが、英語よりずっとわかりやすいですよね。
これら以外にも、最も不人気な選択肢を1回投票毎に排除してゆくやり方、議長一任方式などがあります。
最近の日本の国会議員たちのコメントを聞いていると、どうも彼らはこれらすべてを忘れて、常にMRでやろうとしていますが、それは民主主義の手法のひとつに過ぎないことを我々は想起する必要があります。つまり、貧弱な民主主義と呼ぶべきもの。貧弱な民主主義からは貧弱な政治しか生まれません。非常識な軍人の暴走を許した明治憲法の欠陥こそが日本の敗戦の元凶でしょう。
アメリカのNEには独立以前からタウンミーティングの伝統があります。町の住民が集まって色々な事柄を自分たちで決めますが、それは決してMRではありません。常にconsensus decisionを目指して行われます。そして、アメリカのタウンミーティングでの重要なcommon senseは、全員一致の結果に対する生理的不信感です。教育のあるなしに関係なく、全員一致というのは少し変かもな、という感覚。買収などの不正が行われた可能性があることを示唆しています。
おそらくこれはイングランドから持ち込まれたもの、というよりは、NEで醸成された文化でしょう。というのは、このエリアではPuritanismが支配的だったからです。イングランドではそんなことはありません。というか、Puritanismが嫌われて、国外追放になり、最終的に今日NEと呼ばれるエリアに信者たちがたどり着いたと言う歴史があります。日本国憲法は私見ではNEの文化の産物です。