字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2024年12月

本論の前に。BS松竹東急という放送局が以下の映画をノーカットで放送します:
12月31日(月)22時から『2001年宇宙の旅』

この映画で登場する俳優はすべてイングランド人です。AEの映画ではありません。この種の英語はAtlanticと呼ばれますが、こんな英語を話す人々は存在しません。人為的な英語なのです。このためこのブログで紹介したことはありませんが、無償ですので、是非を議論するよりは、先ず見ることをお勧めします。BS松竹東急のチャンネル番号はたしか260です。誰でも契約なしで、無料で見ることができます。

さて、マッキンゼー社は色々な、興味深い情報を無償で発信しております。今後の予測される産業別の動向に関する興味深いレポートがありましたので紹介いたします。


これは同社の社員が書いた(描いた)ものです。各種の情報をうまくschematizeしてありますので、長文を読む作業は必要ありません。

これは同社の予測です。他の見解もあるはずです。ただ、私のように最近の実務から遠ざかっているものにはこの予測は魅力的です。あなたが従事するであろう産業は今後30年以上にわたり繁栄していることが望ましいでしょう。業界が拡大していればこそ、たくさんの人に出会い、色々な経験を積み、様々なチャンスが生まれ、昇進し、良い収入を得ることができると思います。あなたがemployedであろうとentrepreneurあるいはfreelanceであろうと、それ(成長している業界を選ぶこと)は大事なことです。

一覧して気になることを2,3点。e-commerceの現在、将来の市場規模がこんなに大きいとは。売買というのはあまり知的な産業ではないと私は思っていましたが、そうとは限らないのかも知れません。digital adsが意外と大きな存在感を持っていて、将来は更に大きくなっているとの予測。半導体産業と似たようなサイズというのが本当に驚きです。サイバーセキュリティとバッテリーが似たような規模というのも意外。核分裂エネルギーを利用した産業?私には原子力発電しか思い浮かびません。今から5,60年前にはこれはものすごい脚光を浴びた産業でした。特に、日本のように地下資源に恵まれない国には。ただし、それは物理学の知識の無い人々の間の只のwishful thinkingに過ぎなかったと私は結論付けます。

あと、スキルと業界の組合わせも大事なことかも知れません。あなたが仮にcomputer securityの専門家だとして、その業界で活躍する、という手もありますし、同じスキルを例えばe-commerceの業界で生かすと言う手もありますね。

McKinseyのこの予測は100%正しくないかも、という眼で見ることをお忘れ無きように。

昨日の続きです。

さて、この長いmonologで私は何を訴えたいのか・・・20世紀の世界史は、一言で言えば、ヨーロッパという、「世界の中央」から見て、「部外者」ではあったがリッチなアメリカが登場し、WWIIで勝ち、戦後はMarshall Planで戦費の負担がなくなった分を貧民救済に充てた時代です。それはMarshall Planであり、Fulbright Programだったのです。これが世界平和に果たした役割は非常に大きかったと思います。

圧倒的経済力で20世紀の折り返しを過ぎ、その豊かさは続きましたが、豊かさでダントツの1位であったアメリカは、徐々にEUの2位集団グループに吸収されたところで20世紀が終わりました。その頃に、冷戦の相手であったソ連は自己崩壊し、世界の舞台から消え去り、忘れ去られました。21世紀の始まりは9.11のテロでした。ここから先はあなたもご存知でしょうが、冷戦は終わったけれども、アメリカの主導でイラクを懲らしめるための戦争が多国籍軍対イラクという構図で始められました。つまりcold warはなくなったが、hot warが先進国の間で再生されたました。この時代にアメリカができる貢献があるはず。

アメリカ、ドイツ、フランスなどの先進国の主要メンバーは現在の無定見な難民・移民政策を止めるべきです。どの国でも移民が人々を不安にし、その不安が極右政党の躍進の原動力になっています。それが先進国の間の分断を進めることになるでしょう。解決はあります。それは中東(トルコ?)とメキシコのどこかに、難民、移民受入れゾーンを作り、そこで移民を受入れ、彼らと子供たちに近代的教育を施せば、少なくとも子供たちは自立のためのスキルを手に入れることができます。その上で母国に帰るなり、次の国に正しい移民としてビザを取得して移民して行くという選択をさせる。これは戦争のコストより遙かに低廉でしょう。このアイディアにおいてアメリカは再びリーダーの役割を果たすことができるでしょう。

アメリカは経済と軍事以外では中身のない国です。他の国が持つような、文化、伝統を捨て去ることでひたすらに経済を伸張させてきた国です。アメリカに再度チャンスを与えようではありませんか。これこそがMAGAだと私は思います。

このブログで過去何回かに渡ってアメリカという巨大市場の特徴を主にGDPのデータを元に概観して来ましたが、本日は同じものを私の目を通してどのように見えてきたのかを書きます。第2次世界大戦で、アメリカは2つの大きな戦場で戦いました。ひとつは、Battle of the Atlanticと呼ばれるもので、要するにヨーロッパ大陸を戦場として連合国と枢軸国が戦い、連合国が勝利しました。もうひとつは、War of Pacificと呼ばれるもので、西太平洋全域で日本が連合国と戦い、連合国が勝利しました。(このbattle, war, the の使い方は興味深いですねぇ。あなたは説明できます?)

戦後、ドル円は360円/US$というレートで固定され、明治初期に人為的に設定されたレートから見ると360分の1の価値となりました。これにも光と影がありますが、光は日本は輸出産業に邁進できたことでしょう。普通、輸出というのは余剰物を海外に送り出す行為ですが、日本では最初から輸出することを目的に高級な生産物が作られていました。私の子供の時に、ホンダはCB250 EXPORTという自動二輪車をアメリカなどに輸出していましたね。最初からexportを付けることで、これが海外で受入れられているグレードである、high standardである、ということを日本国内に植え付けるためにそうなったと解説されていました。影はアメリカの並外れた豊かさでした。西ヨーロッパの国々は皆疲弊していて、日本の国情(経済情勢)よりは多少はマシという程度だったはず。

この時のアメリカは輝いていましたね。映画で言えば『ベン・ハー』『史上最大の作戦』というようなカラー大作映画が作られ世界中どこでも見られたはず。日本でテレビジョン放送(白黒)が始まったのが1953年、昭和28年でした。そこで垣間見えたのは、アメリカ庶民の途方もない物質的豊かさでした。東京のほとんどの道路が未舗装でぬかるみだらけだった頃、アメリカでは一つの家庭に車が2,3台あったことがTVドラマでわかりました。セントラルヒーティングシステムの家庭のドラマを、練炭のコタツで見ていました。燃料は練炭(れんたん)。このため冬には毎晩のように日本のどこかで一酸化炭素中毒で死人が出てました。

最初の日本の経済発展でのoutputは布地、衣服でした。傾斜生産方式でいわゆる軽工業が最初にtake-offして、繊維産業の中心であった大阪地方が潤った時代です。日本の輸出攻勢に歯止めをかけるべく日米繊維協定なるものが政府間で設定されました。

1960年代には、徐々に重工業を回す力を日本が持つようになり、劣悪な品質だが、格安の、繊維以外の製品が登場し始めました。ホンダの場合、最初の製品は自転車におもちゃような小型ガソリンエンジンを付けて、漕がなくても走る、ペダル付きの自転車でしたが、やがて自転車の骨組みではない、ちゃんとした強度の自動二輪車を生産するようになり、輸出もしました。アメリカではハーレー(&ダビッドソン)が標準的な自動二輪車でしたので、エンジンサイズがまるで違います。やがてホンダは中型エンジンも製造するようになり、アメリカ向けに中型自動二輪を輸出し始めました。最初の頃の評判を私は知りませんが、1960年代後半には、ホンダのバイクは簡単に壊れない、耐久性、信頼性が良い、という評判がアメリカで立ち始めました。その頃にはスズキ、ヤマハも輸出していました。

この背後にあったもの、それは「デミング賞」でした。アメリカの品質管理専門家エドワード・デミングのTQCという考えを広めて、それを積極的に輸出志向の日本企業は取り入れていました。それにより品質向上がめざましかったと言われています。その頃のハーレーのアメリカでの評判は最悪で、ハーレーのブランドに執着する人以外は、アメリカ人でも日本製バイクをfirst choiceするようになっていました。その頃にはホンダは四輪車も製造、一部は輸出していました。

1973年に中東でイスラエルと周辺国との間で第4次中東戦争が始まりました。この戦争から湾岸産油国は石油の輸出先をコントロールするようになっていて、親イスラエルの国への輸出を止める、とおどしました。これがいわゆる(第1次)石油ショック(1973)を引き起こしました。それまで安かった石油はこの時から値上がりを始めました。世界最大の産油国であったアメリカは大輸入国でもあったために、ガソリンの製造が足りなくなりました。この時に、ホンダなど日本製の小型車が燃費が良いというので、それまで大型車志向のアメリカ人が日本製の小型4輪車に切り替え始めました。

アメリカは基本的に公共交通機関がほとんどない、珍しい国です。代わって個人が自動車を保有します。当時の自動車は排ガスをそのまま放出する構造で、アメリカの大都市は特にsmogで呼吸器系の病気を引き起こすレベルでした。これを自動車メーカーに改善させる目的で「マスキー法」と呼ばれる法律が制定されました。マスキーとはアメリカの上院議員の名前です。年を限って改善を促したのですが、アメリカの自動車メーカーは達成できず、何度か繰り延べされていました。そこに日本のホンダが1973年にCVCC方式のガソリンエンジン(往復運動)を開発し、マスキー法をクリアした第1号となりました。当時のシビックという小型車に載せました。たしか1000か1300ccのエンジンでした。アメリカではこれはプレミアム付きで売れましたし、日本でも売れました。この頃、ホンダは日本車の中でアメリカ人に最も愛されるブランドとなりました。(しばらくたってからトヨタに取って代わられまましたが・・・)ただ客観的に言って、その頃の日本車はほとんどおもちゃレベルです。VW、Volvoなどがちゃんとしたクルマであったのに比べて、新品なのにポンコツでした。

ドル円交換レートは1971年に固定から自由化されました。徐々に円の対ドルでの価値が上がっていきました。この第1次石油ショックの頃は300円位だったはず。また、その頃のアメリカでは人種差別は当たり前に行われていましたし、人種隔離(白人用のホテルと黒人用のホテルを分けるなど)も南部では普通に行われていました。

1963年8月のMartin Luther Kingの有名な"I have a dream speech"は、この時にDCで行われたデモ The Great Marchの締めくくりに行われました。 南部訛りの英語で、しかし、どことなくリンカン大統領のゲティスバーグ演説に似た言葉で始まる有名な演説です。もしあなたが聞いたことがなければ一度は聞くことをお勧めします。

明日に続きます。

ChatGTPがこのブログのあるpostをチェックしていったようです。これは光栄なことなのでしょうか。気になります・・・

さて、先日、兵庫県の行政をめぐるゴタゴタに関して私が書いたpostに、ちょっとだけ補足のようなものを書き足します。ポイントは日本の後進性です。

関東地方は日本のGDPの4割を作り出します。ここにだけいても見えて来ないのは、県、市町村が作り出す公共事業の大きさです。地方ではまともな産業がないところが多く、特に零細企業にとっては、土木、建築関係の公共事業は大事です。昔、北海道に出張すると見えてきたのは、河川の護岸工事でした。原野の河川で地元の零細土木業者が延々とコンクリートブロックなどで護岸工事をしていました。背後に人家が多いのであればやる意味はあったかも知れませんが、middle of nowhereで鉄道、バスから見えるその光景は東京人から見ると異様でしたね。聞くと、冬になると工事ができなくなるので、そのような会社はだいたい除雪機を所有していて、冬は除雪作業に従事するのだそうです。なるほど。そうすると通年で事業ができるわけです。ということは、公共工事の入札では、ある程度の利益率で、地元の業者に仕事が行き渡るように配慮することは重要でしょうね。これが談合、官製談合が減らない理由でしょうね。

北海道、九州などで地方都市に行くとおいしいものを食べに連れていってもらうのは楽しみです。私のある小さな経験。地元で最高と呼ばれる寿司屋に連れて行ってもらったのですが、あまり食べることができませんでした。理由はトイレの臭いです。汲み取り式でした。「アレ」の直接的な臭いはありませんでしたが、色々な薬剤をつかってごまかすようなことが行われていましたので、その商品の香りが店の中にわずかに流れ込んで来ていました。申し訳なかったですが、まったく食欲湧かず。ビールをちょっと飲む程度でした。連れて行ってくれた人は気がついていたと思います。それはともかくとして、ちょうど私のその経験に前後して、地方都市では下水処理が行われるようになったと思います。それと引き換えるかのように、河川の護岸工事を見なくなりました。両者に関係があったかどうか確実はことは解りませんが、私はあったと思います。つまり、護岸工事は災害から原野を守るために必要だったのではなくて、どんな仕事でも良いので、公共工事をやること自体に意味があったのです。下水処理施設のある快適さに地方の人々が気がついて、無駄な公共工事をやるよりも下水道を敷設するほうが、快適度も都市の価値も上がることに気がついたのでしょう。リタイヤしたので今これらの地方都市がどうやっているのかは知りません。

これって、すっぽりそのままケインズ式の公共工事論ですよね。これが地方経済の実態です。兵庫県知事はここにメスを入れたのです。当然、地元の土木関係者も、県公務員も、古い文化に染まっているひとから見ると許せませんよね。彼を賞賛する人はリベラル派でしょうし、彼を批判する人はケインズ式理論信奉者というわけです。普通、市役所、県庁などの採用のかなりの部分は縁故採用です。つまり、有能だろうが無能だろうが、市長、市会議員、県知事、県会議員からのプッシュがあるので、人事部はそれらの意向を反映した採用をします。このため県庁公務員も多くは地元経済温情派です。これが実態だろうと私は思っております。

ですので、戦い方としては、使える材料は何でも使うはず。たった70万円で公職選挙法違反の買収の容疑をかけられる。しかもそこには、本来的合法的なな業務に対する対価が含まれており、仮に買収のためのお金が潜り込まされているにしても本のわずかでしょう。実にばかばかしい話ですが、反知事派は最大限に活用したいでしょうね。

東京のような大都会に住んでいると、地方の政治、経済のことを東京の延長で考えがちですが、東京と地方都市の政治はまるで別物だという認識をもつことで、あなたの見識は相当深くなると思います。日本の地方都市は、こんな遅れた世界なのです。アメリカもある程度似たところがあります。特にアメリカのdeep southと呼ばれる諸州はUSAとは別の文化圏だと思った方が良いでしょうね。映画が誇張しているのではなくて、Houston, TXは例外であり、一歩郊外に出ればそこはdeep southなのです。

今日は少し英語から離れて・・・

自分に課す義務のひとつは、日本が前回の戦争に至った経緯について自分なりに知る、学ぶことです。なぜ日本が敗戦に向かって転げ落ちていったのか、そこにどんな誤り、洞察、教訓があったのかを私は知りたいし、日本人には知る義務があると思うからです。と言っても、私の場合は御前会議議事録のような、あるいは東條英機の日記というような第1次資料を調べることはやっておりませんし、やろうとしても出来ないでしょう。先人の書いた、活字になった本を読む程度です。今読んでいるのは保阪正康著『東條英機と天皇の時代 ---軍内抗争から開戦前夜まで』上下巻、文春文庫です。この本が読むべき資料だと知ったのは最近です。

保阪氏は今まで4千人の関係者にインタビューしたそうです。その経験から彼が言うには、インタビューに応じる人は1:8:1に分かれるそうです。1は、正直で、客観的な証言をする人々、8は自分のことを美化する人々、1は嘘をつく人々。まるでPareto's principle (いわゆる80:20の法則)の仲間のようですね。これは、NHKのある番組の中で彼が言っていたことです。4千人から聞けば、相手がこの法則のどのカテゴリーなのかはすぐ解るでしょうね。私としては、ここにインタビューに応じない、応じなかった人々のことも入れて欲しかったですね。(なお保坂氏自身は「1:1:8」と言ってますので、もしあなたが検索するのであれば、こちらを使う方がよろしいでしょう。)

日本の軍事関係の資料の大半は終戦時に、8月15日から占領軍が統治を始める前までに、焼却処分されました。軍の幹部が自分たちに都合の悪い証拠を残してそれが占領軍に渡ることを恐れたためです。このため極端に原資料が少ないので、小説家などが勝手な想像を膨らませることができます。その分、事実を知りたいと思う側には残念です。

と言っても、私の場合は御前会議議事録のような、あるいは東條英機の日記というような第1次資料を調べることはやっておりません。先人の書いた、一般人向けに活字になった本を読む程度です。今読んでいるのは保阪正康著『東條英機と天皇の時代 ---軍内抗争から開戦前夜まで』上下巻、文春文庫です。この本が読むべき資料だと知ったのは最近です。

さて、昭和初期の時代には、難しい漢字がたくさん使われていました。例えば「とーすいけんのかんぱん」?何のことでしょう?統帥権の干犯と書きます。干犯とは今の言葉で言えば「侵害」になるでしょう。立憲君主制の日本で、天皇が持つ軍隊を指揮する権利の侵害、と言えば解りやすいところを、わざわざ統帥権の干犯と書きました。当時の新聞は基本的には漢字にはルビを振っていましたので、読者は最低限は読めたでしょうが、意味するところは一部の人にしか解らなかったでしょう。もうひとつ例を探すと「そうもうのしん」です。草莽の臣、と書きます。草莽とは草っ原のことのようです。転じて、在野の、という意味。「臣」とは、家臣の意味、あるいは「人」の意味です。東條英機は国会での質疑において、戦時経済は首相の独裁主義ではないのかという趣旨の質問に対しての答弁で使った語句です。自分を指していますので、意味は「在野の取るに足らない、矮小な人」ということになるのでしょう。東條の曰く「東條というものは草莽の臣で、東條そのものはあなた方と一つも変わりはしない・・・」という文と共にとりとめのない冗長な答弁をしたことが議事録に記録されているとのことです。これは国会での答弁ですよ。

同書には、他にも、人生で初めて見る漢字、語句が結構多いです。(なお、私は旧字には結構強いですよ。昔、私が高校生、大学生の頃には、岩波新書、文庫には、旧漢字、旧かな遣いの本が結構ありました。改版の途中だったのでしょう。このため旧字を知らないと読めない本が結構あったためです。「こくたいごじ」とは「国民体育大会の5時」ではありません。当時は「國體護持」と書き、意味は「天皇制の維持」です。つまり、国体とは天皇制のことです。)

今とは使われる言葉が少し違うし、字も違います。保坂氏の上記の本の中には、日本政府が使った電文が数多く引用されていますが、送信側の原稿の電文を、受信側で漢字仮名混じりの正しい文に復元したのか、できたのか、大変不思議です。軍隊の電報係はただの下っ端であり、大学出のエリートではありません。軍隊が使う、つまり軍人が使う言葉は簡潔で誤解の余地がないのが理想です。ですが、どうも彼らが使った文書言葉を保坂などの書物を通して見ると、難解だと思わざるを得ませんね。東條英機はおそらくその代表でしょうね。有名な『戦陣訓』を、鉄砲を抱えて走り回るレベルの兵隊は暗唱させられましたが、正しく理解していたのか甚だ疑問です。

さて、話を「干犯」に戻すと、「コトバンク」に興味深いことが記載されています:

デジタル大辞泉 「干犯」の意味・読み・例文・類語
かん‐ぱん【干犯】
[名](スル)干渉して相手の権利をおかすこと。「統帥権の干犯」
出典 小学館デジタル大辞泉

精選版 日本国語大辞典 「干犯」の意味・読み・例文・類語
かん‐ぱん【干犯】
〘 名詞 〙 干渉して他の権利をおかすこと。
[初出の実例]「上議府は尊厳にして干犯すべからず」(出典:明治月刊(1868)〈大阪府編〉五)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典『精選版 日本国語大辞典 』では初出例が示されているのですね。OEDだけの事柄ではないようです。初めて知りました。この干犯の初出は1868年ということです。

干犯(読み)カンパン
デジタル大辞泉 「干犯」の意味・読み・例文・類語
かん‐ぱん【干犯】
[名](スル)干渉して相手の権利をおかすこと。「統帥権の干犯」
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「干犯」の意味・読み・例文・類語
かん‐ぱん【干犯】
〘 名詞 〙 干渉して他の権利をおかすこと。
[初出の実例]「上議府は尊厳にして干犯すべからず」(出典:明治月刊(1868)〈大阪府編〉五)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

普及版 字通 「干犯」の読み・字形・画数・意味
【干犯】かんぱん
おかす。ふれおかす。〔後漢書、史弼伝〕至戚を干犯す。罪、誅を容れず。懣に(た)へず、んで死をして以聞(いぶん)す。
字通「干」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」

「至戚」とは、「近い親戚」を指す中国語のようですが、ここでは意味はさておき、その用例としては、この辞書編纂者は『後漢書』の中の文を挙げております。

以上のことから解ることは、「干犯」という言葉は、もしかすると明治初年に日本語環境では初出のようであること、一部の日本の知識人が読んだかも知れない漢籍においては『後漢書』の中で使用例があることです。明治初年に初出の言葉が、軍人、政治家によって1930年代、40年代には頻用される言葉になっていることを推測できます。背後に何があったのかはわかりませんが、さほど知的に傑出したとも思えない高級軍人が背広組のとのパワーゲームにおいて頻用する、便利な言葉になっていたようです。しかし、誰も「そんな変な言葉使うの止めようよ」とは言わない、言う雰囲気ではなかった、ということです。

中国文明は偉大です。ですが、10万とも15万とも言われる「漢字」はその偉大さを支えたのか、あるいはおとしめたのか。本当にそれほどに必要だったのか。中国文明と向き合ってきた日本人は1万かせいぜい2万字程度しか輸入しなかったのですが、心のどこかに、中国文明に対する劣等感があって、字数は多い方が勝ち、に近い、暗黙の心理が働いていたのではないでしょうか。

私の場合、そんなことは最初から放棄しております。漢語をより多く知っている方がエライ、と言うような判断基準はばかげております。平易、明晰な、少ない言葉で的確に表現する方が知的に洗練されていると私は思います。英語でも同様。普通のアメリカ人が知らないような単語を振り回しても何の意味もありません。フランス語、ラテン語由来の言葉をまぶしても誰も褒めてくれません。もし叶うならば、対話を通じて相互に高めあい、単独では望むべくもない、知性の更なる高みにたどり着きたいものです。そのためにこそ、我々は相手から発せられる、知的な言葉遣い、高度な語句の持つ力を受け止め、理解する、ある程度の能力を持つことが望まれます。

ここに掲げる文字はある冷凍食品の中華麺の商品名です。日清食品はこれを「びゃんびゃん麺」と読んbiyanでもらいたいようです。playfulな気持ちがあってこのレタリングが採用されたのでしょう。しかし、必要もなく過度に表意文字を変形しているだけなのでは?簡素さ、明快さを尊ぶ気持ちは皆無ですね。しかし、日清は排除するわけでもない。ここには「統帥権の干犯」と似た、知性の敗北があるように私には見えます。ここにあるのは、民間人専門家、背広組政治家、外交専門家らに対する劣等感の裏返しがあり、他者を恫喝してしか内閣を運営しえない東條英機らの職業軍人の知性の限界に似たものがあるように私は感じます。まあ、大上段に振りかぶりながら、最後は面白みのない話題で終わる・・・自分の拙さを改めて感じます。

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