字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2024年09月

29日のニュース速報で、石破茂氏は新外務大臣に岩屋毅(いわや・たけし)氏を任命したそうです。新首相の組閣ということに対しては私は反対しております。こんなに頻繁に行政のトップを入れ返る国を私は知りません。このことは「トップ」が変わっても、その組織は何も変わらないことを暗示しています。つまり誰がなっても同じ、ということです。これではトップを代える意味がありません。反対です。そんなことを言っても事態は変わらんでしょうから彼の英語を吟味したく。

岩屋毅 wiki

このwikiのpostを見ると、親も職業政治家であり、本人はラ・サール中高から、早大政経です。ということは、親は東大に入って欲しかったということでしょうが、かなわなかった。東大には今のところ裏門はありませんので、この辺は勘繰りようがありません。滑り止めの早大に入った、ということでしょう。岸田文雄氏のお仲間。



彼の英語を示すvideoを探したのですけど、これしかありませんでした。10年位前のFCCJでのインタビューです。あなたが見る価値は?ないでしょうね。

紹介のあと、3:00位のところから彼の10秒位の彼の、通訳なしの英語でのスピーチがあります。これを元にするしかありません。ここで彼が言うのは allow me to sit because I have a backache です。これは読者からいただいた指摘ですが、私には最初はそう聞こえませんでした。恥ずかしいのでどう聞こえたかについては消去させていただきました。ただ彼の発音があまりにも「美麗」過ぎて私のようなボンクラ頭にはまだ十分に飲み込めていないところがありますが・・・

いずれにせよ、以下のコメントについては、書き換える必要性はないだろうと思います。すなわち、ラサール、早大のコースで英語をやってきてもこの程度か、という驚き。私は日本の庶民の英語教育については諦めていますが、エリート候補についてはしっかりやってもらいたい、と思っております。それはともかくとして、早大の英語の問題は過去問でほぼ必ず登場しますが、かなりレベルが高いですよね。それでもこの程度・・・ 諸外国の外交トップは最低でも英語は話せます。そのレベルも様々ですがちゃんとした議論ができる程度は誰も達成しているはず。日本だけが突出して英語音痴の国であり、外交トップといえども英語はなきも同然。悲しいですね。斎藤秀三郎だったら「バカヤロー、ちょっとはまともな英語を話せる奴を連れて来やがれ」と江戸弁で野次をとばすことでしょう。
注 英語は必要とされる能力の一部に過ぎません

本論の前に。石破茂氏がどのような英語を話すか興味があります。探しましたがなし。彼はどこでも日本語一本槍ですね。鳥取県の大学の教育学部付属小中、慶應義塾高校を経て、慶応大法。塾高の偏差値は、表から入るにはダントツに高いので、おそらく彼は相当な頭脳を持っているはず。一体英語の勉強はどうしていたのでしょうか。もしかすると、アキオ氏と同様に裏の方からでしょうか。塾高のような高偏差値の学校の試験ではどの教科であれヘマをするとすぐに合格圏から離脱しますので、主要科目全体で優秀でないと。つまり、英語も相当なレベルでないと正規の合格は難しいはず。もしかすると・・・

現職の岸田文雄氏は開成高校から早大。それであの程度。安倍晋三氏は成蹊大学のエスカレーターでしたが、記憶に残る首相。でも、小泉進次郎氏を見ると変な大学で、やはり少しアブナイ感じが・・・この辺りは難しいですね。それはともかく、以下のビデオを見ても何も参考になることはありません。ただ、数年前に「総理大臣」だか「党総裁」だかになることについてこのFCCJのインタビューで解説していますので掲載するのみ。見るのは我々には時間の無駄でしょう・・・



さて、先日読売新聞のコラムに興味深いpostがありました。引用します:

日本の英語教育の父、斎藤秀三郎は鋭い聴覚の持ち主だった。英国のシェ ―クスピア劇団の来日公 演に出かけ、セリフのおかしさに気づいた◆「おまえらの英語はなっとらん!」 というのをロンドン訛りの英語でヤジったと伝わる。後の世、日本人ながら斎藤師も満足する できでシェークスピアを演じた のが真田広之さんだろう◆1999年、英王室の名を冠するシェークスピア劇団に招かれ、ロ ンドンの舞台に立った。当時す でに米国に拠点を移しており、「本物をやり切るために、イギリスの英語を必死に覚えた」と 語っていた◆今度は日本の「本物」をやり切って、成功したということだろう。ドラマ「SHOGUN 将軍」のエミー賞受賞である。米テレビ界最高峰の 賞で、史上最多の18部門を制し た。日本から時代劇専門のスタ ッフを呼び、フジヤマ、ゲイシ ャに代表される誤った日本像を排し、世界を魅了する映像をつくりあげた◆「将軍」で終わり ではあるまい。真田さんといえば、若い頃の忍者アクションを思い出す。影の軍団シリーズが 懐かしい。ニンジャではなく、忍者の米ドラマを見てみたい (編集手帳2024.9.26)

こんな豪傑がいたのですね。斎藤秀三郎の名前は見聞きしたことはあるようですが、どんな人なのかまるで知らず:
斎藤秀三郎 wiki

例がいくつか並んでいますが、これを書いた人はあまり英語の素養がないと見えますね。impotent rageは「ごまめの歯ぎしり」ではありません。impotent rageとは憤怒のあまり自分を失うほどに取り乱すことです。目の玉が飛び出るに相当する英語慣用表現は別にありますし、そもそも21世紀の日本語ではそれはものすごく驚くことを指しています。ここでいう「ゴマメ」うんぬんとは取るに足りない小さな雑魚がツベコベ言っても誰も聞かないよ、という意味です。

さて、斎藤秀三郎は、山崎貞(てい)の師なのだそう。山崎貞の本は高校生の頃お世話になりました。たしか英文解釈の本だったはず。英文解釈ということは、ある程度の英語熟達者には、今の私から見ると漢文同様、まるで意味のない行為です。(これについては後日話題)こんな不毛な行為をするから英語を原文で読むという行為が遠くなります。あなたの英語レベルに応じた英語を原文で読む習慣を付けましょう。

さて、ChatGTPに上記のコラムの、シェークスピア劇の発音の話を質問しましたが、以下に彼の回答をコピペします:

The incident you mentioned involving Hidesaburo Saito, a renowned Japanese professor, criticizing the pronunciation of British actors during a Shakespearean play in Tokyo is indeed a notable story. However, detailed information about this specific event is scarce. Saito was known for his strong opinions and was particularly passionate about the English language and its proper pronunciation. He may have felt that even native speakers could falter in delivering Shakespeare's lines authentically, which prompted his outburst.

Criticizing British English pronunciation in such a public and direct manner, especially during a performance by British actors in Japan, would have required considerable courage and conviction. Saito’s boldness likely stemmed from his belief in maintaining high standards for English education and pronunciation, which he was known to advocate for. (以下略)

どうでも良い話ですが、書きたい。それは以下のwikiの中の文言:
特筆すべき概念 diomology(慣用語法学) ←〈付記〉なぜか私のスマホではI(アイ)の大文字?になり、スペースは無視されて、かなり正しい綴りに近く表記されます。アラビア数字で言えばそれは「 1_diomology」と綴るべきもの。そう補正して読んでください。

これを書いた人は別のところではちゃんとidiomologyと書いていますが、ここではなぜかローマ数字のoneを使っています。単にPCのKBに不慣れ?この程度のliteracyの人が、一体どこからこの綴りを引っ張って来たのか?斎藤秀三郎は多磨霊園から「バカヤロー」と怒鳴っているかも知れません。

昨日のpostにおいて、Van Scoyoc のことを書きましたが、その時に「名前学」のことを話題にするという計画を述べましたので、本日はそれを話題に。

「名前学」という言葉が日本語にあるかどうかはわかりませんが、英語にはあります。onomasticsと言います。M-Wにpodcastがありますので、それを聞いてみてください:

onomastics  M-W Word of the Day

元はonomatologyとということですので、ついでにそちらも:

onomatology   M-W

つまり、1845年英語圏で初出のonomatologyは約1世紀後には、onomasticsに取って代われたということです。(ちなみに、言葉の起源に関する学問はetymologyです。こちらの方は廃れずにずっと使われています。)etymonとは「本来の意味、真の意味」を意味するギリシャ語に由来します。関心のある方はetymonlineの説明をチェックしてみてください。

あまりetymologyになじみのない方もいるかと思いますので、簡単に説明しますと、onomatopoeia 擬声語という言葉の下線部は「言葉」を意味する古代ギリシャ語です。同じ語幹は nomenclature 命名法の下線部にもあります。ただ字面は少し違いますが、これも言葉の揺らぎ程度に解釈するとなんとなくすっきりします。なんでこんなことになったのでしょうか。それを想像する方が意味があるかと。古代ローマが繁栄の坂を上っている時、古代ギリシャは没落の坂を転げ落ちていました。このため才覚のある人々は、ギリシャを捨ててローマに移住して、家庭教師(当時学校はなかったので)、研究者、医者などの知的な職業に就いていました。当然「ギリシャ」と一言で言っても、色々な方言があったので、出身地により、造語する際に揺れがありました。ただし、ギリシャ語の中心地はアテネのあったAttic地方であり、その方言の名前Atticが標準的な言葉であったことは知っておいて損はありません。ギリシャ悲劇などの文学はAtticで書かれています。

では、昨日のVan Scoyocのつべこべは、onomasticsなのでしょうか。違います。それは日本語で言えば「人名学」に相当する分野です。英語ではanthroponymyと言います。

MW: a branch of onomastics that consists of the study of personal names
https://www.merriam-webster.com/dictionary/anthroponymy

この単語の分解方法は anthrop- + -onymy ですが、後者は onomatologyの onoma-に似てますね。onoma-とonymは実は古代ギリシャ語のどの方言から採用した、あるいは、中世以降だと、するかで、異なる言葉に見えますが、要するに同じ言葉です。我々は学者ではありませんので、細部に関して過度に神経質になるとかえって見失うものが出てくる恐れがあると思います。つまり、古代ギリシャの時代に、ギリシャで造語されたものもあるし、古代ローマにおいて造語されてラテン語として残ったものもあります。あるいは中世に中世ラテン語(New Latinとも)として造語されたものもあります。それぞれの方言がそれぞれに進化したはずですので、「その語形だと〇〇方言だ」というような過度に細部に渡る知識を持つ必要はないと思います。anthropo- という語形でetymonlineでは説明があり、ここでも古代ギリシャでの方言の話が登場します。ですが、我々はanthropo-とは「(神に対応する)人間」を意味する、ということでよろしいような気がします。つまりanthroponymyで意味はpersonal namesというわけです。

そうだとすると、名前の言われをある程度気にする、知っておくとその人の背後の歴史、命名した人の考えなどが浮かび上がってくるような気がします。その一例を申しますと、映画 To Kill a Mocking Bird (邦題『アラバマ物語』)の主人公Atticus Finchは人権派弁護士ですが、彼の名前はおそらくこのAtticから来ているのではないでしょうか。つまり、おそらく配役上では、彼はギリシャ系アメリカ人という設定なのかも知れません。Finchは鳥の名前ですので、おそらくブリテン島出身者の家系でしょう。Nightingaleが鳥の名前であり、人名でもあることと同じように。Atticus Finchの親は、自分が古代ギリシャのアッティカ地方の出自であることを誇りにしている、ということを暗黙のうちに原作の小説の中に織り込んでいたのではないかと私は想像します。ほら、意外とanthroponymyって興味深いでしょ?

この映画『アラバマ物語』(原題 To Kill a Mocking Bird)は既にこのブログで取り上げられております。前編が全体を紹介し、後編が語句を解説しています:

大谷翔平氏の活躍がシーズン末期なのに止まりません。彼がアナハイムからLA Dodgers (LAD)に移籍するという話が出たのは1年位前だったはずですが、結果的にはこれは大成功ですね。彼にとっても、LADにとっても。

彼の活躍において、多分、最大の功労者はRobert Van Scoyocですが、彼に関して大した情報はありません。(Van Halenのように、姓にvanが付くのはオランダ系です。Ludvig van Beethovenのようなもの。なお、彼の姓の意味は「ビート畑出身の」という意味です。ドイツ貴族のvonではありませんが、ウィーンの人々は誤解していたようです。従って、Van Scoyoc と綴るのが正しい綴り方でしょう。昔たしかこんな名前のMLB選手がいたような気がします。その人の息子か弟がRobertだろうと私は想像しています。あれこれ調べると Van Schaickという綴りが本来的なものらしく、Schaickはオランダの南部Brabant州の地名だそうです。なお、この「名前学」関係の事柄は明日の話題として別個に取り扱います。)さて、Van Scoyocは、数年前にLADに打撃コーチとして雇われました。彼はいわゆる fly-ball revolution の最大のadvocate だと見なされているそうです。そのポイントを日本人の野球の視点から要約すると、ゴロ(grounder)を打つよりも、fly-ballを打てば、より高得点が期待できる、というもの。それもただのfly-ballではなくて、初速、角度を一定のゾーンにコントロールすると、長打が期待できるし、条件が良ければホームランも期待できる、結果としてゴロよりも、確率的に高得点になるという統計データがある、とfly-ballersは考えるようです(fly-ballersは私の造語です。普及しているかは不問)。最近の大谷翔平氏のスイングを見ると、完全にアッパーですよね。それでもパワーでスタンドまで飛ばします。これにはおそらく彼の大きな体の質量と筋力の双方が関係しているはず。低い弾道で早い初速でスタンドに入るホームランです。昔の、大きな外野フライが長時間空中をフラフラさまよい、幸運でホームランになる、というものとは完全に違いますよね。それを可能にするのは、打者の筋力と体の重さだそうです。つまり、体の小さな小中学生がまねようとしても物理的に無理なようです。ということは、おそらくVan Scoyocのfly-ballismを具現化する最善のプレーヤーは翔平氏ということになります。

驚くことに、以下の記事を見ると、Robertは大したMLBでの活躍はないのですね。ちょっと大学で野球をかじった程度のようです:
Prized hitting guru Robert Van Scoyoc, 3 others join Dodgers coaching staff for 2019

もうひとりいます。翔平氏が1塁に出た時に、ヘルメットをゴチンとするあのオヤジ。彼の名前は Clayton McCullough。姓の読み方に悩みますが、以下のvideoが答えてくれて、人物紹介もしてくれます:


私にはこれはheartwarmingには見えませんが、LADのファンにはそう見えるのかも知れません。それはさておき、Clayton は走塁のエキスパートだそうです。最近の翔平氏の盗塁成功率は90%台の後半だそうですが、これは驚異的ですよね。おそらくClaytonの薫陶でしょう。彼は2,3年前Metsの監督(manager)候補としてinterviewされたことがありますが、結果的にはLADに残っています。Claytonも現役時代にプレーヤーとしては大した活躍はしていないようです。

最近、MLBにsabermetrics (データ野球)がどんどん取り入れられてきて、昔より野球がずっと面白くなってきたと私は思います。他のスポーツと違って、野球では攻守が瞬間的に入れ替わるというスリルがありませんが、代わりにスポーツと統計が絡み合って、ゲームをよりスリリングにしてくれています。そして興行主側もルールをよりcustomer-orientedな方向に変えて、顧客により楽しんでもらおう、顧客を増やそうとしています。pitch clockが良い例です。来季にはピッチャーの登板イニング数の縛りも登場する可能性があるようです。MLBは今、長期の退潮期にあります。他のプロスポーツにどんどん顧客を取られています。翔平氏のようなスーパースターが登場してくれたおかげで、業界全体が退潮を逆転させられるかも知れません。一方、甲子園での高校生、NPBのプロ野球を見ていると、伝統芸能を見ているような気がします。これで良いのでしょうか。WBCで日本が勝つのをうれしく思っている人々がいますが、おそらくそれは皮相的な見方であって、日本が強くなったという側面もあるでしょうが、アメリカで野球の相対的地位が長期的に低下しているからだと私は思います。今のMLBの選手を見ても、白黒は別にしてもアメリカ人が少ないですよね。中南米からの出稼ぎ労働者が大半です。もちろん、翔平氏もそのひとり。有能なアメリカのアスリートは、野球以外の他のプロスポーツに流れています。ここにも移民が支える経済が現れていますね。しかし、翔平氏が二刀流、三刀流で大活躍をしていることがLA以外のアメリカ各地で日々報道されていますので、この潮流も逆転するかも知れませんね。アナハイムには残念だったでしょうが、大谷翔平氏は良いチームに入ったと私は思います。アナハイムのhuman resourcesではこれほどの達成度は難しかったでしょう。

最近私はインターネットのある記事を読んでいて少々狼狽したことがあります。それは、松岡洋右(ようすけ)がユダヤ人擁護派であったということです。ChatGTPの言葉を:

Yosuke Matsuoka, the Japanese Foreign Minister during World War II, was a key figure in forming the Tripartite Pact, an alliance between Japan, Germany, and Italy. Despite Japan's alliance with Nazi Germany, he distanced Japan from the anti-Semitic policies of the Nazis. He said "I am the man responsible for the alliance with Hitler, but nowhere have I promised that we would carry out his anti-Semitic policies in Japan. This is not simply my personal opinion, it is the opinion of Japan, and I have no compunction about announcing it to the world.” His statement reflects Japan’s reluctance to adopt Nazi Germany's racial ideologies, particularly regarding the treatment of Jews.

松岡はクリスチャン(プロテスタント)でした。多くのアメリカのプロテスタントは昔からユダヤ人に対して同情的です。おそらく、このスタンスは単に松岡個人のもの、というよりは、おそらく日露戦争での日本の戦時国債をロスチャイルド家が引き受けたおかげで戦費を調達し、破産せずに済んだ貢献に対する感謝が含まれているはずですし、他の要素もありそうです。また、このような外務省のスタンスがあったので、杉原千畝のユダヤ人に対する献身も可能だったのでしょう。

彼は相当に変わった人物であったことは大方の人が認めるでしょうが、こんな側面もあったのですね。なお、このブログは英語を学ぶ若者のためのものですので、ここで確認。anti-Semitismの反対語は?何通りかありますが、形式上はphilo-Semitism がバランス良く収まりそうですが、Judeophilia もあります。

さて、下衆(げす)の勘繰り、という言葉があります。品性の良からぬ輩が、品性のよからぬ妄想をすることです。逆も言えます。品性の良くない邪推をする奴は、そもそも品が悪い・・・ 私は自分で下衆の代表を自認していますので、品の悪い邪推をする権利があるはず。

深圳(しんせん)市は広東省にあります。昔は香港から広州市へ行くには、タクシーで陸路を数時間かけて行くか、あるいは中型の定期便で飛ぶかの選択がありました。途中、今の 深圳地区上空を私は飛んだはずですが、何もありませんでしたね。赤茶けた、乾燥した畑のようなものが広がる田園地帯でした。今はskycrapersが林立する大都会です。先日downtonw深圳で日本人学校の生徒が暴徒に刺し殺されました。日本人は大誤解していますが、今の中国は政府がanti-Japan campaignを中国国内で繰り広げています。中国人から聞いたかどうか忘れましたが、中国のTV局のperformance reviewの項目の中に、反日の評価があるそうです。足りないと、幹部は共産党からもっと増やせ、質を上げろ、と指示されるそう。合格しないと、経営幹部の入れ替えなどの報復があるそう。こんなことをしている国は、中国とコーリアだけです。コーリアは昔から中国の統治階級のパシリとなることを喜びとしてきた文化があります。つまり、中国のどこにも日本人の安住の地はありません。唯一、遼寧(Liáoníng)省の大連市とその近傍は比較的親日派中国人が多いです。(ですが、もちろん、同地区には反日派もいます。)これは日本軍統治時代に日本人と隣人としてつきあった人々が多いから。 昔はそんなことはありませんでした。鄧小平(としょうへい、Deng Xiaoping 1904–1997)という人は日本という隣人と付き合うことに腐心した人でしたが、その後の共産党幹部はそれを踏襲せず、反日に膨大なエネルギー、予算を費やすことに熱心です。特に習近平(Xi Jinping)はそうです。

私の記憶の中で印象的なことは、鄧小平がサントリーの社長に中国から何かを買って欲しいと言われて、彼は烏龍茶用の茶葉を輸入することを決めました。烏龍茶は広東省から福建省にかけての華南と呼ばれる地区でのみ飲まれる茶です。四川料理のふるさとでは誰も烏龍茶を飲まないし、知りません。それが何年もかけているうちに日本で大化けしました。20年位前には、なんと北京でPETボトル入りのサントリーの烏龍茶が売られていました。中国人富裕層が買って飲んでました。中国は当時は友好商社制度なるものをつくっていました。当然、鄧小平は行く先々で、中国から何かを買ってくれ、何でも良いから、というお願いをしていたはず。他にもヒット商品があったのかも知れません。習近平が同じルクエストを日本の会社にするとは思いませんが、もししても、協力したいと思う会社はあるのでしょうか。

私が申し上げたいのは、中国は今でも国家をあげて反日に猛進している、ということ。日本人の駐在員、旅行者はもしかするとそのことを忘れることがあるのかも知れません。今回の死んだ日本人小学生の通う日本人学校の人々はそれを忘れていたのではありますまいか。数か月前に、似た事件がありましたが、雇用されている中国人が犠牲になりました。いつでも、どこでも日本人をターゲットにしたテロが起こりうるのです。中国の警察は当然反日派ですので、犯人に対して同情的です。今回の深圳の事件の犯人も事情聴取の間はある程度の身柄の拘束はあるかも知れませんが、基本的には英雄扱いでしょうね。当然、彼はすぐに、小遣いをもらい釈放されるでしょう。酒場で仲間を相手に、日本人をどうすれば豚のように殺せるか、それで共産党から小遣いまでもらえるぞ、という話をするでしょう。この話を「聞くに堪えない」と思う中国人はその場を離れるのが得策です。というかそれしかできません。「お前のいう正義とは小学生を刺すことか」と言うと後で警察と厄介なことになりかねません。酒場の中にはそれを真に受けて「そうか。じゃあ、次は俺の番だな。日系航空会社の女性乗務員だとやりやすそうだし、制服ですぐにidentifyできるぞ」という妄想に・・・ あるいは日系デパートで。

そうこう妄想しているうちに別の事件が。ベイルートでヒズボラのポケベル、通信機が爆発。欧米のメディアが報道合戦を始めました。ですが、下衆代表としては、そんなことは些末だろうと思います。本質的なことは、下衆の勘ぐりですが、ヒズボラの調達係の底なしの腐敗です。ちゃんとした性能のものを、正当な価格で買う、ということよりも重要なこと、それはアラーへの信仰を高めたり、ヒズボラの幹部への忠誠を尽くすことではなく、自分のポケットがどれくらい膨らむか、です。あるいは、腐敗よりも確率は低いですが、モサドによる脅し、あるいは色仕掛け。あるいはこれら全部。イラン人指導者はこんなことでたじろいだりしませんね。百も承知。$100の予算が、途中で吸い取られて、実効$50か、まあまあだろうな。というか、指導者層も、もっと予算を増やしてもらって、自分のポケットに滑り込むものを増やしたい・・・

日本人は別にチンピラになる必要はありません。しかし、中国のチンピラがどういう人たちなのか、中東にはどれくらいのチンピラがいるのか、などを想像することを怠ってはなりません。今永田町の自民党系のチンピラどもが選挙と称するゲームに夢中ですが、なぜ?なぜ岸田が途中で放り投げるような役割を自分から進んで?同じように、兵庫県知事というチンピラを追い落としたい人々はどういうチンピラ軍団なのか、考えるとそれは一人のチンピラ対チンピラ軍団の抗争だということがわかります。もう少し大人になって物事をみてはいかがでしょうか。すべて、下衆の勘ぐり・・・

↑このページのトップヘ