字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2024年04月

学園ものコメディです。あまり深みはありませんが、最低限の楽しみはあります。

★ ★ ★ ★ ★

映画: 『シュア・シング』(原題:The Sure Thing 1985)

公開: 1985年

ジャンル: コメディ

時間: 95分 

脚本: Steven L. Bloom
 
原作: -

監督: Rob Reiner

配役: John Cusack as Gib

あらすじ: 北東部の大学の新入生Gibはgirl friendをつくりたいがいません。クラスの女の子に惚れますが、彼女には堅物そうな学生のboy friendがいるようです。そんな二人がクリスマス休暇に起こるドタバタ…

聞き所: なし(ただし The Sure Thingの、この映画での意味を詳しく教えてくれるところがあります)

訛り: なし(女性の教授で変な訛りで話す人がいます…)

私の評価:
エンタメ度   つまらない★☆☆ 面白い
文化理解要求度 高い   ★☆☆ 低い  
熟語、俗語量  多い   ★★★ 少ない
早口度     早い   ★★★ 普通
ビジネス用例  少ない  ☆☆☆ 多い 
------------------------------------------------------
合計           8★(満点15★)

台本総語数:8.2k 平均より2割少ない

スピード:    8.2k/95/2=172 wpm 

難解語割合: 0 解説を要するようなセリフはゼロ

予告編:(この映画のMT(movie trailer)を見ることができます)




コメント:
この映画ではsure thingというこの映画でのkey wordが何度も繰り返されます。

我々はおそらく本能的に、優れたものへの憧れを抱えているような気がします。クイズで言えば、「正しい」答えがどこかにあるはず、という前提で取り組みます。でも、人生では、たまに「本当にそうかなあ」「そうとは限らないと思うけどなあ」という印象をぬぐい切れない場合もあります。もっとはっきりと言えば、「あなたはそう考えるようだけど、私は賛成しないね」という考えを捨てきれない場合もあります。さらには、「俺、間違えていても良いよ。放っておいてくれよ。」という気分の時も。

英語のような「学問」にはこの種の事柄は山のようにたくさんあります。「どうしてそっちの綴りだけが正解なんだ。どうしてこの綴りじゃ誤りなんだ?」と聞かれて、理路整然と「正しい」答えを述べることは、しばしば可能ですが、どれほどの意味があるのか。正しくない綴りで書く「権利」はないのでしょうか。自分でこんなブログを書いていて白状するのも少し変ですが、私はそんな「間違う権利」を少しは大事にしてくれ、と思います。斎藤さんの「斎」には16種類の字形があるそうです。こうなると「正しい」のはどれか、あるいは「最も正しい」のはどれか、を議論してもあまり意味はなさそうです。どれも正しい、と言って良いような気がします。では17番目を創り出す人がいたとして、それは間違い?

英語にも、これと似た考えというか価値観があります。呼称はいくつもあります。最も有名なものは人名由来らしきもの。ひとつは jackass からできた jackassery です。tomfooleryというのもあります。こちらに関してはM-WのWord Of The Dayで音声解説されていますので、そちらを聴きましょう:

https://www.merriam-webster.com/dictionary/tomfoolery

jackassからは jackassism という言葉も造られました。(なお、若いあなたにはまるで関係のなさそうな話ですが、昔20世紀の半ばごろに流行った American folksongで Tom Dooley というものがありました。アパラチア地方のpoor whiteの実話が歌にされ、私は Kingstone Trioというフォークソングのグループの他愛のない歌で知りました。Tom Foolery と Tom Dooley は無縁です。)人名によらない単語だと、おそらく最も一般的な単語は folly でしょう。他には、stupidity foolishness craziness lunacyなどの単語がsynonymsに並んでいます。

アメリカの最近の大統領選挙などの選挙を見ているとかなりめちゃくちゃですよね。トランプが他の候補よりも優れているかどうかは「放っておいてくれよ」な事柄です。アメリカの将来にとって…?トランプ支持者にとっては、そんなゴタクは意味を持たないと思います。正当な立候補者に自分の票を入れる、これは民主主義だ、誰も邪魔しないでくれ、俺たちは間違う権利を持っているんだぞ、というわけです。そう、彼らは間違う自由、間違いを犯す権利を行使しているとも言えます。テクサス州などでは、州の選挙地区割を変更して、黒人の多い居住区の住人に対して投票しにくくしています。露骨な嫌がらせですね。こんな知事のいる州には正義はないので、自分たちが投票で示すしかない、という考えの元、有色人種たちは耐え忍んで投票しています。今テクサス州ではbusiness boomのため大卒以上の学歴の白人層が大挙して流入してきているのでなかなか白人層の有利は覆りませんが、おそらく近い将来逆転するでしょう。もう何年もそう言われ続けて来ましたが…

トランプ支持者たちを見ていると、どうも彼らは間違える権利を行使しているとも言えます。ただ、注意せねばならないのは、この場合の権利とは、行使する時に他者の持つ権利を侵している場合がある、ということです。例えば、中絶を許容するか禁止するか。今の議論では、明らかに他者の権利を制限しようという人々がmarginallyに多数派ですよね。本当にそんな法的権利が彼らにあるのでしょうか。州レベルで決定せよ、というのが直近のアメリカ最高裁の裁定ですが、今まで持っていた権利を奪う場合には、代替の権利を出す必要があると私は考えます。どうもアメリカの法解釈はかなりカウボーイ的であり、かなり間違える権利の行使に近いものがある、と私は考えますが、あなたは?

本日は、張本勲氏という人物について。

大谷翔平氏は二刀流ですが、元祖ではなさそうです。イチロー氏も高校時代はピッチャーをしていました。高校野球では、4番でピッチャーというのはよく見かけますよね。つまり二物を持っている人は結構たくさんいる、ということです。ただそれが世界的レベルであるというのは稀有なことですけど。

日曜日の朝やっていた、関口宏のTBS系の番組、あっぱれ、喝という判定の出るあの番組の中で、張本勲氏がなんどか口にしたコメントがあります。それは高校などで二刀流で活躍していた選手たちに、張本氏は投、打のいずれで行くのかを選ばせていましたね。私は「そんなものなのかなあ…」という程度。半信半疑でした。勿論、彼は単なるコメンテーターでしたので、選ぶのは当の本人たちでした。大事なことは、それがつい最近まで当然のこととされた時代が長かった、ということです。張本氏もそのような天才たちをたくさん見て来たのでしょう。ですが、二刀流で行くよりはどちらか一刀流で行く方が、本人あるいは何か別のためには、良い、と心から信じていたのだろうと私は想像します。

それに対して、大谷翔平氏は日ハムがドラフトで交渉権利を獲得してからも、二刀流にこだわりました。MLBに行く時にも球団を選ぶ際に最も気にしていたのは、二刀流をどの程度サポートしてくれるのか、ということでした。つまり、彼の頭の中にあったのは、球団の上層部はいつでも自分の才能を台無しにしようとしてくるはず、という危惧があったからでしょう。そりゃそうでしょう。張本勲氏のような重鎮が、二刀流はけしからん、どちから一刀流にしなさい、と主張すれば、長いものに巻かれるのが大好きな日本の体育会系は上から下まで一刀流一色だったでしょうね。ということは、もしかすると、大谷翔平氏にそのリスクをアドバイスしていたのは、彼の同僚たちではなく、もしかすると彼の親世代かも知れません。翔平氏の父親は実業団野球の選手だったそうですので、うまく立ち回らないと翔平氏は潰されるだろうと思っていたのかも知れませんね。

大谷翔平氏は見事に彼の二刀流の才能を開花させただけではなく、バッターとしても超一流、ピッチャーとしても超一流、それ以外の走塁などの技術においても十分意味のある挑戦者であることを立証しました。こんな彼を見て、張本勲氏は今なんと感じているでしょうか。「自分は今まで数知れずの若者の二刀流のチャンスを、良かれと思いながら潰してきたのかも知れない。贔屓(ひいき)の引き倒しそのものだ。本当に済まなかった。彼らに謝りたい…」そんな気持ちでいるとしたらあっぱれを進呈したく。

この例が描くのは、物事の本質を見抜く、のは本当に難しい、ということですね。張本勲氏のような天才あるいは努力の人にとっても難しいということです。

最近のニュースで、フォードがEV生産、販売でEV1台当たり2000万円近い損失を出していた、というのがありました。アメリカの自動車産業の経営陣もかくまで人材不足になったのですね。つまり、将来有望で、有能な若者は決して自動車産業などに挑戦せずに、もっと良い別の産業に行くということですね。私はそれは大変結構な事だと思います。


この標題の言葉は、Mahatma Gandhiが残したものです。最近、Taylor Swiftという歌手に関して、こんなpost↓を見つけました。本日はそれを話題にします。

実は私はこのpostを書いた女性と非常に似た印象を持っています。私はそもそもTaylorの曲をまるで聴かないし、全然「良さ」がわかりません。でも若者の間ではどうやら彼女が非常に大きなスターであるらしいことはメディアを通して知っています。でもそこに堂々と「Taylor Swiftってピンと来ないのよねぇ」という、こんな記事を書く記者がいるとは。普段私は好き嫌いで言えば、CNNはあまり好きではありませんが、こんなpostをちゃっかりと載せるところは茶目っ気たっぷりですね。

https://us.cnn.com/2024/04/25/entertainment/taylor-swift-ijdgi-cec/index.html

何も難しい言葉はありません。強いて言えば、彼女のことに関して最低限の「常識」のようなものを要求されるでしょうが、このオジサンでも普通にスラスラ読めたので、男女を問わず、このpostに書かれていることは若者には馴染みのありそうなことばかりでしょう。英語で5 min read となっています。

標題のquoteと似た意味の、別の人のquoteを以下に。これはMartin Luther King Jr.のもの:
"In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends." - Martin Luther King Jr.

昨日の続きです。

では、誰が彼の弁護を引き受けたのか、誰が費用を払ったのか。Chattieの回答:

Adolf Eichmann was represented by Dr. Robert Servatius, a German attorney with significant experience in such cases. Servatius had previously represented defendants at the Nuremberg Trials, where major war criminals were prosecuted after World War II.
Attorney and Representation:
Dr. Robert Servatius: Servatius was a prominent lawyer known for his expertise in dealing with cases involving allegations of war crimes. He was not Israeli but German, and his previous experience at Nuremberg provided him with a profound understanding of international law and war crimes, which were crucial in Eichmann's trial.

Funding for Legal Defense:
The question of who paid for Eichmann's defense is interesting. The Israeli government agreed to pay for Eichmann’s defense as part of ensuring a fair trial. This decision was part of Israel’s commitment to conduct a legal and transparent process, demonstrating to the world that even one of the most notorious figures of the Nazi regime would be given a fair legal proceeding. This included a proper defense funded by the state, which was important to uphold the trial's legitimacy both domestically and internationally.
Dr. Servatius's role in the trial was crucial, as it provided Eichmann with competent legal defense, crucial for any trial to be considered fair and just under international legal standards. Despite the emotionally charged nature of the trial, Servatius's participation helped ensure that the proceedings adhered to legal norms and were conducted with judicial propriety. Unquote.

つまり、イスラエル政府は、(1)アイヒマンをアルゼンチンで突き止め、拉致し、(2)イスラエルに護送し、(3)公正な裁判にするため一流の弁護士を付けて、(4)費用はイスラエル政府が負担した、ということです。もし私が当時イスラエルの首相だったならば、そんな面倒な割に不確実なことをせずに、彼の自動車を爆破させて終了させることを選んだと思います。そして、記者会見をし、イスラエル国民と国外ユダヤ人社会に、アイヒマンが生きていたが暗殺したことを伝え、すべての責任は自分にある、もし必要ならば、私を逮捕せよ、と国際社会に伝えて終わりです。おそらく、アイヒマンをアルゼンチンで拘束したことの適法性ですが、私の見解ではゼロですね。イスラエルの越権行為です。もし私が裁判長であれば、アイヒマンを無罪にし、釈放せよ、と判決を下しますね。イスラエル側としては、他の調査事項もあるはずなので、2,3日程度収監する必要もありそうです。一つのやり方は、砂漠の真っ只中の収容施設から、釈放日時公開の上、日没30分前がよろしいかと。当然その地点にはホロコーストの生存者と関係者がお祝いのために何千人も集まっているでしょうね。彼が翌日朝を無事迎えることを希望します。当然、アイヒマン擁護派の人々とのトラブル予防のため、道路封鎖が必要でしょう。

話は変わりますが、今のGaza Stripでのイスラエルの傍若無人な戦闘のやり方とこのアイヒマン裁判の違いは何か?当時イスラエルは常に国家が瀬戸際にありました。いつ自分の国がなくなるかわからない、という状況でした。Mossadは一生懸命働きました。今イスラエルはずっと広大な領土を支配していますし、周辺国よりもはるかに強大な軍隊を持っています。ですが、Shin Betはかくも大きなテロ行為予知をしていなかった。この違いでしょうか。答えは明らかですよね。

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