このブログでは銘記するに足るgood quoteを、つまり言葉を、たまに引用します。写真はしばしば言葉よりも強く、雄弁です。今日はそんな気持ちで選んだものです。Time誌の選んだ「100枚の写真」のひとつです。
ベトナム戦争は、最初はインドシナ戦争と呼ばれ、フランスの植民地であった、今のベトナム、当時フランスは、イングランドに対する見栄のために、Indochine (英語ではIndo-China)という地理的呼称を選んでいましたが、北部から攻め入る共産主義者の軍隊との戦闘を長引かせていました。端的に言えば、フランス軍は劣勢でした。北部からのベトナム人は、組織化され、強く宗主国フランスを憎み、粗衣粗食に耐えて、民間人を味方につけながらゲリラ戦を戦っていたと言われています。そこに、ベトナムの共産化を防ぐ(他に東南アジアでの共産政権ドミノ現象を未然に防ぐ)とい
う大義名分を持ったアメリカ軍が軍事顧問団を送り込み始めました。俺たちが戦争のやり方を教えてやる、という気持ちだったのでしょう。ですが、状況はまったく改善せず悪化の一途。そのためアメリカは軍事顧問団ではなく、軍隊そのものを送り込み始めました。これがいつかは特定は難しいのですが、おそらく大方の人は「トンキン湾事件」と呼ばれる、アメリカ軍の、自作自演の1964年の被害報告をもって、アメリカの介入開始と見るはず。まるで日本陸軍の関東軍による柳条湖事件1931のような話です。当時はアメリカ軍が北の軍隊から攻撃された、との主張でした。
アメリカはものすごい数の戦争犯罪をベトナムで犯しました。この写真もそのひとつです。この全裸の子供は少女で Thi Kim Phuc という名前だとされています。この子供たちは、自分たちの村がアメリカ軍のナパーム弾で攻撃を受けたために、着の身着のままで国道を逃げてきたところを写真に撮られました。Thi Kim Phuc のどれが苗字でどれが名か私は知りません。9歳だったそうです。当時はサイゴンと呼ばれた首都の北25マイルの村での撮影だったようです。当然そこは南ベトナムですが、民間人、ゲリラ、北ベトナム軍人の区別が難しかったために、アメリカ軍は面倒くさいこの村を丸ごとナパーム弾で攻撃したのでしょう。ナパーム弾は、ゲル状になった、火の付いた燃料が四方八方に飛び散り、建物、人間、動物、樹木に付着し、燃えます。着弾直後に爆発し着火したゲルが四方八方に飛散します。大抵はその瞬間に一帯は酸欠になり動物は動けなくなります。ゲルが燃え尽きる前に人間などはやけど、この少女は衣服に着火したゲルがついたために衣服をはいで裸になりました。見えませんが全身におおやけどを負っています。非人道的兵器としてしばしばランクされます。
この村への攻撃はアメリカ軍の間違いだったそうですが、何が正当で、何が過誤であったかは当時のアメリカ軍にはどうでも良いことでした。将軍ウィリアム・ウェストモーランド(白人)がベトナム戦争中ずっとその種のコメントを残しています。その後、戦争がアメリカの希望するようには進まないので、アメリカはたしか1965年頃から、いわゆる「北爆」と呼ばれることを始めます。これはハノイ市を当時最新鋭の大型爆撃機で、無差別爆撃することです。何度出撃したか知りませんが、おそらく100回を優に超えていたはず。なぜそんな気になったのか、ですが、東京など日本各地を1945年に爆撃したことと同じで、そこに軍事施設があるという口実の下に民間人を含めて丸ごと焼き殺すことが公然とと行われましたが、そのメンタリティーをそのままベトナムで繰り返したわけです。原爆を使うという検討もされたようですが、さすがにそれは実行されませんでした。ベトナムは、どうでも良い、有色人種の国だったので、アメリカは迷うことなく北爆などの戦争犯罪を行いました。今、アメリカ軍部の幹部はイスラエルにパレスチナ民間人の被害を少なくしろ、と言っておりますが、どの顔をして言えるのでしょうか。そして自国が9.11のテロ攻撃をされるとパニックになり、イラクで報復に燃えました。アメリカの、世界最高の武器を持つご都合主義は本当にひどいです。
この写真そのものの解説は以下に:
https://web.archive.org/web/20210709050953/http://100photos.time.com/photos/nick-ut-terror-war
さて、本日のbest quoteに相当するメッセージ、それは戦争は悲惨なものである、ということに尽きます。戦争の正義を語ることは無意味です。常に民間人が犠牲になり、悲劇があります。今次のGaza Stripでの戦争を我々は後日振り返る時が来るでしょうが、それとは無関係に、戦争(hot war)は本当に悲惨です。
そして、この少女にこの後どんなことが起こったのかをぜひwikiでご覧ください。彼女は今ベトナムではなく亡命して別の国に住んでいます:
https://en.wikipedia.org/wiki/Phan_Thi_Kim_Phuc
ベトナム戦争は、最初はインドシナ戦争と呼ばれ、フランスの植民地であった、今のベトナム、当時フランスは、イングランドに対する見栄のために、Indochine (英語ではIndo-China)という地理的呼称を選んでいましたが、北部から攻め入る共産主義者の軍隊との戦闘を長引かせていました。端的に言えば、フランス軍は劣勢でした。北部からのベトナム人は、組織化され、強く宗主国フランスを憎み、粗衣粗食に耐えて、民間人を味方につけながらゲリラ戦を戦っていたと言われています。そこに、ベトナムの共産化を防ぐ(他に東南アジアでの共産政権ドミノ現象を未然に防ぐ)とい

アメリカはものすごい数の戦争犯罪をベトナムで犯しました。この写真もそのひとつです。この全裸の子供は少女で Thi Kim Phuc という名前だとされています。この子供たちは、自分たちの村がアメリカ軍のナパーム弾で攻撃を受けたために、着の身着のままで国道を逃げてきたところを写真に撮られました。Thi Kim Phuc のどれが苗字でどれが名か私は知りません。9歳だったそうです。当時はサイゴンと呼ばれた首都の北25マイルの村での撮影だったようです。当然そこは南ベトナムですが、民間人、ゲリラ、北ベトナム軍人の区別が難しかったために、アメリカ軍は面倒くさいこの村を丸ごとナパーム弾で攻撃したのでしょう。ナパーム弾は、ゲル状になった、火の付いた燃料が四方八方に飛び散り、建物、人間、動物、樹木に付着し、燃えます。着弾直後に爆発し着火したゲルが四方八方に飛散します。大抵はその瞬間に一帯は酸欠になり動物は動けなくなります。ゲルが燃え尽きる前に人間などはやけど、この少女は衣服に着火したゲルがついたために衣服をはいで裸になりました。見えませんが全身におおやけどを負っています。非人道的兵器としてしばしばランクされます。
この村への攻撃はアメリカ軍の間違いだったそうですが、何が正当で、何が過誤であったかは当時のアメリカ軍にはどうでも良いことでした。将軍ウィリアム・ウェストモーランド(白人)がベトナム戦争中ずっとその種のコメントを残しています。その後、戦争がアメリカの希望するようには進まないので、アメリカはたしか1965年頃から、いわゆる「北爆」と呼ばれることを始めます。これはハノイ市を当時最新鋭の大型爆撃機で、無差別爆撃することです。何度出撃したか知りませんが、おそらく100回を優に超えていたはず。なぜそんな気になったのか、ですが、東京など日本各地を1945年に爆撃したことと同じで、そこに軍事施設があるという口実の下に民間人を含めて丸ごと焼き殺すことが公然とと行われましたが、そのメンタリティーをそのままベトナムで繰り返したわけです。原爆を使うという検討もされたようですが、さすがにそれは実行されませんでした。ベトナムは、どうでも良い、有色人種の国だったので、アメリカは迷うことなく北爆などの戦争犯罪を行いました。今、アメリカ軍部の幹部はイスラエルにパレスチナ民間人の被害を少なくしろ、と言っておりますが、どの顔をして言えるのでしょうか。そして自国が9.11のテロ攻撃をされるとパニックになり、イラクで報復に燃えました。アメリカの、世界最高の武器を持つご都合主義は本当にひどいです。
この写真そのものの解説は以下に:
https://web.archive.org/web/20210709050953/http://100photos.time.com/photos/nick-ut-terror-war
さて、本日のbest quoteに相当するメッセージ、それは戦争は悲惨なものである、ということに尽きます。戦争の正義を語ることは無意味です。常に民間人が犠牲になり、悲劇があります。今次のGaza Stripでの戦争を我々は後日振り返る時が来るでしょうが、それとは無関係に、戦争(hot war)は本当に悲惨です。
そして、この少女にこの後どんなことが起こったのかをぜひwikiでご覧ください。彼女は今ベトナムではなく亡命して別の国に住んでいます:
https://en.wikipedia.org/wiki/Phan_Thi_Kim_Phuc