字幕なしの英語聴き取り応援団

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2023年11月

本日の話題は高校経営…といいながらも損益計算を省略した、かなり素朴なデッサンです。英語は出てきません。なお、このpostを書いた後で、日大の理事長らが辞任との報道がありましたが、見なかったことにしてこれをそのまま掲出いたします。
最近、日本大学はメディアに次々と「飯のタネ」を提供していますね。このように興味本位で記事を書かれている間は嵐のようなものなので、頭を低くして、嵐が通り過ぎるのを待つしかないでしょうねぇ。さもないと、ジャニーズ関係の人々のように「飯のタネ」つまり話題を次々に何か月間ものあいだ提供し続けることになります。これはぜひ避けねばなりません。もともとたいしたことのないブランドを更に毀損するだけ。さて、私は10年位をかければ日大グループを、いくつかの妥当な施策をすれば日本有数の教育機関に変身させることができるかも知れないと思っております。根拠はなにか。今中高一貫などで人気「上位」にいる学校のかなりは昔はろくでもないというランクだったから。つまり、やりようによっては日大グループにもチャンスはあるはず。日大はその変化とは無縁の存在であり続けました。その中心は大学ではなくてまず高校ですね。高校の評価のうち最も有効なものは、有名大学への進学状況でしょう。これで日大付属高校を業界のleaderにする。how?

まず、優秀な教員を選抜し、彼らを集中配置させます。例えば、仙台市に東北地方の日大付属高校の進学専門校を置きます。そこに東北地方の日大付属の優秀な教員を集めます。全寮制ですね。教員が不足していれば、募集します。父母に対してcommitmentをします。「この学校から3年後全国の有名大学に進学する生徒を10名出します。出さなければ卒業時に全卒業生の上位50%に授業料全額を返還します。」これくらいは日大の規模からいえば簡単でしょう。1クラス20から30名位でしょうか。面倒を見れるが、勢いを失わない生徒数はその位でしょう。

先ずカスタマーは誰か。両親(保護者)がprimary customerで、生徒はsecondary customerです。両親の満足度を定期的に測定します。次いで、入学試験。毎年、同じ問題を出すことを約束します。中学で学んでおくべきことを網羅した試験ですが、毎年「同じ」問題でやります。毎年新しい問題を出しても意味は薄いでしょう。過去問はなくなりますね。ただ同じ問題が問題用紙に印刷されているのではなく、例えば中学校で学ぶべき事柄を数学で100個、英語で100個、…というように絞りその中から10個を選んで問題にします。「同じ」の意味ですが、まったく同じでは味気ないので、同じ文章問題ではあるが、いわば「中身の個数」は違えてある、という程度の意味です。数学など理系の科目ではやりやすそうですが、国語、英語では難しいでしょう。ですが、英語を例にとると、基本語500を示し、すべての問題はそれらを使ったもの、和文英訳の例文も50か100個用意し、それらから出題ということを想定すれば克服できそう。問題集の出版もついでに。事業機会をガッチリと掴みましょう。こうすると標準的な問題集は日大の選抜コースのあれ、ということになます。中3生の圧倒的多数がそれを使って勉強することになるでしょう。

当然のことながら、入学試験では合格者ほとんど差がなくなるはず。こうすれば中学で学ぶべきことをほぼ完全にマスターした生徒だけが入学してきます。手をかけるべき優秀な生徒がどこにいるかがわかります。日大付属高校にいるのです。後はちゃんとした授業と指導を。

後は優秀な生徒に対して、リベラルでオープンな授業をするだけ。学力が高い生徒は自主性も高いのが普通なので、あまり手をかけずに彼らは独力で学力を伸ばして行くでしょう。大事なことは、それを生かすも殺すも教員次第だということ。校則はいらんでしょう。この時に最も問われるのは、教員の資質でしょう。この時にこそ大事なことは、校長が優秀な教員を選び、一緒に授業を工夫することでしょうね。詰め込み教育はしないでしょうね。当然脱落する生徒もいるはず。退校してもらいましょう。会社経営と同じで下位10%グループはお荷物に過ぎないので、進級には厳しく望みましょう。別に日大グループに進学してもらう必要はありませんね。

こうすることで日大付属高にもちゃんとした教員人材がいるということを世に知ってもらいます。その間に、似た仕組みをどこかの日大の大学の校舎につくり学部とし、少数精鋭で優秀な卒業生を輩出し、ちゃんと評価してもらいます。たとえば、二級建築士合格を目指すための建築学科。

この流れをつくるまで最低で10年位でしょうか。なお、上では日大ブランドを使うような話をしましたが、実際には別のプレミアム・ブランドでやる方がやりやすいでしょうね。こんな機会は数多くあったはずですが、怠慢のせいで何もしないできたのが日大。親方風を吹かせたり、パワハラをしたり、運動部で卑劣なタックルを…という教育機関の本筋とは関係のないことばかりをやる人々、やらせる人々がリーダーだったのです。日大自身が、つまり日大の中心部分が一番変わって行かなければならないと私は強く思います。それは私の意見ではとんと存在感のない教授会です。さて、あなたのアイディアは?

これは引用文のみのpostです

生物の世界の法則では、ナンバー1しか生きられない。これが、厳しい鉄則である。 ガウゼの法則」と呼ばれるものである。 

ソ連の生態学者ゲオルギー・ガウゼ (1910-86)は、ゾウリムシとヒメゾウリムシ という二種類のゾウリムシを一つの水槽でいっしょに飼う実験を行った。すると、水や餌が あるにもかかわらず、最終的に一種類だけが生き残り、もう一種類のゾウリムシは駆逐されて、滅んでしまうことを発見した。こうして、強い者が生 き残り、弱い者は滅んでしまう。つまり、生物は生き残りを懸け て激しく競い合い、共存することができないのである。

ナンバー1しか生きられない。これが自然界の厳しい掟である。 自然界でナンバー2はあり得ないのである。なんという厳しい世 界なのだろう。

しかし、不思議なことがある。

ナンバー1しか生きられないのであれば、この世には一種類の 生き物しか存在できないことになる。それなのに、自然界を見渡 せば、さまざまな生き物が暮らしている。ナンバー1しか生きら れない自然界に、どうして、こんなにも多くの生物が存在しているのだろうか?

じつは、ガウゼの実験には続きがある。

ゾウリムシの種類を変えて、ゾウリムシとミドリ ゾウリムシで実験をしてみると、今度は、二種類の ゾウリムシは一つの水槽の中で共存をしたのである。 どうして、この実験では二種類のゾウリムシが共 存しえたのだろうか。

じつは、ゾウリムシとミドリゾウリムシは、棲む 場所と餌が異なるのである。ゾウリムシは、水槽の 上の方にいて、浮いている大腸菌を餌にしている。 一方、ミドリゾウリムシは水槽の底の方にいて、酵 母菌を餌にしている。

このように、同じ水槽の中でも、棲んでいる世界が異なれば、競い合う必要もなく共存することが可 能なのである。つまり、水槽の上のナンバー1と水 槽の底のナンバー1というように、ナンバー1を分 け合っているのだ。これが「棲み分け」と呼ばれる

同じような環境に暮らす生物どうしは、激しく競争し、ナンバー1しか生きられない。し かし暮らす環境が異なれば、共存 することができるのである。

ナンバー1しか生きられない。これが自然界の鉄則である。それでも、こんなにもたくさ いる。つまり、すべての生き物が、どこかの部分でそれぞれナンバー1なのである。

ナンバー1 であることが大事なのか?この答えはもうおわかりだろう。

すべての生物はナンバー1である。そして、ナンバー1になれる場所を持っている。この 場所はオンリー1である。つまり、すべての生物はナンバー1であると同時に、オンリー1
なのである。

このナンバー1になれるオンリー1の場所を生態学では、「ニッチ」という。ニッチはそ れぞれの生物が固有に持つものである。ニッチは場所の場合もあるし、餌の場合もあるし、 環境の場合もある。「ニッチ」とは、もともとは、装飾品を飾るために寺院などの壁面に設 けたくぼみを意味している。やがてそれが転じて、生物学の分野で「ある生物種が生息する範囲の環境」を指す言葉として使われるようになった。生物学では、ニッチは「生態的地 位」と訳されている。一つのくぼみに、一つの装飾品しか飾ることができないように、一つ のニッチには一つの生物種しか住むことができない。

『雑草はなぜそこに生えているのか』稲垣栄洋著 2018 ちくまプリマー新書 p 182-186

標題には、ややこしい名詞があります。speciesとは「種」のことで、単複同形です。specyという単語は存在しませんが、specieという単語は存在します…
https://www.merriam-webster.com/dictionary/specie

ロシアには興味深いところがあります。いつかこのブログで、野生のキツネの家畜化を実験した学者で、ドミトリー・ベリャーエフという人物がいます。彼は、シベリアの僻地で、モスクワの目を盗んで実験をして、人間が野生の狼を選択して、家畜化し、何百年か何千年かの後に犬が造りだされたという説を実証するために、野生のキツネをケージに入れて実験をしました。見事彼の存命中に人間に尻尾を振るなどの犬に近い習性を持つキツネを創り出すことに成功しました。このことはこのブログで簡単に書いておりますので、気になる方は以下をチェックしてみてください: 
Blumenbachに関する追記

別のロシア人で、私が気になる人は、ゲオルギー・ガウゼ Georgy Gause (1910-1986)という人です。 名前からしてドイツ語風ですので、おそらくユダヤ系でしょう。(有名な数学者 F. Gaussの名前と似ていますね。なお、日本語の「ガーゼ」の英語の綴り、発音は gauze /ɡɔ́ːz/です。日本語のガーゼはおそらくドイツ語由来では?)ガウゼは少し変わった経歴の人ですが、恐らく最も知られた業績は、2つ異なるミドリムシを水槽に入れて、一方だけが生き述びる場合、双方が共存する場合を実験したことでしょう。彼の概略は以下のwikiで読めます。ぜひ目を通してくださいませ。これが本日の話題の中心です。特に私が加えるべき言葉があるとは思えませんので控えます:
Georgy Gauze wiki

このwiki postにもあるように彼の説は one niche, one spiecesという格言のようなもので広く知られています。nicheには2通りの発音があり、フランス語的な発音(ニーシュ)と英語的な「ニッチ」です。BEではおそらく前者が支配的なようです。私にとってはマーケティング用語のニッチの意味、用法が中心的ですが、もしかすると本来的には生物学の分野で中心的な用語だったものをマーケティングが借用したのかも知れません。なお、etymonlineで見出し語nicheを読んでもわかることはほとんどありませんね。
https://www.etymonline.com/search?q=niche

もしあなたがそのwikiの内容が理解できないが、やさしい日本語で知りたい、ということであれば、私は以下の本を推奨いたします。『雑草はなぜそこに生えているか』稲垣栄洋著 ちくまプリマー新書 2018 page 182-186です。昔もっと小難しく書いた要約か記事を読んだことがあったのですが、意味がまるでわかりませんでした。ですが、偶然図書館でその本を立ち読みしてその説明のわかりやすさに助けられてよく理解できました。なお、その本は大人向けではなく、中高生向けです。簡単なグラフも付いていて私は非常によく理解できました。

昨日のpostで、survivorという単語が使われる由来が示されましたが、本日は残りの-shipについて。第1のポイントは、なぜその語句は survivor bias ではなくて survivorship bias なのか。前者survivor biasだとすると、そのbiasを持っている人は、survive した本人たち、ということになりそうです。ですが、この用語が生まれた背景にあるものは、survivorたちが持っていたbiasが問題なのではなくて、surviveした機体を分析した専門家の間のbiasです。このため新しい語句を創り出すためにはそれを区別せねばなりません。英語の場合は、それを識別するために-shipというパーツ(morpheme)を使った言葉があるので、それが、つまりsurvivorshipが取り入れられたのだろうと私は考えます。

この、語幹につくパーツとしての-shipは、ゲルマン諸語の中で共有されているものになり、他の知られた単語では、例えば gemeinschaft という単語があります。これはドイツ語ですが、英語にも、日本語にも借用された単語です。(ドイツ語では固有名詞だけではなく、普通名詞も大文字で書きます。英語では小文字になります。) gemeinとはドイツ語で「共通」を意味する名詞です。同じ精神的価値を共有する社会、普通の伝統的社会のことを言います。対立語はgesellschaftです。こちらは主に企業という特別な社会を指す言葉です。この-schaftは英語の-shipと同じ起源の単語に由来すると考えられています。-shipというパーツが、「小型船」を意味する言葉と同じ綴りなので、ややこしいですが、別のものを意味します。etymonlineの解説では、それは quality, condition; act, power, skill; office, position; relation between を意味すると説明されています。普通の言い方をすれば、名詞の後に付けて、抽象名詞をつくります。

なお、ふたたびsurvivorという言葉に戻りますが、これには「生存者」という意味があります。bereaveという動詞とその派生語もあり「遺族」を意味します。例えば、大きな交通事故で死者が出たが、死ななかった人もいた時、その人のことを「生存者」survivorと呼びます。今回調べると一部の英和辞書でこれを「遺族」としているものがありましたが、ちょっと違和感を感じましたね。似ていますが「生存者」と「遺族」では意味はまるで違いますね。なぜそうなのでしょうか。それはsurvivorという言葉には、日本語からもわかるように、あるeventを生き延びた、という意味があるからです。法的に「遺族」というのであればそれはbereaved (people)になります。ただ、例えば、goo辞書には survivor's annuity 遺族年金という和訳を振ってありますので、読者は survivor に「遺族」という意味があるようだ、と考える人もいそうですが、それはたまたま英語圏の保険用語でそうなっているだけです。理由は簡単です。一般的なタイプのいわゆる年金を受け取るのは保険加入者本人ですので、本人が死亡した段階で年金支払は終了になります。ですが、生前の契約で、たとえば夫が、自分が死亡した後でも妻が生涯にわたり、年金を受け取れるように、というタイプの契約を保険会社と結ぶことが可能です。この時の、夫と妻の関係をいうときの語感ですが、おそらく大方の人はこの例の妻、すなわちもう一方の契約当事者を単にbereavedというよりは、outliveした方という語感を大事にするであろうsurvivorを使うことを肯定するはず。単に残った方を意味するbereavedよりも、契約の当事者である二人のうちのsurviveした方という用語の方が収まりが良いように感じます。つまり、この年金自体がやや特殊な設定であることを忘れてはなりません。ここまで知ると、初めてこのgoo辞書の用例の意味が理解できると思います。

少し脇道にそれてしまいましたが、専門家であっても陥りがちなsurvivorship bias、覚えておく価値はありそうですよね。

先日、日本語のTVニュースで見た、ガザ・ストリップ内での空爆で身内を殺された直後の中年男性を映したもの。彼はカメラに向かってイスラエルの非道を叫んでいました。私は違和感を覚えましたね。あなたが最愛の家族を空爆で失った直後にイスラエルの非道を訴えるでしょうか。もしかしたらそれは演技では?私の意見ではそれは戦争プロパガンダのひとつでしょうね。あなたは1945年3月10日の夜の10万人前後の人々が死んだ、東京大空襲で人々がアメリカ軍の非道を訴える動画を見たことがありますか?8月6日に広島で原爆が投下された後、アメリカ軍の非道を、身内の何人をも亡くし、逃げ惑った人々が訴える動画、写真を見たことがありますか?本当の、生きるか死ぬかの瀬戸際を、生き延びた人には、悲しみの言葉はないものです。おそらく感情すらないでしょう。我々が新聞あるいはテレビで見るのは、見たいものなのです。メディアが公平にもpros/consなどの、異なる2つの視点から報道してくれることはほぼありません。彼らもまた報道したいものを報道しているし、我々は見たいものを選んで見ているのです。そして事実を見いだそうとするよりも、自分の解釈したいようにだけ解釈するのです。この種のものを英語でbiasと呼びます。これは専門家にも起こりえるものです。そんなことの始まりを話題にします。

なお、biasには「良い」ものもあるでしょう。例えばあなたが大谷翔平氏に憧れる野球少年だったとして、彼があなたに「野球って最高だよね。」と言ったとします。おそらくあなたは一生涯その価値観を捨てないでしょう。この過程そのものがbiasです。私にもbiasがあります。英語は素敵な言語である、かなり滅茶苦茶な言語であるが、というもの。人に植え付けられたものではありません。私が次第に獲得したもの。私が出会った言語で言えば、フランス語も相当に素敵な言語だったはずですが、でも入れ込むことはありませんでした。フランス語が堪能になったにしても現代人が英語から離れることは不可能ですし、フランス語には新しい時代を切り開いてゆく、あるいは造ってゆくパワーはもうありません。ローマ人が残した方言のひとつに過ぎません。今は英語のパワーの下で隷属しています。

さて、1944年から45年にかけて、連合軍はドイツ各地を徹底的に空爆しました。これはドイツが行ったロンドンとイングランド艦船への無差別攻撃(軍と民間とを区別しない攻撃)への報復です。明らかにジュネーブ条約に違反していますが、誰も「勝者」を裁こうとはしませんね。今ドイツ国内の主要都市を旅行すると中世からのキリスト教会などの建造物が立っていまが、すべてとは言えないまでも99%はその時瓦礫になり、戦後再建されたものです。その時にドイツは限られた兵器でしたが、防衛のためにある程度の反撃をしました。そのために、爆撃機は撃墜されたり、不時着しました。帰還した爆撃機の機体、翼には機関銃の弾痕の穴が開いたものがたくさんありました。それを分析した軍の専門家は、機関銃に耐えられるように機体を強化せよ、と提案しました。ところが、別のある専門家は反対しました。彼が言うには、「それだと話があべこべだ。帰還した爆撃機が示すのは、弾痕の場所を撃たれても、機体は大丈夫であることだ。帰還できなかった機体の、損傷を受けたはずのエンジンなどを保護する箇所をこそ補強すべきなのだ」という趣旨の意見を具申しました。

この意見は正しいですよね。この意見を言った人は、Abraham Wald (1902-1950)  という、ハンガリー系ユダヤ人で、アメリカに移民した、統計学者です。飛行機事故のために若くして亡くなりました。これは当時勃興しつつあった新しい学問ORに生かされることになったそうです。この種の思い込みのことを英語でsurvivorship biasと言います。survivorが語幹にあるのは、生き残った人々の話を元に間違えた結論を出す、という種類の誤謬に由来しています。生還した爆撃機のことを指します。

survivorshipとは言いますが、生還した事例だけではなくて、うまく行った事例をも指す言葉です。例えば、新しい新薬の試験をするとき、若い20歳代の、知能の高い、白人男性だけを対象にした臨床試験の結果があるとします。それで効果、副作用の評価をして、それは十分信頼性に足ると言えますか?年寄りには?女性には?非白人だと?これらが無視されたsurvivorship biasが作用しているだろうと考えるのが筋でしょうね。ちなみに、薬の予備的臨床試験では、医学部学生で試験をするのが普通なので、上記の「若い20歳代の…」というのは普通に行われていることでもあります。この結果はどれほど信頼に足るものなのでしょうか。まったく参考にならないと私は考えます。もちろん、これは本試験ではありません。wikiには色々な事例が取り上げられていますが、やはり最も印象的なエピソードはこの、弾痕跡がありながらも生還した爆撃機の話ですよね。以下のwikiは彼のものです:
https://en.wikipedia.org/wiki/Abraham_Wald


少し長めなので残りは明日に。

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