このブログではめったに扱わない話題を。漢字です。私の脳の中でかなり曖昧になっていましたので、一度整理しようと思ってちょっとだけ調べました。お付き合いください。
黄と書いて、ある時は「オウ」と読みます。例えば、黄金。でも黄と書いて、ある時は「コウ」と読みます。同じ字に二つの「音(オン)」があります。なぜでしょうか。それはいつかどこかで習ったような…
「字音」という用語があります。漢字にどのような音を割り振るか、割り振ってあるかの事柄です。これを調べて、私なりに以下のように要約してみました:
日本では主に3つの音がある。呉音、漢音、唐音。(別名もあるようですが省略)それぞれ一定の体系がある。「明」という字の、呉音は「ミョウ」、漢音は「メイ」、唐音は「ミン」です。呉音は中国南方方言から取り入れられたもので、古代から長期に渡り日本にもたらされた。漢音は、留学僧が持ち帰ったもので、長安の音を取り入れたもの、唐音は中世から江戸期に主に禅僧が伝えたもので、呉音、漢音に比べ数が少ない。歴史的には、漢音が正しいとされて、徐々に呉音に置き換えられたものが多い。仏教用語では呉音がしぶとく生き残った。摂政、宮内、文部などは呉音が残った例。行燈(あんどん)、行脚(あんぎゃ)は唐音。唐音は特定の字と組み合わされたものが多い。延暦年間(8世紀)には、僧でも漢音を学習しないものは得度させないという勅令が出されたが、呉音をしのぐまでには行かなかったようだ。
これは平凡社世界大百科から抜粋したもの。項目は「字音」です。この後に、かなり専門的な音韻の解説があるのですが、これはとても一般人向けではないでしょう。
黄という字。「コウ」というのは漢音、「オウ」は呉音だそうです。ということは、ある字あるいは、ある2字以上の語が、日本語でどのように読むかは、文脈次第だということでしょうね。これがかなり事柄を難しくしています。例えば、黄道と書いてあなたは何と読みます?これは「オウドウ」です。天空での太陽の通り道のことです。つちぼこりの方は「コウジン」ですが、字は黄塵です。難しいというか支離滅裂というか。しかも不思議なのは、なぜ中国語のアクセント(四音 sisheng)はまったく取り入れられなかったのか?留学僧でも難しかったから?
少し脱線します。先日夕方TVで天気予報を見ました。別の局に変えたら天気予報が。それも見ました。前者では、西日本と東日本と言っていました。後者では、西日本、東日本に加えて北日本という言葉が。定義は何か?境目は何か。私は性格上その辺を曖昧にするのが苦手です。でもおそらく大半の日本人は何事もくっきりとさせるのは好まず、波風を立てず、目くじらも…という生き方をしてきたのでしょうね。この話は、北海道の定義に東端の2島あるいは4島をどう組み込むのか、という事柄と、私には重なって見えます。「従って、もともとこれら4島は北海道の一部である。アリューシャン列島の一部ではない。返還せよ。」と胸を張って主張できます。
日本には、「国字」と呼ばれるモノがあります。これは日本で生まれた「漢字」です。例えば、峠。これには、音読みまであって、対峙する、などで使われます。すごく尤もらしいですが、よくわかりません。峠とは頂きの事でしょうか?では峠道とは?よくわかりません。この、わかったような、わからないような、というのは、日本語あるいは日本人の基本的属性のような気がします。しかもそれを放置しておく能力もある、という… やれやれ。
さて、国字ですが、ある本(『日本の漢字』著小林芳規博士)では、約170字あるそうです。大半は魚だそうです。一部は、国字ながら、中国語でも同じ字を使い、別の魚を指すのだとか。それは、本当に日本オリジナルなのか、それとも日本が字を輸入したが、日本人は別の魚を呼ぶのに使ったのか。あるいは、中国が日本から字だけ輸入して別の魚の呼称に使ったのか。どうして研究者がそこを曖昧にしてそんな記述(「国字ながら、中国語…以下」)ができるのか。不思議なことばかりです。
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という有名な一節は、安西冬衛という詩人の『春』の一部です。韃靼海峡とは日本人が間宮海峡と呼ぶ海域のことです。日本人だけが間宮海峡と呼びます。手元の地図ではTatarskiy Proliv。wikiではStrait of Tataryです。prolivとはロシア語で strait のことのようです。外国人もそう呼んで欲しいという意思表示をしない日本人… あなたが欧米人と伍して行く時このような東洋の美徳あるいは曖昧さは通じない、あるいは弱さであるという認識は必要ですよ。
ちょっと「字音」の上っ面を撫でただけですが、私には少し整理が付きました。
黄と書いて、ある時は「オウ」と読みます。例えば、黄金。でも黄と書いて、ある時は「コウ」と読みます。同じ字に二つの「音(オン)」があります。なぜでしょうか。それはいつかどこかで習ったような…
「字音」という用語があります。漢字にどのような音を割り振るか、割り振ってあるかの事柄です。これを調べて、私なりに以下のように要約してみました:
日本では主に3つの音がある。呉音、漢音、唐音。(別名もあるようですが省略)それぞれ一定の体系がある。「明」という字の、呉音は「ミョウ」、漢音は「メイ」、唐音は「ミン」です。呉音は中国南方方言から取り入れられたもので、古代から長期に渡り日本にもたらされた。漢音は、留学僧が持ち帰ったもので、長安の音を取り入れたもの、唐音は中世から江戸期に主に禅僧が伝えたもので、呉音、漢音に比べ数が少ない。歴史的には、漢音が正しいとされて、徐々に呉音に置き換えられたものが多い。仏教用語では呉音がしぶとく生き残った。摂政、宮内、文部などは呉音が残った例。行燈(あんどん)、行脚(あんぎゃ)は唐音。唐音は特定の字と組み合わされたものが多い。延暦年間(8世紀)には、僧でも漢音を学習しないものは得度させないという勅令が出されたが、呉音をしのぐまでには行かなかったようだ。
これは平凡社世界大百科から抜粋したもの。項目は「字音」です。この後に、かなり専門的な音韻の解説があるのですが、これはとても一般人向けではないでしょう。
黄という字。「コウ」というのは漢音、「オウ」は呉音だそうです。ということは、ある字あるいは、ある2字以上の語が、日本語でどのように読むかは、文脈次第だということでしょうね。これがかなり事柄を難しくしています。例えば、黄道と書いてあなたは何と読みます?これは「オウドウ」です。天空での太陽の通り道のことです。つちぼこりの方は「コウジン」ですが、字は黄塵です。難しいというか支離滅裂というか。しかも不思議なのは、なぜ中国語のアクセント(四音 sisheng)はまったく取り入れられなかったのか?留学僧でも難しかったから?
少し脱線します。先日夕方TVで天気予報を見ました。別の局に変えたら天気予報が。それも見ました。前者では、西日本と東日本と言っていました。後者では、西日本、東日本に加えて北日本という言葉が。定義は何か?境目は何か。私は性格上その辺を曖昧にするのが苦手です。でもおそらく大半の日本人は何事もくっきりとさせるのは好まず、波風を立てず、目くじらも…という生き方をしてきたのでしょうね。この話は、北海道の定義に東端の2島あるいは4島をどう組み込むのか、という事柄と、私には重なって見えます。「従って、もともとこれら4島は北海道の一部である。アリューシャン列島の一部ではない。返還せよ。」と胸を張って主張できます。
日本には、「国字」と呼ばれるモノがあります。これは日本で生まれた「漢字」です。例えば、峠。これには、音読みまであって、対峙する、などで使われます。すごく尤もらしいですが、よくわかりません。峠とは頂きの事でしょうか?では峠道とは?よくわかりません。この、わかったような、わからないような、というのは、日本語あるいは日本人の基本的属性のような気がします。しかもそれを放置しておく能力もある、という… やれやれ。
さて、国字ですが、ある本(『日本の漢字』著小林芳規博士)では、約170字あるそうです。大半は魚だそうです。一部は、国字ながら、中国語でも同じ字を使い、別の魚を指すのだとか。それは、本当に日本オリジナルなのか、それとも日本が字を輸入したが、日本人は別の魚を呼ぶのに使ったのか。あるいは、中国が日本から字だけ輸入して別の魚の呼称に使ったのか。どうして研究者がそこを曖昧にしてそんな記述(「国字ながら、中国語…以下」)ができるのか。不思議なことばかりです。
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という有名な一節は、安西冬衛という詩人の『春』の一部です。韃靼海峡とは日本人が間宮海峡と呼ぶ海域のことです。日本人だけが間宮海峡と呼びます。手元の地図ではTatarskiy Proliv。wikiではStrait of Tataryです。prolivとはロシア語で strait のことのようです。外国人もそう呼んで欲しいという意思表示をしない日本人… あなたが欧米人と伍して行く時このような東洋の美徳あるいは曖昧さは通じない、あるいは弱さであるという認識は必要ですよ。
ちょっと「字音」の上っ面を撫でただけですが、私には少し整理が付きました。