字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2021年12月

12月31日にはNHK BSPで名画が何本か放送されるようです。大半はこのブログで取り扱った、クラシカルというべき作品です。もしまだでしたら、どれかひとつを録画して、年末年始の休暇中に、聴き取りにチャレンジしてみませんか?このブログは、本格的な英語の聴き取り力を養成したい人向けです。そのために映画を教材として使うことをお勧めしております。月にだいたい4,5本の映画を紹介しております。クラシックから比較的最新作まで。アクセントとしては、アメリカ訛り(アメリカ訛りとひとくちに言っても、最低でも2,3種類あるいはそれ以上あります)から、黒人訛り、アイリッシュ系の訛りをカバーしております。20世紀前半のやや古風な英語から、現代英語まで。ブログを毎日更新することを私は目指しておりますので、映画の話題以外に英語関係の、なるべく広い話題を、私の好みでピックアップしております。私はいわゆる素人ですが、英語のあれこれを書く程度の見識を持っていると思っております。学部、院で英語の何かを専攻した人々とはかなり異質の見解を有している場合が多いだろうと思います。始めてから3年半になります。

さて、本日は私は辞書中毒かもしれないということを話題にします。皆様の、英語の本との付き合い方を提案するつもりです。

最近、ちょっとした事がありました。ある駅で電車を待っていたら、ある若者が近くに来ました。私はその若者を知っていて、ローカルな不動産管理会社のいわゆる営業をしています。プラットフォームで立ち止まるとすぐに、スマホを取り出して、ゲームを始めました。彼は私にまったく気付かずにゲームを続けていました。電車が来て、中でもずっと。目的の駅で降りてプラットフォームを歩きながらもずっと、というのを私は電車から見ておりました。(別にずっと観察していた訳ではありません。私はその間、紙の本を読んでおりました。)おそらくその青年はゲーム中毒でしょう。ちょっとした息抜きとは異質の、少し大丈夫かな、と思われるものがありました。

さて、その青年はさておき、我が身を振り返ってみると、私は何かの中毒でしょうか?たぶんそうなのです。まず、軽度の本中毒です。昔、本当に活字中毒だと自覚した時があり、その時はセルフ・コントロールですぐ直りました。それ以来注意しております。もうひとつは、辞書中毒です。英語の本を読んでいて、知らない単語がたくさん出て来た時、どのようにすれば良いのか、時々わからなくなります。

ここからは、私の病理ではなく、いきなり私の考える英語の本のhow toになります。
(1)アメリカ式の大学院の授業ではreading assingmentは大変重要です。1 semesterで数冊あるのが普通です。しかもそれらは、担当教授が重要と考える本です。しかも数個の教科で同時進行でやって来ます。つまり、精読はとてもできません。いわゆる速読中心になります。ということは、「この本全体はだいたいこういうことを言っている」程度にして、次にmove onするしかありません。ということは、それぞれの章でも「この章はだいたいこういうことを言っている」にします。ということは、各ページですら「だいたいこういうことを言っている」にするしかありません。どうもアメリカ人知識階級には、本の書き方、読み方の規範のようなものがあるようですが、当方はそんなことを気にするレベル以下の読解力ですのでマスターは無理でしょう。

ここで結構重要なことは、日本語での蓄えです。例えば、日本語の『ハーバードビジネスレビュー』で最新の説をチェックしておく(ビジネススクール向け)、あるいはジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を日本語で読んでおく(人文科学系)、グレゴリー・マンキューの経済学関係の教科書(経済系)などです。どの分野かによってそれは異なるでしょう。

(1’)これを応用したやり方があります。それは、たとえば、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を先ず読み、次にGuns, Germs, and Steel by Jared Diamondを読むのです。そうすると全体の流れがわかっていますので、遅く読むべき場所、速く読むべき場所、いわば緩急がわかります。この本は結構なボリュームです。でもたとえば、この1冊の和文、英文で読むことで、単語に過度にとらわれない抵抗力のようなものを涵養できます。Amazon-USで見ると中古paperback800冊がどこかに在庫されており、最安値だと1冊35セントで買えるようです(shipping chargeを加味していません)。注文しておき、届くまでに図書館で日本語版を読んでおく、というのが可能になります。日本のアマゾンだと英語版の最低価格は1200円前後でした。あなたの利用する日本の公共図書館でも英語版を見つけて取り寄せてくれる可能性がありますので、買うことをためらう場合はトライしてみましょう。とは言え、言わば練習台ですので、鉛筆で色々書き込みができる自分の所蔵する本であることも意味があるだろうと私は思います。

(2)知らない単語が出てきても毎回引かない。知らない単語があるのは当たり前。普通はなんとか推測可能。気になる単語の場合はPost Itかマスキングテープを小さく切っておき、貼付して目印とする。何度も出てくる場合、それは重要単語だろうということで辞書を引く。良い本だとindexがあるので、その語がindexにあるかどうかもチェックする。indexにある単語はすべて重要語。

(2’)さて、私の軽い病理。それは、いよいよ辞書で引く時、大抵はスマホのオンライン辞書ですが、予想した意味があると軽い快感を感じます。ギャンブルの感じに近いのかも、と想像します(私はギャンブルは苦手ですが。)「やったー、どうだー」という感じ。まるで外れていると、あるいは納得がいかない場合は、また少しハラハラ、ドキドキしながら更に調べることもあります。それでやっと納得の語義に到達することもしばしばです。

これは心理学でいう、報酬系の事柄に相当しているのかも、と思っております。ただ、それはギャンブルではないし、一晩中やるわけでもありません。さて、ここで前段の(2)にちょっとだけ戻りますが、仮にすべてとは言わなくても、かなりの数の単語を調べたいと言う人、もしかするとそのこと自体がすでに依存症の入り口かも知れませんよ。つまり、調べないと不安ということです。

まあ、今日の話題は大した内容ではなかったかも知れません。ですが、このザックリと全体像を見る、というのは何事につけ重要だと私は思います。(昔はよく、木を見て森を見ない、とか森を見ても木を見ない、というような表現をしました。)そのためには、膨大な、知らない英単語とどのように自分は付き合うべきなのでしょうか----それについては近々改めて話題にします。

なお、導入の部分で述べた、ゲームなどへの依存症ですが、このブログを読む方にそんな暇人はいないと思いますが、念のため、気になるようでしたら、下記のページをチェックしてみてください。

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202007/0013524080.shtml

英語でsocial mobilityという言葉があります。社会において垂直方向への移動を、主に上方への移動を指す言葉です。social ladderということばもあります。たとえば、高校を卒業あるいは中退した、ブルーカラーの父親を持つ子供が、大学を卒業する、そしてホワイトカラーのキャリアーを歩む、という場合のことを指します。もちろん逆もあります。今アメリカで問題になっているのは、social mobilityがほとんど固定化しているのではないか、ということです。例えば、アメリカの有名な、ロー・スクールあるいはビジネス・スクールに入学する若者の両親は、概ねロー・スクールあるいはビジネス・スクールの卒業生である、というようなことです。さらには、それが数世代に渡ることがたまに実例として報道されることがあります。つまり今の学生の父親世代だけではなく、その父親世代あるいはさらにその父親世代が有名大学の卒業生である、というような例です。

社会の発展度合いを示す有力な尺度の一つが、乳幼児死亡率です。アメリカは実はこの点で先進国ではありません。1000の出生件数のうち、生後1年以内に死亡する乳児の数は、アメリカは約6人で、ほぼロシアと同じです。日本など西欧の多くの国では2人前後です。要因の一つが、母親に基本的な衛生観念が十分ではない場合があり、他に、そのための資料を与えても読めない(読まない)あるいは十分に理解できないことだろうと考えられています。つまりここにも最低限の母親の知的水準が関係しています。ちょっと話が飛躍してしまいましたが、もしかすると、アメリカの乳幼児死亡率が中心国なみに高いことの背景には低いsocial mobilityが関係してるのかも知れません。にもかかわらず、freedom democracyという言葉が好きな人々…  まるで、social mobilityはfreedom democracyとは無縁であるかのように… 私のポイントは、大学はsocial moibilityに直結している、ということです。大学には、恵まれない若者が社会の階段を上がる手助けをするという重要な役割があります。

秋篠宮の子息悠仁(ひさひと)氏は筑波大学系の有名高校に進学したいのだそうです。その高校は偏差値が67だそうです。とりわけ高いとは思えませんが、皇室の子息が通るには少し難しいかも知れません。いずれにせよ、彼は試験で入るべきです。他の生徒はおそらく全員あるいは大半が試験で選抜されたはず。筑波大学は国立(国営)である以上この点を肝に銘じる義務があります。さもないと、筑波大学and/or付属高校はsocial mobilityにまったく貢献していないと私は思います。しかも、他の一般の生徒にとって極めて面倒臭い奴です。何のプラスにもならないでしょう。

さて、ヘンリー・キッシンジャーHenry Kissingerは、かつて共和党政権下でのアメリカの国務長官を務め、ベトナム和平への貢献でノーベル平和賞を受賞した人です。生まれは戦前のドイツで、ユダヤ系だと言われています。98歳で存命中のようです。彼は少し訛りのある英語を話しましたが、特に聞きづらいということはありませんでした。

彼の発言は検索すれば無数にありますが、私が昔から好きな一節は次のものです:

It is not a matter of what is true that counts, but a matter of what is perceived to be true.

これは極めて有名な一節です。あまりにも有名であるため、果たして彼のオリジナルなのか、あるいは他の人のを彼がコピペして使い出したのか私にはわかりません。これはビジネスにおいても非常に頻繁に使われるフレーズです。しかも平易でなんら解説を要しません。

私はこれを名古屋の大手自動車メーカーのアキオ氏にプレゼントしたいと思います。彼は世界のメディアが、発展途上国における今後のガソリン車需要の大きさを過小評価あるいは無視しているとご立腹とのことですが、果たしてそうでしょうか。しかも彼は突然かなりの数のEVモデルを発表した、あるいは発表するつもりであることを発表したようですが、It is not a matter of what is true that counts, but a matter of what is perceived to be true に尽きますね。

このブログの読者は将来何らかの形で部下を導く立場になる人々でしょう。そこに至るまでにあなたは何度もこのquoteを聞くでしょうし、その立場で何度も言うかも知れませんね。アメリカ留学中にこの言葉はアキオ氏の脇を通り過ぎたはずですけど、彼は理解しなかったようですね。

あなたはフィレンツェに行ったことがありますか?私はまだです。去年行く計画だったのですが、コロナで先送りになりました…

duomo
さて、本日の話題はシンプルです。フィレンツェのドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会のクーポラ)の建築方法は?実はこれは誰も知らないのだそうです。現代の建築家は想像をするだけだそうです。ちょっと意外ですね。

私はあの屋根は、巨大な、青銅のようなもので組み立てられているのだろうと思っておりましたが、そうではないようです。建造されてから500年以上経ちますが、設計した本人(フィリッポ・ブルネレスキ Filippo Brunelleschi)以外誰も知らないとは…

しかも正八角形ではないのですね。

ナショナルジオグラフィック協会がそのことを説明した、大変に素敵な動画があります。ナレーションは英語です。おそらく子供向けですが、大人でも十分楽しめます。ナレーションの英語にちょっとした、独特の癖がありますが、ほとんど気にならないレベルでしょう。

https://www.intoflorence.com/brunelleschi-dome-florence/

ということは、あのドームの天井は解体修理されたことがない、ということなのでしょう。500年以上もあのままである天井、それだけでもすごいですね。パリ・シテ島のノートルダム大聖堂は19世紀半ばに大修理が行われています。それに比べるとフィレンツェのドゥオモは非常に堅牢ですね。

建築技術だけではなく、技術全般は時代とともに、進んでいくものだと思っておりましたが、例外が少なくともここにひとつある、というわけです。


私は昔ナショナルジオグラフィックが同じこと(ドームの架し方)を解説した図版を見たことがあります。内容は似たものですが、この動画の方がはるかにわかりやすいです。NatGeoもドゥオモへの関心を持ち続けている、というわけですね。

『ダラスバイヤーズクラブ』の監督として有名なジャン=マルク・ヴァレが死亡したとのことです。58歳だったそうです。死ぬべき年齢ではありませんよね。残念です。

さて、先日あるウェブサイトでパリ市の紋章の由来が書かれていました。ちょっとだけ違和感がありましたので、私の知る事柄を書かせていただきます。中世当時のことを現代の我々は過度に現代風に理解すると誤解をする、という良い例だと思います。ここでは主に12世紀に焦点を合わせることにします。
fluctuat
パリのモットー"fluctuat nec mergitur"はフランス語ではなく、ラテン語です。でもよく見るとなんとなく意味がわかりそうです。最初の単語は英語のfluctuateに似ています。3番目の単語はmergeに似ています。実際その通りです。necとはnor, and... notである、とあるラテン語のオンライン辞書で解説されております。adv/conjです。つまり、「上下に揺られるが、合併せず」ですが、古い時代にはmergeは現代とは同じではなかったようです。その意味については後述します。

1170年に、パリにあった商人のギルドが、セーヌ川を使った水運の許可を「国王」から授与された、と考えられています。当時の「国王」は Louis VII le Jeune、カペー朝のルイ若年王と考えられております。我々にとって非常にシンボリックな出来事は1066年のNCですが、その後であることにご注目ください。つまり、ノルマンディー公は、巨大な自分の領地をブリテン島に持っていました。

では、当時、フランスの「国王」は誰であったのか?実はそれは少し怪しいのです。フランスには当時は明確な国王はいませんでした。一応カペー朝は西フランク王国の出身で、その流れから、西フランク王国がフランスの源流だと言えそうですが、事はもっと複雑です。つまり今日の「フランス」は分裂しており、それぞれが〇〇人の王だった、こんにちの地図で言うフランス全体の王ではなかった、というわけです。ルイ7世はフランク人の王だったかも知れませんが、決してフランス全体の王ではなかったのです。

10世紀、カロリング家のシャルル3世は、ヴァイキングの襲撃に音を上げて、定住していたノルマン人の「ロロ」に対して、彼らが定住している地ではあったが、地元の人々から見るとただの荒れ地であった、ノルマンディー地方を封じる代わりに臣下の忠誠を誓うことを要求し、交渉が成立し、ロロはノルマンディー公となりました。ただ、有名な言い伝えでは、交渉の席に出向いたシャルルを、大男のロロは、ふざけてカーペットごと持ち上げてひっくり返したそうですので、ロロは単に荒れ地を欲しかっただけかも知れませんが、親分、子分の関係はここでは明確です。それは911年の事です。

その後1066年のブリテン島ヘースティングズの戦いを経てNCが成立します。(なお、実際の戦闘地はヘースティングズではなく、近郊のバトルBattleという地名で残っている場所です。つまり、バトルはフランス語から英語に入って地名にもなった、というわけです。)その1世紀後の、1170年頃には、ノルマンディー公はノルマンディーを統治し、同時に国王としてブリテン島をも統治する立場でしたので、どう見てもアンジュー家(ノルマンディー領主兼イングランド国王)の方が強大でした。このために、後述の、水運の権利と言っても、パリから川下のマント(Mantes-la-Jolie)まではなんとか確保しえても、そこから更に下流側に関しては統治権はノルマンディー側にありました。このためにわずか50km程度の水運の権利に過ぎませんでした。このギルドの名前は、「水上商人組合」です。英語版wikiでの説明では、the Marchands de l'eau (hanse parisienne des marchands de l'eau) were a corporation or guild established by royal privilege in 1170...となっています。日本語とフランス語は少し違いますが、日本語の呼称の方がわかりやすいですね。

ところが、パリを管轄するこのギルドは、非常に大きな利益を上げたと考えられています。元々はワイン運搬程度だったそうですが、その後は生活物資全般を扱い、さらに河岸整備のための負担金の徴収を行いました。やがては、水上交通に関する裁判権も与えられました。当時は統治とは、徴税であり、裁判権であり、その他の雑多な行為でしたが、最も重要な二つの権利がこのギルドに賦与されていたという訳です。ヨーロッパでは自由都市が自治権を持つことはよくあります。ですが、ギルドに自治権が与えられることはありません。それは普通ただの商人の組合に過ぎないからです。我々の感覚でいうとそれは税金です。このような資金を徴収する権利をこのギルドは「国王」から賦与されていました。このギルドのモットーが fluctuat nec mergitur なのです。この紋章の中の白ユリは代々フランスの国王の象徴とされるものですが、それが描かれているということは、このギルドが「国王」認可の団体であったというわけです。当時セーヌ川は頻繁に洪水を起こす河川でした。ということは、そられの権利をこのギルドに賦与するに値するような金づるだったということですね。別の言い方をすると、このギルドから国王への献上金が莫大だったということでしょう。実際にそうだったと考えられています。

さて、標題のラテン語のモットーですが、ある英語のサイトでの解説は以下の通りです:
In modern French, Fluctuat nec mergitur translates to Il est agité par les vagues, et/mais ne sombre pas, or “He/she is rocked by waves, and/but does not sink.” A motto that vividly suggests resilience, courage and inner strength. 

波間に浮き沈みはするが沈まず、という意味ですね。私の解釈では、パリの中心、シテ島(ノートルダム寺院のあるところ)そのものが船に譬えられるように、パリの中心地でさえ波間で浮き沈みがあったのです。ギルドの会員の船が波に揺られるのは当たり前だったのでしょう。日本語では「たゆたえども沈まず」と訳した観光ガイドがありましたが、ほぼ正確ですね。つまり、現代のパリ市の紋章は中世から続く水運ギルドの紋章とモットーを継承しているのですね。

なお、このギルドとノルマンディーとの間の水運の了解事項について調べようとしましたが、何も出ませんでした。セーヌ川の河口にある町は、ル・アーブルという港で、現代の外航商船のサイズではセーヌ川航行は不可能ですので、パリに直接入港することはなく、ル・アーブル経由で物流はなされます。なお、19世に改めてパリの市章としてこの12世紀以来の基本図案とラテン語モットーを採用したのが、パリ大改造の主役ジョルジュ・オスマンです。

パリ市の紋章の裏にある古い歴史がこのモットーに隠れているのですね。このことをある程度正しく認識しているサイトはほとんどありませんでした。中世以降の歴史については、どれも正しく書かれていると思います。現代の地図で、何々川の西側から、何々川の東側までの一帯に西フランク人が住んで…といっても、中世には、広さもわからなければ、距離も馬で何日、という程度しかわからなったのです。このことを理解すると気付かなかった、色々なことが見えてくると私は思います。

より興味のある方は以下のサイトをのぞいてみるのはいかがでしょうか:
https://www.parisunlocked.com/history-of-paris/fluctuat-nec-mergitur-paris-motto-meaning/

本日の話題は、short -e-、long -e-です。英語の単語に/e/ がある時それをshort E soundと呼び、/iː/が入っている時それをlong E soundと呼びます。考えすぎるとややこしいですが、中身は単純な話です。例えば、met   meet というものでは、metの音はshort Eであり、meetの音はlong Eです。特に難しい話ではないと思います。

Pedeという名前の人がいて、私はそれを/piːd/と発音しました。本人はそれはlong E soundだよ、と私に教えてくれましたが、それは一言で通じます。つまりその名前の正しい発音は/piːdiː/ということになります。ニックネイムでPeteというのがありますが、その場合と違う発音になる、というわけです。

このように、もしあなたが馴染みのない単語、人名などの時に、読み方に自信がない時にはlong Eかshort Eかと聞けば、相手(あるいは周囲)は一発で答えてくれるでしょう。

大半の平易な単語ではこれは悩む必要のない事柄です。しかし、he という言葉ではlong Eですが、上記のようにmetだとそれはshort Eです。key  receive brief read など、どれもlong Eですが、long Eには何通りかの綴りが あるようです。

これはこのブログで扱った soft G hard Gのように、発音の仕方を端的に表す言い方です。英語では綴りと発音が乖離している語が非常に多いために、このように、soft/hard  long/shortなどの単語で区別することが日常的に行われていますのであなたはぜひ慣れておくべきでしょう。

過去のアーカイブは以下にあります:
hard g, soft gとは何か?
2020年12月28日

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