字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2021年11月

2,3年前にロンドン旅行をした時に、地下鉄の広告のようなものの中に詩がありました。私が見たのはなんとも素敵な英語で書いた俳句のような、静謐と奥行きのある詩でした。その時は、あまりに短いので子供が書いたものだろう程度にしか想像しませんでしたが、どうも出来があまりに良かったので、それはプロのものだったのかも知れません。今日はそれを主催する団体のサイトからこんな詩をピックアップしてみました:

My Voice

I come from a distant land
with a foreign knapsack on my back
with a silenced song on my lips

As I travelled down the river of my life
I saw my voice
(like Jonah)
swallowed by a whale

And my very life lived in my voice

Kabul, December, 1989
Partaw Naderi (b. 1953)
Poems on the Underground ←主催団体の名称

我々にはなじみがありませんが、Jonahとはユダヤ教とキリスト教の聖書の書のひとつ「ヨナ書」の由来になった人物の名前です。預言者のひとりです。この人はあまり知られていなくても、鯨に飲み込まれたおじいさんがピノキオの話に出て来ます。おそらくこれは、ヨナ書を元に膨らませたのではないでしょうか。ユダヤ人預言者ヨナは神の命令に従って、ニネヴェ(メソポタミア)の町に行き、神からの預言を人々に伝えようとしますが、途中の海路で嵐にあい、海に落ちて、大きな鯨に飲み込まれますが、三日後に生きて吐き出されます。それが I saw my voice (like Jonah) swallowed by a whale の意味でしょう。

おそらくこの詩を書いた人は、1953年生まれで、カブール在住のアフガニスタン人だと思います。彼はソ連侵攻の後で投獄されていたそうです。検索すると顔写真も出て来ますが、見ない方が… いずれにせよ、これはちょっと抽象的で、不思議な詩です。

この詩がさりげなく示すことは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は共に、我々が旧約聖書として知る書物を共通に持つ啓典の民の宗教なのです。啓典の民を英語でいうとpeople of the Bookといいます。このために、この作者がイスラム教徒であっても、Jonah の意味は欧米人にも共通にわかるのですね。

もし、whaleがソ連侵攻あるいはイスラム原理主義者たちを表すのであれば、a silenced song、 my voiceは何を表すのでしょうか。

他の詩をご覧になりたい方は以下のURLをタップしてみてください。地下鉄の車内で丸い壁に貼りついているような、横長の紙に印刷された、ロンドン地下鉄のロゴマークの付いたポスターに書かれたものが見えます。私がチェックした時には、アフリカ系の人が発音するままの綴りを記録した詩もありました。これも素敵です。ちょっとわかりにくいですけどね。

https://poemsontheunderground.org/

言葉の散歩とは、言葉の世界を勝手にあちこちブラブラすることをさすこのブログのコーナーのひとつです。

英語で現金のことをcashと言います。この語源は、お金関係の言葉ではなく、入れ物に由来します。つまり、最初は外見のことだったのに、いつのまにか、中身を指すことになった、というわけです。etymonlineをコピーします:

1590s, "money box;" also "money in hand, coin," from French caisse "money box" (16c.), from Provençal caissa or Italian cassa, from Latin capsa "box"; originally the money box, but by 18c. the secondary sense of the money in it became sole meaning.

なお、Provençal: Provancal in English

money (n.)
mid-13c., monie, "funds, means, anything convertible into money;" c. 1300, "coinage, coin, metal currency," from Old French monoie "money, coin, currency; change" (Modern French monnaie), from Latin moneta "place for coining money, mint; coined money, money, coinage," from Moneta, a title or surname of the Roman goddess Juno, near whose temple on the Capitoline Hill money was coined (and in which perhaps the precious metal was stored); from monere "advise, warn, admonish" (on the model of stative verbs in -ere; see monitor (n.)), by tradition with the sense of "admonishing goddess," which is sensible, but the etymology is difficult. A doublet of mint (n.2)).

ものすごくの多くの情報が盛られていますね。今日は立入りませんが、それぞれが面白い話題ですよね。ラテン語などに通じていないと判別できない単語がたくさんありますが、わからない単語はそのままスルーしても大意を取るのは可能です。

さて、上記で太字の、ラテン語のcapsa、なんとなく見たことが…そう、capsicum トウガラシ、capsaicinカプサイシン(カプサイチンとも)の一部かも、と思ったあなた、非常に鋭いです。その通りです。-cinは、ケミカルの造語で使われるsuffixです。ただ、なぜその赤い香辛料がcapsaの仲間なのかについては、French botanist Joseph Pitton de Tournefort (1656-1708)が記録した名前だそうですが、その理由については説明していないそうです。もしかすると、大事に小箱に入れて輸送、保管するような貴重品だったからでしょうか。

次に、ポルシェのクルマの中にカイエンというのがあります。綴りはCayenne。これが何語かはわかりませんが、なんとなくフランス語っぽい綴りですよね。英語の場合、cayenne pepperと綴ります。もちろん最初のone wordで通じます。この意味は「胡椒」ではなく、「唐辛子」です。なぜポルシェが新たに作ったSUVをトウガラシになぞらえたのかは私は知りません。おそらくオーナーの大半はトウガラシの意味だとも知らないのでは?ポルシェのCarreraという名前のクルマもあります。こちらは、スペイン語でraceの意味です。ラテン語由来です。ポルシェは当初スポーツカーの定義として、「そのままレースに出られる」ということを掲げていたそうですので、これが由来でしょう。

大航海時代を駆り立てたエネルギーの源は、ヨーロッパ人がイスラム商人を通して買い付ける香辛料の産地を探り出し、直接取引を始めることでした。ある説によると、モルッカ諸島(香料諸島)でイスラム商人が買い付けた値段の80倍の値段がヨーロッパでの取引価格だったそうです。それはおそらく暴利というよりは、貧弱な輸送手段のコストだったのでしょう。海洋での船舶輸送だけではなく、アラビア半島などの途中での陸路では、ラクダの背中で揺られて、たまに強盗に襲われて輸送されたのですから仕方ありませんよね。それほど香辛料は高価だったというわけです。

映画『マイ・フェア・レディ』の原作はGeorge Bernard ShawのPygmalionだそうです。これはギリシャ神話に登場する人物の名前です。ピグマリオンとはギリシャ神話における、キプロスの国王です。彼は現実の女性に関心を失い、自ら象牙あるいは大理石で、理想とする女性を彫りそれを愛します。女神アフロディーテによりその像は、命を与えられ、PygmalionはGalateaという名前を付けたというスpygmalionトーリーです。Pygmalionがそのままラテン語に入り、英語に入って来ました。有名なジェロームJean-Léon Gérôme の絵 Pygmalion and Galatea があります。下記に貼付しておきます。素敵な絵ですよねえ。彼は彫刻家でもありました。

その絵で、臀部から上は人間の色ですが、下の方はまだ大理石の色ですので変身の途中なのでしょう。でもふたりの抱擁の熱さが画面のこちら側に伝わって来るかのようです。

さて、「ピグマリオン」という言葉で有名な別の事柄があります。「ピグマリオン効果」と言われます。初歩の心理学用語です。別名ローゼンタール効果、あるいはローゼンタール-ヤコブセン効果。詳しくは下記のURL(日本語版wiki)をご覧くだい。

大抵の解釈は、教師の暗示によって、生徒のデキが良くなること、というものです。これには批判もあるようですが、事の妥当性が今日の話題ではなく、自分で自分にピグマリオン効果を与えることができると得だ、ということを申し上げたかったのです。それをここでは自己肯定感と名付けましょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%E5%8A%B9%E6%9E%9C

それは自分に対して、ポジティブな評価をすることです。それは十分に定義することが難しいだろうと思います。その逆は?自己否定感という言葉はおそらくないので、「自己否定感が低い」という言い方をすることになります。それはどのようなことでしょうか。
  1. 過去の失敗にいつまでも、強く囚われている
  2. 自分の弱点を直視しない、失敗から学ばない
  3. 向上心が希薄
  4. 物事の見方が一面的
  5. 失敗を必要以上におそれる
  6. 根拠のない、過剰な自信を持つ
  7. 他者、多様性を強く否定する
6,7は自己肯定感の低さと関係なさそうですが、肯定、否定で健全さが欠けていると私は考えるので入れました。1から7まで、あるいは1から5まで、これを今時の言葉でレジリエンス resilience と呼びます。

私のイメージすることは、例えば、こうです。「自分はエビングハウスの忘却曲線を取り入れた単語帳をつくって、出会った新しい単語のうち1日30個を覚えることにしている。これを半年続けたので5千以上の新しい単語を覚えた。」-----これを立派な業績として自分をほめましょう。他の人との比較をして相対評価をする必要はありません。

バイブルサイズのレフィルで方眼紙などだと、少し小さい文字にすると1ページにおおよそ30行書けます。作るのに約30分。1つの単語で1か月の間に4回暗記を確かめますがこれは電車の中で可能。1日5分から最長でも15分位。この用紙が半年で90枚。レフィル1袋が100枚ですので、半年でほぼ1袋を使い切る感じです。自分はこれだけやったんだ。と、しみじみと見返してみるのです。一流大学に入学する学生の知っている単語が1万から少し越える位と言われていますが、その5割相当量を増やしたことになります。

あなたが今大学受験で使った単語帳を見るとして、その時の印象は、「昔はこんなのを一生懸命覚えていたんだなあ、つまりレベルが低いがそれなりに大変だったし、頑張ったんだなあ」というものに近いと思います。それとほぼ同じか、それ以上の印象をあなたは半年後に実感するのです。これは効果絶大です。それが実用的見地からは量的に不足しているとしても決して根拠のない自信(自己肯定感)ではありません。

聴き取りではこのような視覚に基づく肯定感は難しいでしょう。でも「自分の大好きな映画を3本ピックアップして、教材を作り、2か月かけて何度も聴いた。場所によっては覚えてしまった。」と実感する時が来たら、あなたは聴き取りの基礎はもう卒業ですね。(でも別の教材でそれを維持することが必要ですよ。)

仮にこのような行程 path を経て、あなたが自己肯定感を持ったとします。それはものすごくあなたのエネルギーの源泉になるはずです。これを私はピグマリオン効果と呼びます。専門家の用法とは少しずれているかも知れません。でもその充実感は美しいGalateaとなってあなたの手を取り次の半年の単語帳へと誘い出してくれるでしょう。

自己肯定感を持つ人というのは何となくわかるような気がします。いつもこのブログで使わせていただいている自動車会社のアキオ氏、彼は自己肯定感を持ったことがあるでしょうか。そんなこと知る由もありませんが、彼の経歴、達成度からいって、私は、ない(その可能性は低い)だろうと想像します。この辺りを論理的に展開するのは止めたいと思いますが、これだけで読者の多くにはわかってもらえそうな気がします。

他人に承認してもらいたいという欲求はもう忘れましょう。あなたの応援団は自分自身なのだと静かに、しっかりと魂に刻み込みましょう。覚えた単語の多寡よりもそのことがあなたの宝物であり、あなたのレジリエンスの源泉なのです。「ピグマリオン効果」です。後日紹介しますが、William F. O'Brienという人の詩の中に出てくる言葉 You'll be satisfied, succeed or fail, win or lose, knowing the right path you did choose の中の、この静かな満足があなたの宝物になります。なお、精神病でいう「彫像愛」は、英語でpygmalionismと言いますが、これは現実の男性あるいは女性に関心を持てない、心の病気に対して与えられた名称です。

町を歩くとたまに謎と呼ぶしかない英語に出会います。

この写真はルイ・ヴィトンのショーウインドーで見えた英語です。Lie Weiなるアーティストが手掛けたのかも知れません。上にはレーニンの名前が。What is to be do かなり変な英語です。強烈な違和感ですが、おそらくWhat is to be doneと書くはずのところが、何かの都合で最後のNEが落ちたのでしょleninう。もしそうだとすると、What is to be doneの意味は何でしょう?天下のLVのショーウインドーに飾るような意味のある言葉なのでしょうか。しかも中国系の人が引用しているという不可思議な関係… 強い違和感だけが残ります。LVのデコレーションはいつもかなり変ですが、この馬鹿馬鹿しさは私の記憶に長く残るでしょう。私が立ち止まってこれを凝視し、写真に撮っている様子を中の店員がジーっと見ていました。彼も私に相当強い違和感を持ったようです。

なお、中国でもロシア(旧ソ連)でもマルクスの政治思想に基づいて国家の運営が行われているような印象を我々は受けますが、それらの国々はカール・マルクスの思想とはまったく縁もゆかりもありません。どうしてそのようなことになったのか私は知りません。おそらく初期の指導者はマルクスの思想の一部に感銘を受けたかも知れませんが、その後の歴史を見てもマルクスとはまるで関係がありません。単なる一党独裁を敷いているだけです。NAZISとは、国民社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiの略語です。中に社会主義という言葉が入りますが、まるで社会主義とは関係ありません。レーニンの言葉を、Lie Weiなる、中国風の名前のアーティストに引用させるということがそもそもLV社の政治的音痴度を的確に表していると思います。

あちこちのショッピングモールの中に、Rodeo Crownsという、衣料小売りがあります。少し古い時代のアメリカのカジュアルを売る店のようです。私の知る「ロデオクラウン」は、rodeo clownと綴ります。これはロデオのショウで、乗り手が馬(あるいは牛)から落ちた時に、馬の気を引くため、そしてその間に乗り手を救出する時の道化役のことを言います。clownとは日本語で道化と訳される言葉です。わざわざRとLを差し替えて、何かを表そうとしているのでしょうか。それとも単に、綴りを間違えたのか。暇そうにしている店番の若い女性に店の名前の由来を尋ねたところ、「知りませんね」との回答でした。なお、ピエロ pierrot はフランス語です。

ちなみに、rodeoの語源はスペイン語です。"public entertainment show of horse-riding skill," 1914, from the earlier meaning "cattle round-up" (1834), from Spanish rodeo, "pen for cattle at a fair or market," literally "a going round," from rodear "go round, surround," related to rodare "revolve, roll," from Latin rotare "go around." (etymonline)

ちなみに、野球でいう「ブルペン」とは、bull penで、雄の牛用の囲いのことです。

なぜ牛のオス、メスを英語はわざわざ区別するのでしょう?牛のオスはメスよりはるかに体が大きく、気性が激しく、乳はださず、肉はメスほどおいしくありません。成長したオスは平気で人間に襲い掛かり、角で刺して、放り投げてしまいます。このため子牛の時に、オスは屠畜されます。これが欧米の料理で必ず子牛肉が用意されている理由です。ですが、幼い時に去勢をして、肉牛として育てる場合があります。その時の呼称はsteerです。

ビッグハウスという商号のスーパーがあります。調べると建築関係の会社もあるようです。この意味はbig house「刑務所」です。大きな家、という意味もあるのでしょうが、その場合は、mansionという言葉が別にあるのでそちらが使われそうです。日本語の「大邸宅」に相当します。それは日本語のマンションの元になった言葉ですが、意味はまるで違います。日本の集合住宅を英語ではcondoと呼びます。condominiumの略です。「刑務所」という名前のスーパー、「刑務所」という名前の住宅建築会社、違和感だらけです。

昨日に続いてアランの2回目です。あなたは幸福になる義務を有するということを述べる、次のquoteです:

It is very true that we ought to think of the happiness of others; but it is not often enough said that the best thing we can do for those who love us is to be happy ourselves.

我々が他者の幸福を慮(おもんばか)る務(つと)めを負うことは論を待たない。しかし、十分に言われたためしがないのは、愛する人々のために為しうる最善のことは、まず自らが幸福になることである。

元の文(フランス語)は以下の通り:
Il est bien vrai que nous devons penser au bonheur d'autrui; mais on ne dit pas assez que ce que nous pouvons faire de mieux pour ceux qui nous aiment, c'est encore d'être heureux.
冒頭の2単語は、il est です。英語の it is と同じです。

中学生でもわかるようなシンプルな単語で、こんな素敵な言葉を紡ぐ…やはり後世に名を遺すような天才は凡人とは違うものだと思います。

この文は、私が冒頭に書いた、あなたには幸福になる義務がある、ことを言っているのではありません。他者への最善が自らの幸福、と言っているのです。必ずしも容易な事ではないという含みを持たせていると私は解釈します。自分のことばかりを考え、優先し、時には他者に自分の考えを押し付ける時代に我々は生きています。しかし、真の人間らしさは、そこにバランスをとることにあるのだ、と彼は言っています。自分を愛し、他者を愛す。自分を幸福にし、他者を幸福にする。この観点から今の時代を見ると、どこかに病があるような気がします。英語がストレス、という人は考え直してみる必要があるかも知れませんね。

では、幸福である、とはどのような事をいうのでしょうか。人は誰でも、数個の幸福を持ち、数個の不幸を持っているでしょう。それらを比較して判定してもあまり意味はないような気がします。それよりも、幸福は不幸を上回るものだという確信が幸福の出発点だと私は思います。やはりoptimism comes from willなのです。

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