字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2021年08月

レンタル店のSFのコーナーでお勧めされていたこの作品をピックアップしてみました。

★ ★ ★ ★ ★

映画:『パッセンジャー』(原題 Passengers)

公開:2016年

ジャンル:SF

時間:116分 

脚本:Jon Spaihts
 
原作:-

監督:Morten Tyldum

配役:Jennifer Lawrence as Aurora

あらすじ:
新しい宇宙コロニーをめざして5千人以上の人々を乗せた宇宙船が目的地に航行しています。機械の不調で予定より数十年も早く冬眠から覚めたJimは、別のあるpassengerを冬眠から覚めさせます。彼らは無事目的地に着けるのでしょうか。

聞き所:
バーでのシーン。Aurora、Jimとアンドロイド(Arthur)の3人で話している時。人間の間のちょっとした言葉をArthurは誤解して、Jimのある秘密をAuroraにバラしてしまいます。その瞬間から映画は180度違った方向に展開して行きます。

訛り:
基本的にAEですが、なぜかvoice-actor/actressの声がBEです。アメリカの映画なので、それが聞きにくいことは全くありません。ですがこれは何かのmetaphorなのでしょうか?

私の評価:
エンタメ度   つまらない★☆☆ 面白い
文化理解要求度 高い   ★★★ 低い  
熟語、俗語量  多い   ★★★ 少ない 
早口度     早い   ★★★ 普通
ビジネス用例  少ない  ☆☆☆ 多い 
-----------------------------------------
合計           10★(満点15★)

台本総語数:6.6k  平均的

スピード:6.6k/116/2=114 wpm  平均よりかなりゆっくり

難解語割合:43/6.6k=0.65%  少ない

予告編:(この映画のMT(movie trailer)を見ることができます)


スクリプト:

単語解説:
9月3日のpostになります。

コメント:
設定として、Auroraの地球での職業はmedia writerで、Jimはブルーカラー丸出し。passengerとしてのクラスも違いますので、食事も違います。それは別にしても、どことなく映画全体が『2001年宇宙の旅 (2001: A Space Odyssey)』に似ているように感じます。voice-overがBEである点も似ています。BEと声の質をうまく組合わせると、少し冷たい機械のような声になると考えるアメリカ人は感じるのかも知れません。

このブログを書いているオヤジは、「若い」人々とはかなり持っている感覚が違います。今時の、なるべく短めに、軽く書こうと言う気持ちをまったく持ち合わせておりません。長く、くどく、しつこく、重く、とことん書くことこそが読者の助けになると信じているからです。短く、軽く、浅く書いても、伝わるものもあるでしょうが、あまりまともなことは伝わらんでしょう。

最近、気になることがあります。比較的若い男性で、まるで鳥が鳴くような浅い発声で、早口で話す人々。残念ながら、私はあまり一目置こうという気持ちになりません。なぜあのように浅い呼吸で、速く話すのか、まったく理解できません。具体的な名前を数人分挙げた方がわかりやすいでしょうが、避けるのが賢明でしょう。同じ内容を話すとしても、もう少し音程を下げて、もう少しゆっくり、堂々と、落ち着いて話してはいかがでしょうか。より広い世代にもっと良く伝わるでしょう。もしあなたが、男性で、日本語でそのような話し方をする人だったら、英語の時、話し方をより工夫して見ることを提案します。欧米系言語の場合、男性と女性では話すときの身体の使い方が違います。普通、男性は女性のように、肺呼吸で浅く呼吸し、速く話すことができません。あるいはできるのかも知れませんが、そうしてもあまり尊敬されないでしょう。私の感覚では、あのような話し方をする白人、黒人を私はあまり知りません。おそらく見たことがありません。英語圏でも早口の人はいます。ですが、軽薄ではありません。人の心に何かを送ろうとする場合には、一定の「間」(ま)というものが必要なはず。まぁ、私のように、ある程度の重さを持つべき内容を、軽薄体、冗長体で書く人が、音声コミュニケーションにおける、軽薄体を批判する、というのも、五十歩百歩ではありますが。たとえて言えば、ミッキーマウスの声で、古代ギリシャ演劇の悲劇論のプレゼンをしてもオーディエンスに届くものはほぼないでしょうね。

さて、本日は Sisyphean /sìsəfíːən/ です。これは Sisyphus /sísəfəs/ という名前に由来します。古代ギリシャ神話の、コリントの王である Sisyphus は、かなりアクの強い人物です。彼の名前は、ヨーロッパの諸言語において、「永遠に続く劫罰としての労苦」を意味します。つまり、それは Sisyphean labor (task)と呼ばれるものです。M-Wに少し詳しい説明がありますので、それを引用します:

In Greek mythology, Sisyphus was a king who annoyed the gods with his trickery. As a consequence, he was condemned for eternity to push up a huge rock up a long, steep hill in the underworld, only to watch it roll back down. The story of Sisyphus is often told in conjunction with that of Tantalus, who was condemned to stand beneath fruit-laden boughs, up to his chin in water. Whenever he bent his head to drink, the water receded, and whenever he reached for the fruit, the branches moved beyond his grasp. Thus to tantalize is to tease or torment by offering something desirable but keeping it out of reach - and something Sisyphean demands unending, thankless, and ultimately unsuccessful efforts.

First Known Use of Sisyphean
1635, in the meaning defined above

一部の単語を書き換えてあります。また、本件に関係が薄い部分のインクを灰色にしてあります。
原文:https://www.merriam-webster.com/dictionary/Sisyphean

余計なことですが、unendingという言葉初めて見ました。普通はnever-endingかと。日本語でいうendlessはあまり、ほとんど使われません。

あなたはおそらくこの神話の王の名前は忘れているにしても、岩を頂上まで運ぶが、その岩は麓まで落下してしまう、という話をどこかで読んだことがあるはず。その王がSisyphusなのです。adjectivizeされた形がSisypheanです。これは、ビジネスで、警句のような役割を果たす語句として、比喩の目的で使われます。むしろ、厄介なのは、日本語で数通りの名前があることです。シシフォス、シシホス、シジフォス、シーシュポスなど。どの言語からとるかで、日本語での発音、表記が変わるのでしょうね。

さて、Syssyはどんな罪を犯したのでしょうか。多少の間違いがあるかも知れませんが、私なりに要約すると、彼は、ギリシャ神話で「死」を司る神Thanatos /θǽnətὰs/ をだましたため、Thanatosは自分の仕事(髪の毛をひと房切って、冥界に届ける)を遂行できなくなった、つまり、その間誰も死ななくなってしまいました。これに怒ったゼウスから罰として岩を頂上まで運ぶ仕事を与えられました。それがSisyphean laborと呼ばれます。(M-Wとは神の名前が少し違いますが、このpostでは追及しないことに。)

sisy2もしあなたが、会社でやっていることがSisyphean laborに近い、とお考えでしたら、次の会社、別の国、新しいキャリアーに挑戦するのも一つの方法かも知れませんよ。ちなみに、Sissyにその罰を与えたのはゼウスです。あの好色な神はそこまで他の神には厳しかったのですね。それがギリシャの文化なのかも知れません。何の根拠もありませんけど…

なお、これと少しだけ似た、英語圏のビジネスでよく使われる言葉Pyrrhic Victoryについて説明した過去のアーカイブがあります。気になる方は以下をチェックしてみてください。


昔NHKで、ウサイン・ボルトと、彼のジャマイカの陸上クラブなどの取材をし、それが放送されました。陸上短距離走で世界記録を狙うような一流のアスリートのことに興味があったのでかなりよく覚えています。コーチはボルトに、スタートダッシュの練習をその日は100本課していました。100m走ではゴールまで無呼吸で走るのはご存知でしょうか。練習を適当にやっていては、次から次へと登場する競争相手に抜かれてしまいます。ボルトは何本かをこなして、トラックの脇でゲーゲー吐いてました。その後、またダッシュに戻ったのでしょう。彼の体は恵まれていますが、大きな欠点もあります。生まれつき背骨がかなり曲がっているのです。短距離走のような、大きな力が瞬間的に繰り返し繰り返しかかる競技ではそのような背骨が耐えきれないのだそうで、それを克服するためには、ドイツの専門の施設で、背骨の周囲の筋力を十分に付けて補うしかなかったのだそうです。つらい何か月かのその施設でのトレーニングを彼は無事終えて、世界記録に挑戦する体になってジャマイカに戻って来ました。

これらの話は天才のもので我々には関係なさそうです。でも我々にも何かを学ぶことができるかも知れません。先ず、あなたが、すべてに恵まれた資質、体力、学力をもっているとは限らない、ということです。ボルトでもそうだったのです。自分の欠点を知り、それを克服し、さらに長所を伸ばして行くことが誰にでも必要なのですね。彼は練習を楽しんだのでしょうか?そもそも陸上競技は彼にとって楽しみなのか、苦しみなのか?おそらく、苦しみに耐えるということを楽しんだがのでしょう。あるいは、苦しみを楽しみに変える方法を知っていたのでしょう。一流のプロは、プレッシャーを自分だけの方法で自分の力に変えることができますね。あなたにはそのテクニックはありますか?

最近話題にした、デーブ・スペクター氏でさえ、1日に30の新しい日本語を覚えることを日課にしていたのです。立派なホテルの一部をリースして自分のオフィスにしていた…ということは、そのホテルに住んでいた、いるのでしょう。そんな人でも高校生のような、1日30語、に挑戦していたのです。

さて、勝海舟は『ドゥーフ・ハルマ』Doeff-Halmaと呼ばれる、蘭和辞書を蘭医者から借りたそうです。全58巻。当時全巻で60両の値段。それを年10両の賃料で、半分ずつ借りて、書生に筆写させて、2部作製して、1部を売却したそうです。それで、賃料、筆写料をまかなったか、あるいは利益を出したのでしょう。これはまるで商人のやり方ですよね。旗本の端くれの海舟がそんなことをして沽券にかかわる、という考えはなかったのでしょうか。それともその辞書が日本の未来を担う人材を育てることに賭けたのでしょうか。

Doeff-Halmaは元々蘭仏辞書で、その見出し語をそのまま流用し、蘭和辞書にしたものだったとか。19世紀初めにオランダはナポレオンの支配を受けましたが、その時に元の蘭仏辞書が作成されたのだそうです。誰も論じないのが、海舟のオランダ語力。その時代に日本はオランダ語を捨てて、英語に走りましたので、多くの場合は、オランダ語力を持っていても役に立てることはなかったのでしょう。その大きな辞書に掲載されている語数は5万語だそうです。巻数からは大きな辞書ですが、今の我々の感覚では、さほど役に立つとは思えないほどに小さな辞書ですね。勝海舟の時代に比べれば、我々はものすごく恵まれた時代です。ですが、語学の学び方には革命はなかったようです。文法を知り、単語を知り、発音を聞いて、真似をする… その繰り返ししかありません。Doeff-Halmaの収載語数は5万語だそうです。私が使う英和辞書のひとつgoo英和の語数は13.8万語です。おそらく当時としては5万語でも、かなり大掛かりなものだったのではないでしょうか。ただ、Doeff-Halmaを仮に学習者用としてとらえると、語数だけで判断すれば十分だったはずとも言えそうです。ただ、残念ながら、時代はもはやオランダとは無縁に回っていたと言えます。英語の時代が怒涛のように日本にやって来たと私は思います。あるいはすでにやって来ていた、と。

海舟の語学力がいかほどのものであったのか、私は調べましたが、わかりませんでした。明治新政府に入るでもなく、国会議員になるでもなく、大学教授あるいは研究者になるわけでもなく、随分と呑気に暮らしたのでしょうね。wikiを読むと、妾の名前が数人記載されています。ずっと全員を、というわけではなくて、適宜交代したのでしょうが、それでもすごいですねぇ。というか、もともと旗本あるいは幕臣と呼ばれる身分の、江戸時代の人々はそのような身の振り方をしていたのでしょうね。

一方、福沢諭吉は、幕末に通訳として働いていた時代もあり、オランダ語が第2言語、英語が第3言語だったようです。英語は独学だったのかも知れません。福沢と勝は犬猿の仲だったと言われていますが、少なくとも語学力に関しての優劣を勝手につければ、福沢の圧勝だったろうと私は思います。なお、こんにち、「ヴ」の書き方は、福沢が発明したと言われています。これはラテン語の推移を見れば、当然の選択であり、なおかつ極めて秀逸です。福沢の教養の深さがしのばれます。できればRとLの使い分けもしてほしかったです…

さて、こうして1世紀半前の偉人たちの学びを想像すると、我々は随分と恵まれた時代に生きているのだと思います。ぜひこれを活かして聴き取り力を磨きましょう。

日本語でいう楽勝、あるいはちょろい。英語ではなんというか一緒に思い返してみませんか?

まず、思い浮かぶのは easy-peasy 本来は子供の言葉ですが、大人が使ってもOKのようです。映画『ショーシャンクの空に』の中で出てくるセリフは、easy-peasy-Japanesy でした。

a piece of cake/a walk in the park これらは楽勝を意味する、最も普通のレベルの言葉です。後者では the park ですが、別にあなたの近くの公園ではありません。英語ではなぜかparkの時はほぼ常にthe が付くようです。ちなみに、いずれかのフレーズをオンライン辞書に入れると、類義語が山のように出て来ますが、私には少しばかり違和感があるものが多いので、自分の語感から選ぶものを続けます。

ビジネスでも出てくるhands down 「楽勝」という意味ですが、もうひとつ「文句なしで」という意味で使います。由来は、19世紀の競馬で、手綱を下したままゴールラインを越えても勝利できるような、楽なゲーム展開を指したことに由来するそうです。M-Wにある例文 It's hands down the best movie of the year.  この場合は「楽勝」というよりも「文句なしに」ということでしょう。この意味、用例はビジネスでもよく使われます。これの反対語は私には思い浮かびません。Hands up!だと「両手を上げろ」で、降伏せよ、す。

stand-up double という表現が昔ありました。意味は、野球でstand-upしたまま、つまり滑り込みせずにdouble二塁打、という意味で、「楽々と」という意味です。知らない人のために申し添えますと、野球で1塁打以上のヒットになりそうな場合、2塁上でセーフか、アウトかのギリギリになるのが普通なので盛り上がります。(なお、このような際どいプレイをclose playと言います。日本語の「クロスプレイ」はこのことです。もしかすると野球用語は勘違い英語がたくさんあるかも知れません。)Billy Joelの歌の歌詞で"Now he gives them a stand-up routine in L.A." (My Life)というのがあります。stand-up routineというのは、ステージの出し物で、立って行う漫談のことです。つまり、立ったまま、というところは同じですが、この場合、楽に、という意味はありませんし、これには他にいくつかの意味がありますのでご注意を。でも改めて考えると、楽にというニュアンスがstand-up routineに含まれているのかも知れませんね。

dunkというのはバスケットボールでリングの上から片手または両手でボールをネットに入れることをいいます。同じことをslam dunkともいいます。slamとは叩きつけるという意味。(なお、言うまでもないことですが、貧民街はslumです。綴りも発音も違います。両方の違いを正しく発音できない方はぜひ基礎に戻ってマスターしましょう。)かなり身体能力的に高度な技だと思いますが、なぜか英語ではeasy-peasyの意味で使うのが slam dunk、おそらくボールがリングを通る、つまり得点することが100%確実なことに由来するだけで、けっしてチョロいという意味に由来するのではないと私は思います。昔はアメリカのカレッジバスケットボールでは禁止されていた時代があるそうです。理由は、当時dunk shootができるのはアフリカ系の選手ばかりだったので、禁止されましたが、そのうち白人選手もできるようになると解禁されたのだとか。

楽勝の反対語で、一番使われるのは、おそらくproblemだと思います。日本語で「それは時間の問題だ」というような使い方がされます。これをそのまま英語に持ち込んでは行けません。「時間の問題」は英語ではmatter of timeです。problemではありません。時間の事柄です。problemが期待と現実のギャップがあるときに使われる言葉です。日本以外では、これはほとんど教養のない人でも理解しています。でもあまりに普通過ぎて改めて覚える必要はありません。その次に良く使われそうな単語はkillerではないでしょうか。厄介な事柄、問題の意味です。殺人者の意味ではありません。また、time killer 暇つぶしの意味でもありません。

男性はこれらの言葉をすぐにマスターできそうですが、女性はなかなかイメージしづらいかも知れません。そういえば、ビジネスでこれらの用語を使う女性はいなかったかも知れません。いずれにせよ、これらはほぼすべてアメリカのスポーツですね。BEだとサッカー、ラグビー、クリケット由来の用語があるのでしょうけど、私は知りません。

昨日の三島由紀夫の英語に関するpostに関して、早速ある友人からメールをいただきました。敵性言語と天皇崇拝に関して、です。彼の意見の詳しい内容は別にしても、私は少し言葉を補足した方が良いだろうと思います。

敵性言語なるものの定義は少し曖昧ですが、日本の軍人が米英言語を忌み嫌い、枢軸国(日独伊)の言語だけで戦争を遂行しうる、あるいは勝利すると信じること、とすれば、それは少しナイーブだと私は思います。そもそも論ですが、日本は日英同盟からどれほど大きな利益を得たでしょうか。戦争することは普通は政治家が決めますので軍人が決定権を持つことは普通はありません。いっとき相戦うことがあっても、敵を人間として尊敬し、再び平和を結ぶかも知れない相手として遇することは武士道精神そのものでしょう。もっとも、当時職業軍人の多くは、地方の農家の次男坊以下のいわゆる「ごくつぶし」と呼ばれる人々でしたので武士道とは無縁でした。昭和初期の軍隊の売りは、入隊すれば腹いっぱい飯が食えることでした。当時は、貧農でも父親と長男とそれ以外では食べるものが違う時代でした。

日本は「立憲君主制」をUKからコピーしました。さすれば、先ず、政治体制から改めるべきでしょう。戦前も日本はメートル法を取り入れていましたが、これはフランスの単位制度ではないでしょうか。これはなくてもなんとかなったかも知れません。でも技術計算において、メートル法を外してやるととんでもなく面倒なことになります。圧力は例えば「一合当たり三コンマ五斤」と表現されることになります。これで戦艦の設計が可能でしょうか。

1946年に『菊と刀』という有名な本がアメリカで出版されました。書いた人は、ルース・ベネディクトという女性。彼女は戦争中からアメリカ軍の要請に応じて、日本、日本人の研究をしていました。一度も日本に来たことはありませんでした。私はそれ(和訳)を読みましたが、驚きの連続でした。アメリカの占領政策において、彼女の意見、その本は大いに尊重されたそうです。

普通に考えれば、きわめて馬鹿馬鹿しいことを、戦地ではなく「内地」で無茶苦茶に強いる統制をしていた軍部のいう「敵性言語」なるものは、きわめて馬鹿馬鹿しいことだったと私は思います。

さて、もう一方の天皇です。徳仁(なるひと)天皇の、パラでのオープニング・セレモニーでのアドレスがあります。それを見ましょう。

ちょっと録音が悪いですが、私は彼が何を言っているか、よくわかりません。というか、聴きとろうという気になりません。驚いたことに、彼は1983年から2年間Merton College, Oxfordに留学していたとのことです。おそらく30年近く前のことであり、当時身につけたはずの「英語」は忘れたのでしょう。残念ですが私はこのような英語を話す人を尊敬する気になれません。

修士号論文の評価では、Oxford Univでは、口頭での質疑応答が義務付けられており評価の対象です。この英語力で、専門家(教授)の質問をその場で理解し、その場で回答する、ことがどの程度できたのでしょうか。

母語干渉は誰にでもありますし、それは程度の事柄(matter)でしょう。私の高校時代でいえば、数学が得意な人は、解答を書くとき、単に良い点数をめざすのではなく、できるだけ「エレガント」に書きたいという欲望を持っています。それが自分の力を示すものだから。そして採点する教師はそれを見抜くはずだから。それと同じで、英語のクラスだけ、超カタカナで読むが、数学では人が変わったようにエレガントな解を展開する、ということは、私の知る限りありませんでした。それは短い文なのだから、彼のmentorから正当的な発音を教えてもらい、頭に入れて、それを話す程度のことをなぜしようとしなかったのか。また、「あいつの英語の発音はshxtだが、あいつの英文法の知識はグレートだぜぇ」というようなことは、現代では考えにくいと思います。もし、三島由紀夫がこのビデオを見たら、天皇崇拝を続けたでしょうか。気になります。あるいはそれに気が付いたので、市ヶ谷に突入したのかも知れません。

私は狭量で、面白味のない人間ですので、こんなことを書いております。皆様は、決して私の真似をなさらずに、広い心で受け入れましょう。なお、皇后は極めて流暢な英語を話します。明日は本来の話題に戻ります。

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