今日は、少し変わった切り口で、イングランド王室とノルマン王朝の話です。
(A)あなたはMan島、つまりislet of Manをご存知でしょうか?一、二度このブログで簡単に登場した場所です。言語上は、Manx(マン島語)と呼ばれる、英語とはまったく異なる系統の、ケルト系の人々が話した言語が使われていた島です。アイリッシュ海にあります。ここは、イングランド領土ではありません。EUにも加盟していません。ここは曖昧なままの島です。「所有者」はイングランド王室です。独自の貨幣が使われているそうです。
(B)イングランド王室は他に2つの島を所有しています。一つが、ガーンジー島と呼ばれる島々、およびジャーズィー島と呼ばれ、両方ともイングリッシュ・チャネルにあります。このため両者を合わせてChannel Islandsと呼ばれます。Guernsey、Jerseyという綴りです。
ブリテン島よりもフランスに近いです。近くの、フランス領で最も有名な町はシェルブールCherbourgです。古いミュージカル映画『シェルブールの雨傘』で有名になった町です。コタンタン(Cotentin)半島あるいはシェールブール半島と呼ばれます。
かつてはChannel Islandsはブルターニュ公(Duke of Brittany)が支配する土地でしたが、933年にRolloの息子William Longsword が征服して、ノルマンディーに組み込みました。当然両者は犬猿の仲となりました。その後、フランスの王朝がノルマンディーを再度征服し、かつてはDuke of Normandyに与えていた封土を1204年に取り上げます。ですが、Channel Islandsに関してはそのままにしましたので、それ以来ずっとEnglandが所有して今日に至ります。つまりイングランドのノルマンディー王家が所有し、それ以来ずっと非フランス領です。
現代のノルマンディー地方で有名な町は、東側だとルーアン、西側だとモンサンミッシェルです。中程には、Bayeux Tapestry で有名なBayeux バイユーという町があります。初代DukeであるRollo le Marcheur (ロロ徒歩王、フランス語での呼称)はルーアン大聖堂に眠っていると聞いたことがあります。Marcheurとは英語で言えばMarcherで、マーチをする人、という意味です。体が大きくて馬がすぐへばるために、徒歩で移動したことから名付けられました。
Jerseyという地名で気づきますように、ここは牛の固有種の名前の由来になった場所です。また、アメリカのNYCの西岸を流れるハドソン川の対岸はNew Jerseyと呼ばれる州ですが、その名前の元はこの島です。つまり今日New Jerseyと呼ばれる土地も、かつてはイングランドの王室直轄の植民地だったのですね。イングランド植民地時代初期に王室に忠実な有名人がいたので王室はNew Jerseyと名付けたとのことです。
島Guernseyから半島の最寄点まで約50kmでしょうか。ちなみに、Dover/Calaisの距離が約30kmで天気が良ければお互いに陸地が見えるそうですので、Cotentin半島西岸からGuernseyは見えるかも知れません。
ちょっとした驚きは、その力です。人口は両方合わせて20万人くらいで、GDP (PPP) per capita はUK£33kです。もしかするとロンドン並みにリッチかも知れません。
(C)さて、上記(A)(B)の、3つの島のstatusですが、これらはIsle of Man、bailiwick of Guernsey、bailiwick of Jerseyと呼ばれます。最後の二つにあるbailiwick、見慣れませんが、一言でいえば、「王室直轄領」のことです。フランス語から英語に入りました。英語にbailiffという似た言葉もあります。ブリテン島の歴史を専攻した人だと詳しいかも知れませんが、私は辞書を見て知った単語なので詳しく説明できません。これらは、UKの領土ではない、EUの一部ではない、UKの憲法が支配する場所ではない、・・・というような説明が延々と続きます。曖昧ですが、人々は観光で潤っているようですので、曖昧なまま、おそらく、少数のゆずれない部分以外はUKの憲法、法律が実質的に支配するエリアなのでしょう。想像ですが、おそらく課税権は王室が持っているのでしょう。もしかすると非課税かも知れませんね。
English Channelの重要性を知る我々、あるいは私にとっては、なぜフランスがこれらの島を力づくで取り返さなかったのか、少し不思議ですね。もしフランス領土になっていたら、ナポレオンの戦略はもっと変わっていたかも知れません。こうしてみるとフランス人というのはあくまでも大陸に根ざした国家の人々なのでしょうね。また、逆に、イングランド人はいかに島が好きかという例の一つでもあります。