字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2020年08月

本日は英語とあまり関係のない、私の個人的観察のお話です。

第2次大戦末期のドイツの、或る大河で、西部戦線と東部戦線とが初めて出会いました。西部戦線とは、ノルマンディーから上陸した連合軍が、次々に東に移動しているときの、前線でした。東部戦線とは、ロシア軍が東から西へ移動しているときの前線でした。その川の名前はエルベ、Elbeです。我々にはあまりピンと来ませんが、この川を代表する都市、それはハンブルクです。中世のハンザ同盟の時代から栄えた港町です。でもハンブルクはエルベ川河口から約100km遡ったところにあります。今ハンブルクはヨーロッパ最大の港湾都市です。ですが、ハンブルク港に出入りするすべての船舶は、この川を遡って、ハンブルク港に入ります。こんなところにハンブルクがあるなんて少し意外な感じです。

それと似ているのがパリ。河口のルアーブル(Le Havre)からパリまで、水路ではわかりませんでしたが、道路で200km強あるそうですので、水路では250kmから300km位でしょうか。しかもローマ軍が陣地を築いたのがシテ島、今のパリの中心部です。ノートルダム大聖堂の立つあの島です。ローマ軍は、なぜそんなところに都を作ったのでしょうか?おそらく最大の理由は、海岸ではリスクが高いからではないでしょうか。海岸のメリットもありますが、セキュリティを考えると河口を少し遡ったところ、という選択が有利に見えてくるはず。江戸は海に面してましたが、その海は内海(湾)でしたので、ほぼ似ています。おそらくルアーブルからパリまでは、潮流を使ってあまり力を使わずに遡行できたはず。

ロンドンも似ています。ロンドンはテームズ川を約60km遡ったところにあります。昔ヴァイキングはロンドンを襲撃するときに、1日2回ある満ち潮を待って、満ち潮に乗って、漕ぐことなくロンドンに到達しました。

パリも何度かヴァイキングに襲撃されています。北海を越えて南下するヴァイキングにとっては川を300km遡行することはさほどの苦労ではなかったのでしょう。なお、研究者の比較では、ヴァイキングが活躍した時代に最も深刻な損害を受けた国は、フランスだったそうです。イングランドではなかったのですね。

なお、フランスに定住したヴァイキングの大将Rollo le marcheurが居城に選んだ場所は、Caenという小さな町で、ここは海につながっている小さな川がある町です。彼はルーアンには大聖堂を建てましたが、そこに定住したのではないのですね。

こうして見ると、多くの古代からの港が、実は海に面しているのではなく、河口に面しているのですね。例えば、York。ここは中世では、ロンドンに次ぐ、UK第2の都市でしたが、ここは内陸の都市、と言うよりは、2つの川で海につながれた都市です。(二つの川とはHumberとOuseです。)そのために、フランドルへの羊毛の輸出港として栄えたのですね。逆に言えば、もしこれらの川がなかったのなら、Yorkはイングランド北部を代表する大都市になることはあり得なかったと思います。

リヴァプールもアイリッシュ海に面している、というよりは、正確には、河口から数キロ川を遡行したところにあります。川の名はマージーMerseyです。

逆の例として、私が思い浮かぶ町は、Birmingham, UK  (not Birmingham, Alabama)でしょうか。小さな川に面しているようですが、海にはつながっていませんね。それでも現代ではロンドンに次ぐ第2の都市です。

それに対して、アメリカの都市。例えば、ボストン。ほとんど海に面しています。NYCもそうです。LAも海に面しています。SFは湾の中の町。上記の都市との違いは、開発されたのが、近代から現代にかけてです。

とすると、江戸は、海に面していると考えるよりは、荒川の河口に立地した町、ということでしょうか。大阪は商業の町でしたので、川、および運河に面しているの当然なのでしょう。ということはおそらく長崎港もおそらく直接外洋に面しているというよりは湾に面しているということなのでしょう。なお、江戸は大都市であり、大消費地でした。その倉庫機能は日本橋地区の運河、倉庫が担っていたのですが、その多くのものは、銚子、利根川、野田経由、江戸川経由で江戸に運ばれました。伊能忠敬は利根川南岸の直轄地の出身で、当時の佐原村は、大型船から小型船への積み替えの中継地として大変繁栄していました。こうしてみると、江戸ですら、川を遡ったところに立地する町とも言えます。

なお、ロンドンは現代の船のサイズには不便な場所なので、たいていの場合はサザンプトン(Southampton)という港が現代では中心になっています。同様にパリの代わりにルアーブル(Le Havre)です。ハンブルクだけは現代の超大型コンテナ船でも航行可能なので非常ににぎわっております。

本日の話題は、英語というよりは、広く諸言語に関係するかも、という話題です。

昔ブラジル人サッカープレーヤーで「カカ」と呼ばれる人がいました。本名ではありません。なぜ彼が「カカ」と呼ばれるようになったのか、については、あちこちに説があります。英語での綴りは、Kakaですが、ブラポル語ではKakáになるようです。音の違いについてはまったくわかりません。英語圏で先ず騒がれたのは、この名前をテレビで叫んで良いのか、ということです。なぜでしょうか。それは、kaka=shitだから。

"caca"という単語について、M-Wは非常に簡潔な表現をしています。たった一言、excrementです。その下にある文字列をそのままコピペします:
in Arabic, Russian, Spanish, Romanian, Hungarian, Hebrew and Albanian, 'kaka/caca' straight up means sh*t.  これは『スポーツイラストレイテッド』という、アメリカで最高ランクのスポーツ誌の記事から、とクレジットされています。straight upは日本語でいえば「マジで」という意味です。

さて、これを分かった上で、本来の話題に。チョコレートの原料はカカオなのか、ココアなのか。これはずっと昔から私が抱いてきた疑問です。結論をいうと、英語では両方生きています。スペイン語ではcaca。フランス語ではcacaだけのようです。イタリア語ではcacca。語源は、スペインが侵略した、ナワ族(Nahuatle)のcacahuatlらしい、とのことです。マヤ族など近隣の部族でもcacaに近い単語だったとのことです。

今回確かめることができませんでしたが、cacaと聞いたスペインの人達は、それがpoop(=shit)を意味するので、似た別の単語にしたかった、ということです。当時スペインはその新しい食べ物を他の国に輸出しようとしていたからです。結論としてはその思惑は失敗した、ということになります。

で、英語には、cacaが入ってきたとき、人々は cocoa と言い換えようとしたのだとか。理由は coco だと「茶色」を意味するので、受け入れやすい、ということだったようです。おそらく、これが英語でcacao cocoa 両方が並立している理由だと思います。Coco Chanel はフランス人だったのでしょうか。彼女のファーストネイムは、おそらく髪か瞳の色に由来するのではないでしょうか。cocoとは茶色のことです。

散々調べてもなかなか核心的な答えに到達しませんでした。cacao beansとは言いますが、cocoa beans とは言わないかも知れません。どちらかといえば、cacaoは原料に近い方だろう、という説も今回見ました。ただ、その種の writer がどこまで caca という言葉の cross-language な背景を知っているのかわかりません。今回調べた中でそのことに触れた英語の説明は一つもありませんでした。

昨日の続きです。

当時の裁判においては、「雪冤(せつえん)宣誓」が大事なこととされたそうです。冤罪の「冤(えん)
」ですね。疑いを晴らす(雪のように真っ白にする?)ことを言います。英語でcompurgationだそうです。その動詞はcompurgateでしょうが、掲載された辞書を見つけることはできませんでした。

これの意味するところは、当時の裁判において、被告人は、自分が潔白であることを自ら証明するよう求められた、ということでしょう。現代ですと、被告人が潔白であることを証明したり主張したりすることを求められません。それは原告人の義務です。その方法がordealsだったのでしょうね。ただ文献によっては、当時ですら、trials by ordeals は、少なくとも一部の人々から批判の対象だったようです。なお、魔女狩りにつきものの魔女裁判の記録で最も古いものは15世紀だそうです。つまり、それは、西ヨーロッパの人々が、裁判とは事実を審理し、法律に照らして、判決を下す手続きである、という認識をまだ持たずにいた時代であった、ということですね。また、さらに、被告人が聖職者である場合、世俗権力が裁判をして、さらに宗教権力が別の裁判をすることにつながりかねませんので、聖職者への裁判を行う「権利」を持つのが、世俗側(王権側)なのか宗教側なのか、についてもルールを定める必要があります。

中世イングランドでの裁判で、裁判長は何者で、どのような頻度で、どこで行われていたかを調べましたが、あまりわかりませんでした。イングランド国王が裁判長となる裁判もあったようです。ただ、おそらくは、イングランドでは、多くの裁判はsheriffが行っていたと思います。これをHenry II (Henry Curtmantle 在位 1154-1189)という国王が禁止して、12名から成る jury (陪臣)が、証拠の評価を行い、評決を下す、というやり方を普及させます。(それまでは、当事者(今でいう原告人、被告人)の主張をサポートする人々が証人で、法廷では彼らは事実認定について質問されたことに正直に答えるという立場ではありませんでした。)

そもそも、Henry Curtmantleはものすごく誠実に執務をした人でした。イングランド1対フランス2の比率で振り分けていたように見えます。ほぼ常に法廷顧問のような立場の人々も同行したようです。その目的は、法令を徹底させる、納税をきちんとさせる、王権の徹底をはかる、というようなことだったのでしょう。1170年4月には、イングランドのシェリフの大半を免職したという記録があり、その日には約40km馬で走行したそうです。本当に端から端まで移動したようです。加えてこの人にはたしか庶子(正妻以外の女性に生ませた子供)が10人以上いた人だったはず。

そして、彼は、自分が裁判をするのではなく、代理人を立てて、その人物が王に代わって、裁判を処理する、というルールを打ち立てます。その地位をchief justiciar と呼びます。今流に言えば、司法長官です。ですが、これはおそらく今の総理大臣に相当する地位だと考えられています。というのも、国王は、イングランドとノルマンディーの間を行ったり来たりしていましたので、イングランドでの業務を合理化したかったのだそうです。そこで疑問ですが、Henry Curtmantleはtraial by ordealsをどのくらい馬鹿馬鹿しいと思っていたのでしょうかねえ。あちこち調べましたが、そのような見解は見かけませんでした。

私は以上のことを知って、少しHenry IIのことを好きになりました。Curtmantleの意味ですが、短いマント、という意味なのだそうです。何語かも知りません。当時の歴代の国王がまとっていたマントよりも丈が短かったようです。ですが、結構このHenry Curtmantleは名君だったと私は思います。ここに書くとさらに長くなるので省略しますが、気になる方は検索してみてください。なお、彼はHouse of Normandyの人ではなく、House of Anjouです。息子2人もイングランド国王になっており、Richard the Lionheartと、John Lacklandです。両方とも非常に有名ですね。特に後者は、マグナカルタの当事者です。

ちなみに、Henry Curtmantle が指名した justiciar は Richard de Luci という名前の人物だったそうです。Richardは英語、フランス語、ドイツ語も同じ綴りですが、姓を併せて考えると、これはおそらくフランス系の人でしょうね。NC以来、イングランドでの法廷語はフランス語になり、記録はラテン語でなされました。

さらに、Henry Curtmantle を極めて有名にした事件があります。それはトーマス・ベケット暗殺事件です。Henryとカンタベリー大司教Thomas Becketとは非常に仲が良かったのですが、やがて対立するようになり、一時は和解します。しかし、その後、Henryの逆鱗に触れ、その意を汲んだ貴族が彼をカンタベリー大聖堂の中で暗殺します。このため同聖堂の中にある彼のステンドグラスでは、頭部に剣を刺された姿で描かれています。なおベケットは後に聖列されます。

jury のことををetymonlineで確認しておきましょう。そのままコピーします:
"set number of persons, selected according to law and sworn to determine the facts and truth of a case or charge submitted to them and render a verdict," early 14c. (late 12c. in Anglo-Latin), from Anglo-French and Old French juree (13c.), from Medieval Latin iurata "an oath, a judicial inquest, sworn body of men," noun use of fem. past participle of Latin iurare "to swear," from ius (genitive iuris) "law, an oath" (see jurist).

なお、Anglo-Latinという言葉ですが、これの意味は、「中世にイングランドで使われていたラテン語」という意味です。MLより更に狭いことを意味することになります。late 12c in ALというのは、つまり、Henry Curtmantleの時代のことですね。

今のアメリカ映画法廷もので、"Ladies and gentlemen of the Jury"で弁護士が話し始めますが、その伝統は12世紀のHenry Curtmantleにさかのぼるというお話でした。

アメリカの映画の一大ジャンルである法廷もの。その中に必ず出てくる制度が陪審制。Wikipediaを読んでも、あまり「わかった感」が出てきません。この内容を執筆した人はこれで本当に理解しているのでしょうか。自分が特別に理解の悪い人間のように思えます。まあ、私の場合は子供の頃からその傾向がありますけどね。最近、イングランドの歴史の日本語の本を読んでいて少しわかりましたので、ネタにします。

先ず、我々は当時(中世)の争いごととはどのようなものであったかを知る必要があります。例えば:
「誰それの住む土地の正しい所有者は自分である。誰それにはすぐに退去してもらいたい。」
「誰それは誰それと姦通(不倫)をした。罰せられるべきである」
「誰それは自分を侮辱した。」
「誰それは借金の返済を長期間遅らせている。投獄してもらいたい。」(近世まで借金の踏み倒しは投獄)

などなど。無数の争いごとがあったと思います。刑法、民法の区別も明確ではなかったようです。中世までのゲルマン民族の伝統では、裁判で決着させる際に、被告は奇跡を起こせば、無罪である、というような裁判が行われていました。たとえば、不倫の疑いをかけられた女性が、熱した鉄板の上をあるき、3日後に傷を見せて、きれいであれば無罪、やけどがあれば有罪、というようなことです。多少不正確なところがあるかも知れませんが、おおむねそのような裁判がなされていました。ちなみに、この種の裁判を、英語でtrial by ordealsと呼びます。

ordealとは、苦行、試練、などの意味です。trial by combat というのもあり、これは2者を戦わせて被告が勝てば無罪というようなタイプのtrialでした。(西部劇の決闘とは少し違いますが、基本的には同じものでしょうね。)先日取り上げた映画『大西部 Big Country』での1シーンでは、美術的な拳銃2丁を揃えて、「決闘」をします。このような行為はduelingと呼びます。duel、つまり決闘です。なお、西部劇でよく出てくる「決闘」の多くはただのgunfightingのことです。最も有名なのは"Gunflight at O.K. Corral"でしょうか。邦題は『OK牧場の決闘』です。ただの打ち合いgunflightとduelは違いますよ。trial by combat でなにかの事実が明らかになったのでしょうか。そんなことはまったくなかったと思います。現代の知識、価値観で千年も前の、しかもイングランドのことを感じようとしても少し無理があるでしょうね。

明日に続きます。


8月にNHKBSPで放送されたものを録画して見ました。別のバージョンの『猿の惑星』の方が、映画としては遥かに出来が良いと思いますが、このオリジナル作品の方にも英語耳のための教材としての利用価値はあるはずです。

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映画:『猿の惑星』(原題 Planet of the Apes )

公開:1968年

ジャンル:SF

時間:112分

脚本:   Michael Wilson/Rod Serling

原作:Planet of the Apes by Pierre Boulle

監督: Franklin J. Schaffner

配役:
Charlton Heston as Taylor

あらすじ:
4人を乗せた有人宇宙船が地球からはるかな場所で惑星に不時着する。3人が脱出。やがて猿の人間狩りにより捕獲される。その世界での支配者は猿で、人間は家畜化されようとしていた。その一人テイラーは研究者に救われるが、裁判にかけられる。猿の支配者が彼らの信じる聖書に書かれている以前の時代に、人間による文明があったことを隠していることが暴かれる。映画の最後のシーンでテイラーは自分がどこにいるかを悟る。

聞き所:
映画の最後近くのシーンで、Taylorが猿の若者にあるアドバイスを言います。クスクスと笑えます。(この映画の他のシーン、セリフではあまり笑える場所はありません。)

訛り:
なし。ただし、セリフ回しに、古い時代特有の抑揚の付け方があります。また、使われている言葉がかなり古いです。
俳優が猿の顔をつくるためでしょうか、少し発音が変です。

私の評価:
エンタメ度   つまらない★★★ 面白い
文化理解要求度 高い   ★★★ 低い  
熟語、俗語量  多い   ★★★ 少ない 
早口度     早い   ★★★ 普通
ビジネス用例  少ない   多い 
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合計           12★(満点15★)


台本総語数:7.5k

スピード:7.5/112/2=134wpm (会話部分は映画の半分として。目安に過ぎません。)体感的には普通の速度です。

ストーリー展開:かなり単純

難解語割合:0%  

コメント:
原作の作者ピエール・ブールは、『戦場に架ける橋(The Bridge on the River Kwai)』という小説、映画の原作者でもあります。つまり、戦争物も書き、SFも書いたのですね。彼は大東亜戦争時のインドシナで日本軍の捕虜になった経験があるそうです。なんとなくその2作品にはある種の共通点があるような気がします。

予告編とスクリプト:(この映画のMT(movie trailer)を見ることができます)
https://www.youtube.com/watch?v=VjcpRHuPjOI
stage directionsのあるscriptです。

単語解説は不要です。

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