字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2020年07月

読者の方から誤りの指摘がありました。以下の中で、Carrara*という地名が正しいです。有名な、大理石の産地です。ミケランジェロのダヴィデ像の原石はここから運ばれました。いただいたコメントは公開するように設定しておりますが、私のブログ・リテラシーが低いようで、そのご指摘が表示されないようです。匿名の方からのご指摘です。感謝と共に訂正させていただきます。

昨日まで書体の話をしておりました。紙のことを飛ばしておりました。ほんのちょっとの、印刷と紙に関するトリヴィアを仕入れることが、あなたの知的生活を豊かにしてくれるかも知れません。

英語でportfolioという言葉があります。元はイタリア語のportafoglio で、foglioとは2つ折りの紙のサイズを言いました。(ラテン語ではないのですね。ただ、ラテン語でもほぼ同じ単語たとえばfolio=paperというような単語だそうです)portaは英語のportableなどの元の語です。全紙サイズの2つ折りということは、かなり大きいです。これを持ち運ぶporto用にしたもの、という意味でしょうね。初出は1722年。当初は政府刊行の公式文書の意味だったそうです。現代では、いくつかの意味があります。芸術系の人々では、作品集。商業ではinvestment portfolio、つまり投資先の証券合本などの意味です。なお、これを省略して 2º と書く人もいます。なお、「全紙」というものには、昔はあまり明確な規格はありませんでした。(現代では明確な規格があります。)

folioをもう一度折ったものを、英語でもquarto と言います。字面の通り、4つ折りです。ただ、これが果たしてイタリア語なのかラテン語なのかはわかりませんでした。もっと丁寧に調べればわかるかも知れません。これの略記は 4º です。

これをさらに折ると、octavo になります。これは八折りのことを言います。おそらく、これが最も我々の目にしやすい紙あるいは本のサイズです。現代だと、縦の長さで、おおよそ20cm位の本を指す言葉です。あなたは 8vo あるいは 8º という表記を見たことがあるかも知れません。これの読みは octavo です。本によっては、これはイタリア語であると言い、本によってはラテン語である、と言っております。なぜか、印刷、製本では、結構イタリア語らしき言葉が生きております。なぜなんでしょう?もしかすると、イタリア発祥の印刷技術がヨーロッパに広まったからかも知れません。

羊皮紙に一字一字手書きしていた中世には本は大型になりがちでしたが、印刷するときに少しでもコンパクトにすることが工夫されて、フォントの工夫もあって、小型化されました。これがあったために、聖書が家庭に1冊から、1人1冊になっていったわけです。これが宗教改革の別の側面でしょうね。八つ折りより更に小型のものもあります。それらも実は英語圏でもイタリア語が使われています。もっと知るためには以下のURLに、日本の紙サイズのことも含めて説明されています。興味があればチェックしてみてください。


そして、紙のこととなると、イタリアのある会社が登場します。それは Fabriano という会社です。地名でもあります。中世の東地中海で活躍したイスラム商人にとって、イタリア人は色々なものを買ってくれた得意先でしたが、その一つには紙があります。なぜかヨーロッパ人はあまり紙の製造には関心が薄く、最初はイスラム系商人から買っていました。それを自分で製造することにしたのが、イタリア中部の東側ですが、山の中の Fabriano の会社でした。(Carrara* という地は高級大理石で有名ですが、これは北イタリアにある別の町です。) たしか創業1264年。Fabriano社は「透かし」watermark を紙に入れ始めた会社です。最初は藁(わら)でX状に入れたもので、主な目的は品質保証つまり製造者はFabriano である、ことを示すためのものでした。近代まで紙幣は補助貨幣であり、金などの貴金属貨幣との兌換を保証するための証書に過ぎませんでしたが、偽札を排除するための技術としては、透かしは結構重要なものだったようです。ヴォルフガング・モーツァルトはファブリアーノ社の五線紙を愛用していたそうです。透かしは毎年少しずつ変えられたそうです。このため、モーツァルトの場合、曲想を書いたもの(「スケッチ」と呼ばれます)あるいは総譜の制作年を特定するのに非常に役立つようです。

紙、印刷、書体がセットになって、ルネサンス期にイタリアからヨーロッパに普及して行きました。

昨日の続きです。

やがて、日本語でカロリン体と呼ばれる字体が発達します。英語でCarolingianと書きます。「カロリング朝」のことですね。(カロリン体、Carolingのg音はどうなったんでしょ?)この頃に小文字が成立し、Carolingian minusculeと呼ばれます。小文字を書くための、揃え線base lineよりも上側にascenderと呼ばれる仮想線を引くと、b hなどの、小文字でベースより上に延びる「ヒゲ」のようなものを書くことができます。逆に下側にdescenderを想定することでgのような下側に延びる曲線を収めることができるようになります。日本人が小学校か中学校で、専用のノートを使ってABCの練習したのはこれのことだったのですね。ascender、descenderはそのままカタカナで日本語に入っているようです。なお、時代によっては、つまり、おそらく小文字が徐々に使用されるようになった初期の段階ではgの文字は、ベースラインをで下半分と上半分を切る形ではなく、gの一番下のくるっとした丸ヒゲの一番下がベースラインに合わせる形だった時代もありました。時代というよりはscribeの好みだったのかも知れません。中世とはいえ、Carolingian Renaissanceと呼ばれる、文明に明るい光が射した時代があり、それが文字の関連する世界ではCarolingian minuscule、つまり、カロリング朝時代の小文字(を使った文献)という言葉が存在したのですね。

そして、大文字、小文字がそろった頃、西ヨーロッパでは、各地に教会が建ち、大学がつくられて、写本の需要が増大し始めました。そこで活躍したのが、blackletterと呼ばれる、いわゆる「ヒゲ文字」です。私が知る限りこれが最も長命な字体です。というか今でも使われています。なぜか新聞のロゴマークでは現役です。The New York Timesのロゴマーク (「題字」とも言う。英語では masthead) はblackletterです。(欧米には無数にtypefaceがあるので細部に注目すると別の名前のtypefaceということが頻繁にありますが、我々素人にはNTYのはblackletterで十分だと思います。)これは19世紀まで生きていた字体です----ということは10世紀近く生きてきたわけです。日本の少し歴史のある図書館などでは、ドイツ語がこの字体で印刷された文献が現存するそうです。そしてそれがやがてユマニスト humanist と呼ばれる、角(かど)のとれた形になりました。これを少し斜めにしたものがイタリック italicと呼ばれる書体です。これが生まれたのがルネッサンスの頃のイタリアです。この辺りになると単に字の形だけの事柄ではなくなり、いかにして限られたスペースに、読みやすい字体を、速く、省スペースで書くか、という方向にも関心が向かいます。ヴァティカンの公式文書の書体はイタリック、と中世に決められていたそうです。活字印刷が登場したのはこのイタリック体全盛の時代でした。そしてこの後は、少しでも有利な字体を求めて様々なものが開発されていったのだと思います。当然印刷業者にとっては、インクの節約も大きな関心事だったのかも知れませんね。

おそらく、ですが、中世の書字生は右利きだったのでしょうね。

やがて紙が西洋に登場します。そしてやがて活版印刷が登場します。また、中世の写本は持ち歩くものではなく、子供では抱えられないような大きさ、重さのものがほとんどです。本が小型化されるようになったのは、書体の進化が進み、書体のサイズを小さくしても鮮明に手で書く、あるいは鮮明に印刷できることが可能になってからです。聖書などを小さくして各家庭におけるように、という進化が進んだためです。なお、ユダヤ教では、「五書」Pentateuch /péntətjùːk/ などの一部を、必要に応じて、信者個人が抜き書きして、ケースに入れて持ち歩き、必要に応じて開けて読んだりしたそうです。もしかするとキリスト教徒の一部はそれをうらやましく思っていたのかも知れません。あくまで私の想像です。

一方で、イスラム教では、「コーラン」などの聖書は、手書き写本のみが正統的であると考えられ、印刷したものは長い間邪道と見なされました。現代の我々は少し違和感を持ちますが、しかしイスラム教寺院の壮麗な装飾とは、幾何学模様またはアラビア文字でなされたカリグラフィーであり、第一級の芸術品です。その意識をもって、羊皮紙のコーランを見る時、手書きの美しいアラビア語の聖書こそが正統的である、という感覚は私としては大いに納得できるものです。もちろん、現在では、紙に印刷されたコーランが随所にあります。ただ、寺院などのカリグラフィーは、ムハンマドの時代のアラビア語で書かれており、現代の人はまったく解説者なしには理解できないそうです。

欧文で、私の最も好きなフォントはArialです。辞書には出ていない単語です。発音は/éirial/ です。これはHelveticaと呼ばれる、元のフォントを微修正したものだそうです。普通の人は、棒暗記するか忘れるか、でしょうが、ここでトリヴィアが役立ちます。Helvaticaとはラテン語風の言葉で、AnglicizeされたものはHelvetianです。これは今のスイスを指す地名で、カエサルも使った地名です。それを現代風にしてHelveticaにしたものです。これはあるスイス人デザイナー(Miedinger)が20世紀中ごろに開発した字体です。Arialはそれを少し修正したものだそうです。スイスはEUには加盟しておりませんが、EU式に自動車のライセンスプレートを規格化しており国のコードはCHです。これはConfederation Helvetianに相当するフランス語に由来します。インターネットの国コードも同じ。カエサルの時代は「ヘレウェティ」族と呼ばれた、ケルト族民族でした。パワーポイントで何種類もの欧文フォントを使う人がいますが、私は1種類だけがよろしいと思います。Arialが好きです。

もうひとつあなたの人生に役立たない雑知識を。パソコンのフォント用語に、「サンセリフsans-serif」というものがあります。意味は「serifのない」字体のことを言います。つまり特定の字体を指すのではなく、serifのない字体全体を指す言葉です。serifとは、例えば、大文字のIの上端、下端に水平のヒゲを加えたような字体の書き方を言います。私は手書きでアルファベットのI(アイ)を書くときに、下端と上端にserifを書きます。昔からの癖です。数字の1でも下端にserifを入れます。sans とはフランス語で「~のない」を意味する言葉ですが、serifは英語です。元はオランダ語のschreef に由来すると考えられています。オランダ語 schreef は線を意味する言葉で、元はラテン語だそうです。sans-serif の初出は1830年だそうです。でも、出所はオランダ語で印刷関係で?もしかしたら William Caxton (c. 1422-91) という、イングランド最初の印刷工房開設者かな、と思いますが、かなり時代が違いますね。でも「証拠」として残っているので一番古いものはそうであっても、印刷工房の職人達の間で使われていたのかも知れない----と想像するとますます字体の話にのめりこんで行きそうです。当然、Arialもsans-serifの一つです。

昔から私は結構中世の羊皮紙の世界から印刷への移行の頃のことに関心を持っております。その関心を何年も持っておりますが、一向に知識の集積は進みません。その中でも最大の関心事は「書体」の変遷です。これをこのブログで話すにしても数多くの図版を使う必要がありそうです。ですが、それは少し面倒ですので、言葉で説明できる範囲でのお話です。なお、進まない理由の一つは、書体に関心がある人は、なぜ、どのようにして、そのような書体が変遷してきたのか、についてはあまり知らないためだと思います。逆にこのことで英語の本を読むと日本語で何と言うか知らないまま読み進むことになり、ブログの話題にしにくいです。でもその辺のことを私なりにコンパクトにまとめることができれば読者諸氏には多少は参考になるところがあるかも知れません。書体の変遷とは単なる見た目のことではなく、ラテン語の小文字誕生、古典ラテン語の中世ラテン語への変化、印刷技術の登場などとも関連したことです。かなり壮大な文化の歴史が隠れているのです。なお、今回図版は省略させてください。説明文のキーワードで、関心のある方は簡単に検索できます。

中世ヨーロッパでは、道具は筆ではなく鉄のペンで、羊皮紙に書き、場合によっては、文字の段組の外側に、植物のような装飾をほどこしたり、彩色したり、さらに高級なものには彩色の挿画が施され、最上級の豪華さが求められる場合には、金箔を使って彩色描画あるいは金箔装飾がなされました。最初は、かなりゆったりとした作業だったようです。中世のある時まで、写本では一人のsribeが最初から最後まで担当しました。それよりも1冊をはがして分冊にし、何人かで分けて写本をつくり、最後に綴じれば、速く写本が完成する、という変化があったそうです。今流に言うと、技術革新です。えっ?それが?と思うような話ですよね。そうなると、scribeの間で、採用する文字の大きさ、書体、綴の統一などについて規範が必要になりますね。

活版印刷が登場するまでヨーロッパでは(木版)印刷は極めて低調でした。アジアのように需要がなかったためでしょう。歴史的にヨーロッパでは識字率はアジアほどには高くありませんでした。日本のように、庶民が文字を読み書きし、詩(俳句など)を書く民族はアジアを含め他にあまりなかったと私は想像します。早速蛇足ですが、よくヨーロッパ人、アフリカ人などから、明治時代になぜ日本は近代化に成功したのか、という話を私は吹っ掛けられました。たしかフィンランド人からTOGOという名前のビールをおごってもらったことがあります。東郷将軍の名前を冠したビールで、「打倒ロシア」の暗喩を持つビールです。フィンランド人は大国ロシアを倒す、あるいは判定でTKOにする国がまさか自分たちの想像しなかった極東から現れたことに驚き喜んだのですね。彼らは日本が突然後進国から文明国になり、西欧先進国間の海軍力の制限を課すワシントン条約参加国になったと思っているようです。江戸時代から日本は違った文明ゾーンにいただけで、世界的に見れば文明国の一角だったと思います。そもそも日本を含む中華文化圏のレベルは19世紀の初めまで、ヨーロッパより上だったと思います。

先へ。まず、聖書ですが、古典ラテン語の時代に聖ヒエロニムスという人物がいました。英語ではSt. Jeromeと綴ります。聖ヒエロニムスとSt. Jeromeとが同じ人だということを知らない人は日本にたくさんいると思います。この人は4世紀頃生きた人(ca.340-420)ですが、その頃は、まだラテン・アルファベットは大文字だけでできていました。彼はヘブライ語、ギリシャ語などを学んで、旧約聖書のラテン語訳に尽力しました。彼のヴァージョンはウルガータ聖書Vulgata (英語ではVulgate) と呼ばれます。元々ヘブライ語で書かれていた「聖書」(旧約)と、キリストの死後、弟子たちにより書かれた「新約」は、おそらく最初はギリシャ語に翻訳され、またギリシャ語で書かれ、やがて古代ローマがキリスト教を公認する、ミラノ勅令(Edict of Milan, by Constantine I (one)), 313 ADの後は、ラテン語訳が正式なものとなったと私は理解しております。もちろん、別の系統があって、少なくともコプト語(Coptic)と呼ばれる、イスラム化する前の古いエジプト語にも訳されていたことがパピルス文書の存在で証明されております。その間に、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語の間で訳のチェックが何世紀にもわたって行われてきました。これらすべてにおいてベースになったのはSt. JeromeのVulgateです。なお、vulgateはvulgar の英語と同じ意味の言葉で、元のラテン語での意味は一般人、庶民のことです。ラテン語の民(ほぼローマ市民)にわかるように翻訳したのでVulgataというラテン語過去分詞の語形に変化し、それがBiblio Vulgata、庶民の聖書と呼ばれていました。これをAnglicizeしたのがVulgateです。Vulgar Latin俗ラテン語にも残っていますね。やがて、中世になって西ヨーロッパ全体に布教が進みますが、それは基本的にはラテン語で行われました。普通の信者にはまるでわからないと思います。ラテン語が堪能な人でも、教会のラテン語は独特だったのでわからなかったようです。というか、わからせないようにしていたのです。依らしむべし、知らしむべからず。もちろん、説教はの当地の言葉で行われました。

古典ラテン語の彫られた石碑があり、これは大文字だけの、分かち書きのスペースのないものでした。英語ではこの字体をTrajan script、つまりトラヤヌス帝の字体と呼びます。(Trojanではありませんよ。) Rusticと呼ばれる別の書体もあったようです。やがて修道院で写本を行う人々が少しでも効率的に書けるように、ということで小文字が生み出されました。またGはCから生まれたように、発音表記の必要から発明される文字もありました。つまりローマ人のアルファベットでは足りなくなり、字数も増えました。併せて、書体もアンシアル(uncial)と呼ばれる字体が生まれました。アンシアルは全部大文字ですが、少し丸みを帯びています。uncialの語源も面白いです。古代ローマでの長さの単位のひとつがunciaで、字体の場合、una uncia の行の高さがあったと考えれています。それは1インチ、約25mm。ラテン語でのuncia の意味は、12分の1だったのだとか。これって、今の英語圏での長さの単位と同じですよね。(つまり、1インチは12分の1「フィート」です。再度つまり、unciaはそのままOE(古英語)以降に残ったのですね。OEではynceと書いたようです。)おそらくSt Jerome がこの文字の高さを指示したろうと言われています。UKがEUに加盟する時にはメートル法にすることに同意しましたので、表向きはメートル法ですが、日常的にはイングランド人は今でもインチ、ヤード、ポンドを使いますね。アメリカ人は正々堂々と使います。なお、カナダ人はメートル法です。まあ、語源的には、字体ではなく、字の大きさが1インチに由来するのが、本来のアンシアルの意味、という訳です。なお、博物館で見る、日本の古い手紙では、手書きのものは、筆と墨で書かれていますが、字はかなり大きいですよね。これが木版印刷になると少し字が小さくなり、高密度で印刷されますね。それと似た話だと思います。

明日に続きます。

今日はビートルズの短い歌を取り上げます。

おそらくAbbey RoadというLPの一番最後に録音されている「ざれ(戯れ)歌」です。これを歌うのはポール・マカートニーです。彼は1997年にナイトになっています。この戯れ歌は60年代です。おそらく、音楽輸出への貢献に対してポールは何かの勲章を女王からもらったのではないでしょうか。その時の印象でこれを作曲したのだろうというのは私のwild guessです。

ナイトに叙せられるときの儀式は中世そのままで、女王(または国王)が、膝まづく受勲者の肩にサーベルを載せてなにかを述べるようですが、検索すると動画で見ることができるようですね。

ナイトという称号は一代限りで、たしか終生、年金がもらえるはずです。これが子々孫々もらえると貴族の端くれになるわけですが、そこには少し厳しいハードルがあるのでしょう。これによりSir Paulと呼んで欲しいと人々にお願いする権利が生まれますが、彼がそうしたかどうかは知りません。おそらくしたことはないでしょうね。ロックンロールのハートは、ジーンズ、ナイトの称号、四つ星ホテル、飛行機などでの移動でファーストクラスとどうやって折り合いをつけたのでしょうか。ものすごく気になります。

歌は以下にあります:

あなたが聴き取りで苦労する単語はおそらく一つあるはずです。聴き取りですので説明は省略します。LかRかで少し苦労する人もいるでしょう。

日本人の歌手が、天皇または皇后の戯れ歌をつくったら、炎上するでしょうね。ソンタクを得意とする官僚の悪口を言える日本人はどれほどいるのでしょうか。

昔Back to the FutureのⅠかⅡを見ていたとき、dinerで働く黒人の若者が、I am going to be a mayor!といい、店の白人のオーナーがThat will be the day! というところがあります。この意味をずっとわからないままでいました。表情から否定しているのがわかります。辞書に出ていませんでした。これ、否定をする目的でたまに使われます。「そんなことありえないね」という意味です。It will be the dayではないのですね。なんでこんな表現になったのか誰に聞いても由来は不明です。あなたが覚えても何の役にも立たないかも知れません。ですが、逆にこんな役に立たなさそうなセリフでも大衆用の芸術である映画に使われていて、それが長い間、私の頭の「???」という箱に入っていた、というのも変な話です。

Tell it to Sweeney.   見かけの訳は「スウィーニーに言ってやれ」ですが、意味はおそらく「信じられんね」です。Sweeneyだったら信じるかもね、という意味でしょうか。Wikiで検索するとたくさんのSweeneysが出てきますが、人名だけ、それ以上の説明はなしでした。オンライン辞書をいくつか見ましたが出ていませんでした。ただ、Wiki英語版に、人名としてのSweeneyがあります。姓で、アイルランド系ではなく、スコットランド系・・・という説明があります。でもそれ以上はなし。

人名入りの決まり文句と言えば、Bob's your uncleが王者ですね。ちょっとした掛け声のようなもので、あまり意味はありませんが、強いて言えば、「大丈夫だよ」「いい子だね」というような意味です。M-Wの説明ではused to say that something is easy to do or useです。このフレーズはこのブログで既出です。以下のURLにて説明されております:


最後に、Take it easy.  色々な意味で使いますが、おそらく「じゃあな」「またな」という、別れの挨拶です。でも辞書には出ていません。M-Wを例にとると、語義の説明が出ていますが、別れの挨拶という説明はありません。でもこのフレーズが最も頻用されるのはおそらく別れのときです。See yaよりは長い別れだと思います。

日本語の「それじゃ、またな」も変です。それじゃ?つまり、それでは。どうして、いきなり「それでは」なんでしょう?ま、英語の"So"も似た使い方をされますけどね。

どうして、気を楽にすることが「またな」になるのでしょう。アメリカで私が質問した人は誰一人知りませんでした。ただ、1人だけ、これはアイルランドでは、ものすごく広い意味で使われる言葉なので、そこに由来するのだろう、という説。なるほど。別の言い方をすると、アイルランドじゃ、なんでもTake it easyなんだよ、ということでしょう。私はその当時はまったくアイルランドのことを知りませんでしたので、変な説だなあ、と思いましたが、もしかすると、信憑性が高いかも知れません。

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