字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2020年01月

昨日の続きです。

ミケランジェロが生きていた当時に、有名な「ラオコーン」の像が地中から発見されました。ミケランジェロはその知らせを受けて、発掘現場に出向いたそうです。明らかにミケランジェロはこの像から大きな影響を受けていると私は思いますが、専門家ではありませんので、参考程度に読んでおいてください。

話は少し逸れますが、ヨーロッパの中世の、現存する絵画を見るとどれも相当下手ですよね。それがルネサンスの頃になると急に写実的になります。まるでカラー写真のようになります。たしかにその奔流に、ルネサンスあるいは別の名前を与えて区別したくなりますよね。「ラオコーン」像の製作年代は、実ははっきりとはわかっていないようです。制作に関係するかも知れない3人の彫刻家の名前がある本に記されているだけですが真偽の程は不明とのこと。ですが、もしローマ帝国の黄金時代の作だとすると、彫刻では極めて完成度が高いが、絵画、タペストリーなどでは、中世は極めて幼稚である、と言ってよいのではないでしょうか。

ミケランジェロ自身は、彫刻こそが本当の芸術である、絵画ではなく、と固く信じていた、と言われています。中世の絵画のレベルと見るとまったくその通りだと思います。皮肉なことに、ミケランジェロを永遠の芸術家にしたのは、システィーナ礼拝堂の壁画なのですけどね。もちろん『ダヴィデ像』もすばらしいです。

そして、レオナルドダヴィンチ。彼は本当に絵描きなのでしょうか。スケッチのような絵を残している以外には、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院のフレスコ画『最後の晩餐』と『モナリザ』程度です。私はあまりたいしたことはなかったと思います。

私の書きたいことはこんな素人の断片的な考えです。深くありませんし、今回の話題は英語に関係するわけでもありません。

最後に、なぜルネサンスはイタリアに始まったのでしょうか。それは、イタリアが、イスラム商人との中継基地だったからです。つまりその利益がまずイタリアを潤したから。中世にも「ミケランジェロ」級の芸術家は何人かいたはずですが、彼らにその力を発揮させるパトロンがいなかったのではないでしょうか。

今日は学校で習うルネサンスあるいはルネッサンスという言葉についてです。日本語訳の一つは「文芸復興」です。英語でrenaissanceと綴りますが、これはフランス語のla renaissanceと同じ綴りですね。つまり、英語にはフランス語から入りました。日本語でも「ルネサンス」…少し不思議ですよね。それと、もう一度ルネサンスについて考え直してみたいと思います。

「ルネサンス」はイタリア中心に始まりました。でもなぜイタリア語のrinascita(リナシータ)ではなくフランス語のrenaissanceを使うのでしょうか。それは、この用語、考えがフランスの歴史家ジュール・ミシュレJules Michelet (1798-1874)の著作に初めて使われたから、だそうです。ミシュレはフランスの歴史家です。ちょっと驚くのは、15、6世紀のイタリアの芸術運動から300年経った頃に、その意義を歴史的に評価する歴史家が現れた、ということです。

日本語訳を探して中央公論社の『世界の名著』シリーズでミシュレの巻がありますので、その出典を探そうとしましたが、見つけられませんでした。おそらくその中にはないのだと思います。ミシュレのフランス革命の歴史についての論文の和訳があるだけです。

ルネサンスはまずイタリアで始まり、隆盛を迎えます。それをフランス人学者が記述して、イタリア語ではなく、フランス語で定着?私には違和感だらけです。

今日、我々は、ヨーロッパの中世から近世にかけての橋渡しをしたこの時代が間違いなくあった、ということに疑問を挟まないと思いますが、300年間向き合う人が他にいなかったということは、その間無視されてきた、ということを意味すると思います。もしそうならば、これはちょっとした驚きですよね。

この続きの話は明日に続きますが、その前にちょっとしたトリヴィアを。ミシュレの名前Julesは現代のヨーロッパ人にたまに見かける名前です。これはユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)のユリウスの現代版の綴りです。女性形がJuliaです。何を意味するか、ですが、いくつかの説があって絞り切れません。ここではJules=Juliusということを知っておいてください。Jules本人がカエサルと同じ名前だと知らない人もいました。では明日に。

あまり英語には関係しなさそうな話題です。

Brexitは1月末に完了するようですね。(この原稿を書いている時点で。)多少の遅れがあるにしても1か月程度でしょうか。

UK政府は記念コインを発行するのだとか。易しい英語の記事ですので、余裕のある方は一度以下のCNNの記事を読んでみるのも面白いかと。日本の新聞記事と違い、コインの流通枚数を数字で言っていることが面白いと思いました。通用するのでしょうか。

Henry/Meghanの夫婦の選択では王室は毅然とした判断をしました。世界的にみても、こんなに揺れ動く王室はあまりないのではないでしょうか。ある意味、イングランド王室の伝統とも言えます。

そんな中、スコットランドはEUに留まりたいのか、イングランドと運命を共にするのか、どちらでしょうか。北アイルランドはどうなのでしょうか。北アイルランドに関しては、カトリック系の人口の伸び率の方が大きくて、将来はアイルランド共和国に吸収されるのではないか、という意見を昔新聞で読んだ記憶があります。具体的な人口の数字などは忘れましたが。仮にそうだとして、Brexitはそれを促進するのでしょうか、それとも阻止するのでしょうか。

さて、イングランドはBritish Islesにおいて、かなりやりたい放題にやってきました。ウェールズを併合し、スコットランドを併合し、アイルランドを併合し、アイルランドは北アイルランドを除いて独立し、という歴史を経て今日があります。途中で、ケルト語を廃して、英語を強要しました。この辺りは、今日的な価値観でとやかく言うよりは、当事者たちがどう思っていたのか、今の子孫はどう思うのか、に任せればよいのではないかと思います。ちなみに、アイルランドでは、一度は絶滅寸前だったゲール語だかケルト語だかによる学校の授業がすでに始まっているようです。このため道路標識、住居表示などでは、併記されているそうです。

映画の世界でもアイルランド映画、スコットランド映画というジャンルがあるかのように見えます。そのような映画を見ようと思い、Wikiなどで仕込んだ映画の題名を近くの貸DVD屋で探しましたが、在庫がありませんでした。ということは貸DVD屋にあるのは、ある程度有名な作品に絞ってあるということなのでしょう。このブログで教材とするのは、そんなどこの店でも在庫していそうな、一般的な作品が中心だと思います。

ちなみに、そのリストは以下の通りです:

(アイルランド系)
アイルランド上等
マイケル・コリンズ
アンジェラの灰
ザ・コミットメンツ

(スコットランド系)
トレイン・スポッティング
ワンデイ 23年のラブ・ストーリー
ブレイブ・ハート*
天使の分け前
ボクと空と麦畑

(ウェールズ)
ウェールズの山
我谷は緑なりき**

*ブレイブ・ハートだけ在庫していましたが、その日は借りられていました。
**かなり古い作品で、音声の質がよくありません。作品自体は非常に有名です。

これらの作品を通じて、アイルランド、スコットランドに関する映画を知りたいといささかでもお考えの方の参考になりますでしょうか。

かつてのNBAのスタープレイヤーの一人であったKobe Bryantが事故で死去したというニュースが最近ありました。今日は彼の名前を知ることで彼を偲んでみたいと思います。

まず、彼のfirst nameであるKobeですが、これは神戸のことだそうです。彼の父親がたしか軍務で神戸に寄った時、有名な神戸牛のステーキを食べて感激して、息子の名前をKobeにする、と決めたのだとか。アメリカ式に発音すると/koubiː/となります。

アメリカの黒人が姓を得たときの背景ですが、南北戦争後の奴隷解放令により制度上、奴隷所有は禁止されました。それまでは奴隷に名はありましたが姓は持っていませんでした。家畜のような扱いです。奴隷解放によりアメリカ人として登録することになりましたが、元々姓を持っていなかったので、元のmasterの姓を引き継いだり、職業名たとえばforemanとは現場の職長のことですが、職業を姓としたと言われています。アメリカには戸籍制度はないので、出生証明書birth certificateがその役割を果たしますが、黒人の多くはそもそもbirth certificateを持っていなかったのではないでしょうか。日本でも明治になって士族以外にも姓が必要だということになりましたが、地名からとったり、村中で同じ名前(有名な例では群馬県の黒岩姓)にしたり、ということをしたのだと思います。

さて、Bryantという名前ですが、検索してもわかりにくい情報ばかりだと思います。あちこちの情報を集めて、単純化していうと、次のようになると思います:
1)Brian/Bryantは同じ名前。他に近似の綴りで異形がたくさんある。
2)ヨーロッパ大陸、ブリテン島のケルト系の名前になります。語源的にはbre brighを合わせた名前で、前者はhillを、後者はstrongを表したという説。あるいは、Bryanはフランス北部の地名Brionneに由来するという説。
3)NC(Norman Conquest)でブリテン島に来た人々の間にBrian/Bryantに相当する名前を持った人がいたらしい。
4)アイルランドでBrian Boruという名前の人物が王位についたのが1002年。以降、その子を名乗る人々はケルトの伝統にしたがいO'Brienと名乗ってきた。
5)ブリテン島の南西部にBrian/Bryant名は多い。(つまりWilliam the Conquererに伴って大陸からイングランドに来た人々の子孫では、封土された家系だとWalesを含む南西部中心だった。当然、彼らはイングランドでは支配階級であった。)
6)ブリテン島西南部のBrian/BryantはさらにIrelandにも移住した人々がいる。

ということから、Brian/Bryantがfirst nameであれsurnameであれ、元は同じ名前で、NCに伴いイングランドに来たか、アイルランドでO'Brienを名乗った。いずれにせよ、アングロサクソン系の名前ではない...

というようにまとめてよろしいのではないでしょうか。したがって、Bryantという名前だけから、イングランド出身かアイルランド出身かは区別できないが、O'Brienだとアイルランド出身とわかる、ということですね。アングロサクソンはケルトを駆逐してイングランド、すなわちアングル人の国をつくったわけですが、後からケルト系のBryandなどの名前を持つ人々が支配階級として戻ってきた、というのは皮肉な話ですね。

ブリテン島からアメリカへの初期の、つまり17世紀の移民の中に、Bryant姓は少なからずいるようです。アメリカの場合、姓としてはBryant対Brianは2:1だという説がどこかのサイトにありました。

ちなみに、O'Brienのように誰それの息子、という名前の付け方をpatronymあるいはpatronymicと言います。Andersonのようにsonがつく名前もpatronymですね。


昨日の続きです。

pinyinで分かりにくいことがいくつかあります。「青島」という有名な地名がありますが、これはQingdaoとpinyinで綴ります。このときのQはChingdaoと発音しているように私には聞こえます。

このサイトに「習近平」と入力すると、xi2    jin4    ping2、つまりXi Jinpingと返してくれます。このときXiShi Jinpingと発音しているように私には聞こえます。

このQ、Xの綴りが特殊ですが、他のpinyin発音は日本人には馴染みやすいと思います。上記2つを知るだけで、pinyinが相当身近に感じられるはずです。

我々非中国人が、アルファベット表記の音、たとえばBeijingと発音しても、四音をある程度正確に発音しわけないと、中国人の発音にはなれないと思います。中国語での会話だとこれは少し問題を引き起こすようですが、英語だと中国人はもともと外国語だと思って、注意レベルを上げて聞いてくれるので、英語文脈では四音を正確に発音する必要はありません。

そしてどうしても必要な場合、日本人-中国人の間では、筆記(筆談)という最終手段があります。地名ではこれはかなり有効です。ですが、あくまで最終手段でしょうね。

私の経験でいうと、私がアルファベット化された中国語の地名を使っていると、「この日本人は中国文化に敬意を払っているな」と思われて、得をすることが多かったです。中国人の間では、一般的に日本人はあまり好かれてません。これは反日のテレビ映画が中国共産党の補助金と命令で各地で繰り返し放送されているためです。多くは第2次大戦のときの中国戦線での話です。ですので、日本人独特の文化、発音などがステレオタイプ化されていますので、私のような日本人がアルファベット化された中国語の人名、地名を使っていると、少しは反日の気持ちが和らぐからだと思います。

このことは少しあなたに伝わりにくいかも知れません。たとえば、アメリカで見る「西部劇」では、インディアン(ネイティブ・アメリカン)は、「インディアン、嘘つかない」式の英語で話しているわけでは決してなく、スラスラと流ちょうな英語を話しているのです。これが私のいう、ステレオタイプ化された例です。

こんな小さなことで、相手の文化に敬意を払っている、ということが伝わるのであれば、それを使わない手はありませんよね。こんな理由で私は日本人に、中国の最低限の地名、人名などの知識を持っていただきたいのです。

この種のブログでは、言語の知識、技術、トリヴィアが前面に出てくるものです。ですが、改めて感じていただきたいのは、コミュニケーションは所詮、人と人との間の事柄です。相手に対するリスペクト、関心、興味が基礎にないと成立しないはずのものです。改めてそのことにも思いを馳せていただけると嬉しいです。

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