昨日の続きです。
ミケランジェロが生きていた当時に、有名な「ラオコーン」の像が地中から発見されました。ミケランジェロはその知らせを受けて、発掘現場に出向いたそうです。明らかにミケランジェロはこの像から大きな影響を受けていると私は思いますが、専門家ではありませんので、参考程度に読んでおいてください。
話は少し逸れますが、ヨーロッパの中世の、現存する絵画を見るとどれも相当下手ですよね。それがルネサンスの頃になると急に写実的になります。まるでカラー写真のようになります。たしかにその奔流に、ルネサンスあるいは別の名前を与えて区別したくなりますよね。「ラオコーン」像の製作年代は、実ははっきりとはわかっていないようです。制作に関係するかも知れない3人の彫刻家の名前がある本に記されているだけですが真偽の程は不明とのこと。ですが、もしローマ帝国の黄金時代の作だとすると、彫刻では極めて完成度が高いが、絵画、タペストリーなどでは、中世は極めて幼稚である、と言ってよいのではないでしょうか。
ミケランジェロ自身は、彫刻こそが本当の芸術である、絵画ではなく、と固く信じていた、と言われています。中世の絵画のレベルと見るとまったくその通りだと思います。皮肉なことに、ミケランジェロを永遠の芸術家にしたのは、システィーナ礼拝堂の壁画なのですけどね。もちろん『ダヴィデ像』もすばらしいです。
そして、レオナルドダヴィンチ。彼は本当に絵描きなのでしょうか。スケッチのような絵を残している以外には、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院のフレスコ画『最後の晩餐』と『モナリザ』程度です。私はあまりたいしたことはなかったと思います。
私の書きたいことはこんな素人の断片的な考えです。深くありませんし、今回の話題は英語に関係するわけでもありません。
最後に、なぜルネサンスはイタリアに始まったのでしょうか。それは、イタリアが、イスラム商人との中継基地だったからです。つまりその利益がまずイタリアを潤したから。中世にも「ミケランジェロ」級の芸術家は何人かいたはずですが、彼らにその力を発揮させるパトロンがいなかったのではないでしょうか。