字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2019年08月

今日は英語に関する話題を取り上げます。少し軽いです。

pirateという言葉があります。ちょっと調べても語源はよくわかりません。諸説を見て私なりにまとめると、おそらく古フランス語から英語に14世紀に入った言葉で、その元は、ラテン語のpirataで、意味は船乗りあるは、海の強盗を意味する言葉(名詞)のようです。16世紀に動詞の意味が加わりました。名詞にするとpiracyです。これだと中学生でも知っているはず。もっとも、現代では、この言葉は「海賊版」を意味する言葉としての用法が圧倒的に多いと思います。

なお、英語には同じ意味の別の単語があります。roverといいます。この語源は中世のオランダ語でrobberを意味する単語だそうです。それにしても、と思うのが、かつて存在したRoverというイングランドの自動車会社、たしか国営だった時期もあると思いますが、強盗、追い剝ぎを車の会社の社名にする、というのは、よほどイングランド人は度量が大きいのでしょうね。

さてbuccaneerという言葉があります。意味は海賊行為です。発音は/bʌ̀kəníər/です。goo辞典によると、「バカニーア(特に17世紀後半にアメリカ沿岸のスペイン植民地を荒らし回った海賊)」と解説されています。語源は、フランス語のようで、boucanierという単語があり、これが、「海賊、野生動物の肉を焼く網」を意味したようで、これの大元は、なんと南米Tupe族の言葉だという説がありました。この大元の語からbarbecueという言葉も生まれたとか。なんで、こんなことになったかが、解説されており、西インド諸島の海賊たちは、しょっちゅう屋外で宴会をやっていたからだそうです。日本人中学生が覚えるのは簡単ですね。「バカだにゃ~」です。

さらに、英語には、privateerという言葉があります。これの和訳は「私掠船」です。私掠船とは、交戦中の相手国の商船を、臨検し、拿捕し、積み荷を奪うことを許可する許可状を持って行うpiracyのことです。piracyとは単なる海上の強盗ですが、privateerとなると、強盗ではなく、正当な敵対行為の一環ということになります。キャプテン・ドレークはこの働きがあまりにも見事だったのでエリザベス1世からナイトに叙されています。海賊が貴族になったわけですが、ダニのような寄生虫のような存在であったことは同じですね。

英語には、今でも海賊礼賛の気風が抜けがたく存在すると思います。イングランドで食うや食わずの生活をしていた最下層の人々が、貴金属を満載したスペインの船を襲うと一攫千金のチャンスが転がりこむのです。もし船に乗らなかったら、ロンドンの貧民窟で餓死していたかも知れないのに。力が正義です。まるで西部劇のガンマンと同じメンタリティーですよね。ピッツバーグというブルーカラーの町の野球チームの名前がPiratesというのはその辺とふかく関係していると私は思います。

本日はユダヤ人をめぐる私なりの視点をいくつか取り上げたいと思います。あまり英語とは直接関係しません。

ブリテン島にユダヤ人が最初に入ったときは、いつ頃かご存知でしょうか。小規模な移住はあったのでしょうが、ある程度の規模で、となると、それはNC(ノルマン・コンクウェスト)の後に、ノルマン人と一緒にユダヤ人が1070年に移住したとされています。それまでは、ノルマンディー地方の中心都市ルーアンに主に住んでいた人々です。ユダヤ人はイングランドでは土地所有は禁止され、主に金貸し業に制限されていたようです。住んだのは、ロンドン、ヨーク、オックスフォード、ノリッヂ、ブリストルで、ユダヤ人街があったそうです。1290年に追放令によりイングランドからはユダヤ人はいなくなったはずです。2、3千人が追放されたと記録されています。

一方で、1世紀のディアスポラで、ユダヤ人は実はかなり広い世界に散らばります。そのうち、最も東に来たユダヤ人は上海で居住したといわれています。インドですと、西海岸のゴアの南にあるKochiという町にはインド洋最大のユダヤ人街があったそうです。数万人のユダヤ人が貿易に従事していたのだとか。その後、ゴアがポルトガル人の貿易で発展したので、かなりのユダヤ人がGoaに移住したといわれています。もしかすると、より正確には、ポルトガル人がユダヤ人貿易商を必要としたのではないでしょうか。ポルトガル人のインド洋での成功を支えたのはユダヤ人と言ってよいと思います。ユダヤ人なしには、成功しなかったかも知れません。今日のアラビア半島にも大きなユダヤ人居住地があったといわれています。英語でYemenite Jewという言葉があります。今のイエメンあたりに居住したユダヤ人たちを指します。いつ移住したのかについては数百年またはそれ以上異なる、いろいろな説があります。つまり、もともと、ユダヤ人世界がインド洋、アラビア海に点在していて、ポルトガル人などはうまくユダヤ人と渡り合いながら、進出し、貿易、防衛をやっていたというのが実態に近いだろうと私は思います。

再びイングランドですが、ユダヤ人が再びイングランドへの移住を黙認されたのは1656年以降となります。これに先立つ2,30年、イングランドは、オランダの成功を見ていました。オランダの金融都市としての成功は主にスペイン、ポルトガルから追放されたユダヤ人金融資本家の活躍によります。別の言い方をすると、オランダ人に、それだけの商才があったとは言うよりは、むしろユダヤ人をうまく利用することで、金融を安定させ、投資を呼び寄せ、国家躍進の原動力にした、と見るのが最も実態に近いと思います。ユダヤ人をうまく利用することで、それまでアントワープなどが中心だったものが、金融都市としてアムステルダムが一気に浮上してきます。オリヴァー・クロムウェルはユダヤ人に同情的でしたし、伝統的にピューリタンはユダヤ人に同情的です。これは現代アメリカでも見ることができます。さて、これを見ていたので、遅ればせながら、ロンドンもこれに加わります。これによりさらに、ユダヤ人銀行家がロンドンに移住します。その一つが有名なロスチャイルド家です。これは英語ではRothschildとつづりますが、本来のドイツ語では、Rothchildで、ロートシルトに近い発音で、意味は「赤い盾」rotten schildです。これはユダヤ人家庭を区別するために、色々なシンボルを戸口に付けていた習慣に由来します。

さて、歴史に詳しい方は、ご存じでしょうが、17世紀から2世紀にわたり、オランダとイングランドはスペイン批判を徹底的に繰り広げます。これはちょうどスペインが没落してゆく過程と一致します。つまり15世紀末に、スペイン人がユダヤ人追放を行い、20万人といわれるユダヤ人がスペインから資産没収の上追放されました。この人々がオランダに流れ、さらにイングランドに流れて、安定した金融資本運営を行うときに、スペインを徹底的に批判することは彼らの、反スペイン感情に合致したものでした。つまり、ヨーロッパの中心を、「南」から「北」へと移動させたのは、ユダヤ人をそのように動かしたスペインとオランダとイングランドであったわけです。もしこの時に、フランスが加わっていたら、また歴史は別の方向を向いていたかも知れませんね。

こうしてみると、中世から大航海時代にかけては、さらには20世紀につながる時代で、ユダヤ人のネットワークが経済、歴史を動かす大きな力の一つであったと言えると思います。そのときに、改めて気づくのは、ユダヤ人を見るときには、オランダとか、ベルギーとか、神聖ローマ帝国というような国境はあまり意味を持たないのではないか、ということです。また、ポグロムへの復讐としてロシア帝国ロマノフ王朝を倒すのに尽力したユダヤ人については、このブログですでに触れておりますが、それと似た、異端審問を行ったスペイン蹴落としの構図がすでに17世紀には見えていた、ということも直視する必要があると私は思います。


英語での地名と現地語の地名が少し違う場合があります。まあ、これはどの言語でもありえることでしょうが。その一つがフィレンツェではないでしょうか。今日は、フィレンツェの由来に関するトリヴィアを取り上げます。

なぜか、イタリア語(トスカーナ語)でFirenze、英語でFlorence。なぜでしょうか。諸説あるようです。この都市はもともとは、ユリウス・カエサルの命令で建設が始まりました。それ以前にも同じことが企画されたようです。カエサルには退役軍人の受け皿という目的もあったとのことです。この植民都市の完成を祝った日が古代ローマの春の「花の祝典」ludi floralesにあたったために、この町はFlorentiaと名付けられました。正式にはColonia Florentiaです。意味は「花咲く植民都市」といったところでしょうか。その後、この都市は発展を続け、ここで発行された金貨Florinは、ヨーロッパ中で通用する、価値のある金貨でした。その呼称はあらゆる言語に刻まれているといってよいと思います。

Florenceという、英語の都市名は、実はフランス語から英語に入りましたが、私が調べた限りでは、いつ頃からは、あまりはっきりとはしないようです。その間にイタリア語ではかなり変化して、ラテン語衰退の時期にはすでに、Fiorenzeという名前で呼ばれていたそうです。その後、さらに変化してFirenzeとなりました。

ちなみに、ドイツ西部にあるケルンという町、 Kölnとつづりますが、これの由来は、ラテン語のColoniaです。フィレンツェの方は、2語の後の方が町の名前として残り、ケルンの方は、Colonia Claudia Ara Agrippinensiumの前だけが残りました。ちなみに、この名前は皇帝クラディウスの奥方の名前由来だそうです。英語ではこの町もフランス語経由で入ったためにCologneと呼びます。

狙っていたDVDが借りられていたので、レンタルショップで見かけたこの作品を借りてみました。結構よい作品だと思います。劇場公開はされていない、つまりDVD直行の映画です。ハッピーエンディングです。最後には感動して、目には液体が出ていました。評価の割れる作品のようです。私としてはお勧めです。

この映画は私に新しい勉強方法を提案してくれました。この映画は約2時間ですが、退屈しません。セリフの量が膨大で、ほかの映画の倍くらいあります。約1万5千語あります。あまり俗語、卑語の類は多くはありません。そこで、単語の細かいところにはとらわれないで、浴びるように聞いてみる、という勉強方法をトライしてみる価値があるかもしれません。

シリコンヴァレーとその周辺のシーンも盛り込まれています。サンフランシスコの市内も。

映画『インターンシップ』(原題:The Internship)

公開:2013年

ジャンル:コメディ

時間:120分

配役:
私の知る俳優はいません。

あらすじ:
腕時計のセールスマン二人の会社が倒産。二人はGoogle本社のインターンに応募。インターン達に次々と新しい課題が与えられてゆく。二人は自分の半分の年齢の若者たちに交じって、落ちこぼれのチームを結成し、挑戦してゆく。

聞き所:
(1)Googleの企業文化に関する「説明」のようなシーンがいくつかあります。私は決して同社の信奉者ではありませんが、このような新しい文化を持った会社が今最先端にいるのだということを感じさせてくれます。そんなシーンが何か所かあります。
(2)チームをつくるときに、まだ名前すら知らないインターンたちから自分のチームを結成します。その時に、Harvardといえば、すぐにチームに入れてもらえそうですが、Universityで始まる大学名を言おうとするだけで、入れてもらえない、というシーンが出てきます。たしかに、超一流大学にはUniversityで始まるところはないかもしれません。


私の評価:
エンタメ度   つまらない★★★ 面白い
文化理解要求度 高い   ★★☆ 低い  
熟語、俗語量  多い   ★★★ 少ない 
早口度     早い   ★☆☆ 普通
ビジネス用例  少ない  ★★★ 多い 
-----------------------------------------
合計           12★(満点15★)

方言:
インド訛り、イングランド訛りがあります。

コメント:
映画の「つくり」としては、良い奴、悪い奴がはっきりして(=black and white)います。私が少し違和感を感じたところです。示唆的だったのは、Google社の人事部の人がインド人俳優です。今シリコンヴァレーではインド人抜きではビジネスは成立しないと思いますが、この映画の製作の段階でもそうだったのかも知れませんね。

このブログでは、まったく英語と関係なさそうな話題を取り上げることがたまにあります。今日はその種の話題です。テレビのバラエティー番組でよく見かける斉藤孝という日本語関係の人。たくさん本を書いているようです。大学の授業をこなし、教授職に関連する多彩な事務をこなし、教授会に出席し、テレビ局のディレクターと打ち合わせをし、出演をします。それでおそらく家庭生活もある程度はこなして、睡眠を確保し、最低限の運動、栄養も確保しているのでしょう。そして本を書く。本当にそんなことが可能なのでしょうか。私の意見では、可能ではありません。ですので、ほかの人が書いて、それをこの人の名前で出版しているのです。出版社とは基本的な内容について打ち合わせをしますが、実際に資料にあたったり、引用を確認したり、著述をし、字数を削ったり、増やしたり、という、著述に関係する業務の大半あるいはすべてはゴーストライターに任せていると思います。それもおそらく複数いるはずでしょう。おそらく昔からこの業界はそうなのです。小保方晴子というES細胞研究者の書いた本とやらを読みましたが、本当にすばらしい文筆力です。あまりにすばらしいので、とてもあの人の文章とは思えませんね。

では、外国ではどうなのでしょうか。たとえば、アメリカ。アメリカの著述家で、ゴーストライターに任せてそれを別の有名人の名前で出版する、というようなことがあるのでしょうか。私はあると想像します。よくあることかどうかはわかりません。しかし、たとえば、Jared Diamondという大学教授が"Guns, Germs and Steel"という本で有名になりました。世界的ベストセラーです。この人に本当にこんなにページ数のある本を書く余力があったのでしょうか。彼は一年の半分くらいは東南アジアでのフィールドワークに費やすそうです。私の想像では、骨子は本人が書きます。大事な部分も本人が書きます。しかし、それ以外の部分については、信頼に足るゴーストライターに任せるのではないでしょうか。このゴーストライターと、編集者はものすごく頻繁に、やりとりをするはずです。そしてできた「原稿」を本人に加筆修正してもらいます。こうやって、あるいはこれを何回かやって、あの立派な本ができるのではないでしょうか。今、著述はパソコンに向かって行う作業です。用語の統一は実に簡単です。文章をコンピューター分析しても、1冊の本に何人の著者がいるかを推測することは、現代では極めて難しいのではないでしょうか。

Yuval Harariが書いた"A Brief History of Humankind"、これも世界的ベストセラーです。おそらくこの人はこの本を、あるいはこの本の大半を書いたはずです。でもこんなベストセラーを書く人には、できるだけはやく次の作品を書いてもらいたいと出版社と読者は思うはずです。そのためには、もうこの人は何百ページをも自分で書く必要はありません。ICレコーダーに向かって思いつくことを言うと、1,2週間後には、立派な原稿になって、手元に送られてくるので、それを加筆すれば次の著作が出来上がる…創造でしかありませんが、これが出版業ではないでしょうか。

これらはノンフィクションでの例です。ですが、フィクションでも似た状況ではないかと私は思います。要は、ゴーストライターと本人との間に、きっちりとした機密保持契約があればよいだけの話です。

JFKの有名な演説。Pax Americanaという言葉が出てきます。この人にそんなword powerがあったとは想像しにくいです。おそらくspeechwriterがいたはずです。TEDにDan Pinkという、Bill Clintonが大統領だったときのspeechwriterがなんどもプレゼンをしています。どれも本当にすばらしいプレゼンです。残念なのは、彼らはほぼ黒子なのです。JFKのスピーチはすばらしいです。でもそれは彼が書いた原稿ではなく、裏方が書いた原稿なのだと思います。リンカーンのゲティスバーグ演説はおそらく本人が書いたものでしょう。この1,2世紀の間に大きく変わったのでしょうね。

上記の話は別に白黒をはっきりとさせるためのものではありません。仮にそうかも、と思って、世の中を見ると、いろいろなものが違って見えてくるのではないでしょうか。なお、ghostwriteという動詞も存在しますよ。

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