5月28日の話題の後編です。設定する日時の間違いで前編、後編の間に『ディパーテッド』を2回挟んでしまいました。大変失礼いたしました。
これら以外にもまだまだたくさん部族の名前が地域名になっているところがあります。フランスの語源はフランク族(英語でFranks)ですが、最古の記録では、現在のベルギーあたりに支族がいたらしいという程度で詳しくは知られていませんが、後に今のフランスに移動してフランスという国の名前の由来になっています。ラテン語ではなく、自らの言語で何と呼んでいたかは、私にははっきりしません。ほぼラテン語の呼称がそのまま部族の呼称になっている、ということかも知れません。本来はゲルマンのホームグラウンドであった場所ですが、昨日見たようにラテン語が継承されて地名となっているのでしょうね。
アルプスの北でそうだったのです。南では今でもローマ時代のままのようです。たとえば、英語でTuscanyと呼ぶエリア、イタリア語ではToscanaです。ラテン語ではTuscānusと書きましたが、意味はTuscusの人々ということであり、TuscusとはEtruscusの短縮形だそうです。つまり今でも、ラテン人の「先生」であったエトルリア人が地域の名称として残っているのです。このブログですでに詳説したように、ローマ人はエトルリア人から文字、建築などを習いました。英語ではEtruscan、Etrurian両方が使われます。 なお、フィレンツェ(英語名Florence)はトスカーナの中心地です。
地名以外ですと、たとえばGothicという言葉はゴート族に由来します。ラテン人から見ると、洗練さに欠けるゴート人風の、異民族風の、という意味があります。Gothicは、美術、建築、字体(calligraphy)などに残っています。反対語はRomanつまり、ローマ風の、ということでしょうね。先日火事のあったパリのノートルダム寺院の尖った、背の高い建物はローマ風とは別の気質を伝えているかのようです。
話は変わりますが、私は先日東京の神田にあるニコライ堂を見学してきました。その時ガイドの方の説明で、改めて感じたのは、日本は明治の開国依頼ずっと西欧にあこがれて来た、ということです。西洋とは東洋の反対を意味するのではなく西欧を指すのだ、ということです。キリスト教は地中海東部で生まれて、北へ、そして南へ伝播しました。南で有名なのは、エジプトのコプト教会と、エチオピアの「原始」キリスト教です。北へ伝播してキリスト教は、ギリシャで広められました。ユダヤ教のヘブライ語聖書はキリスト教のギリシャ語聖書に翻訳されました。当時の文化の一大中心はギリシャだったのですね。そしてローマが興隆しているとき、ローマ市民である聖パウロがローマでの布教に力を注ぎます。やがて国力の衰退期にあったローマ帝国はキリスト教と共存することを選び、やがては新しい宗教として受け入れます。そしてローマは西方教会の中心となり、さらに千年後アルプスの北にプロテスタントが生まれます。こうしてみると、本来的なキリスト教は、ギリシャ正教にあるように見えます。ただ西ヨーロッパ諸国がしのぎを削って海外(大西洋)に進出している間、ギリシャ正教とイスラム世界は初期の輝きを失い、長い停滞の時期にあり、西ヨーロッパ諸国が引いた砂漠の砂の上の国境線に翻弄されます。ギリシャ正教会がアジア、極東への布教に割くべき資源をほとんど持っていませんでしたので、日本での存在感は希薄なままです。なお、函館には、駿河台より先にロシア正教による布教が開国以前から始まっています。
こうしてみると、ラテン語のゲルマン部族名は現代の地名においてもいまだに昔の輝きを伝えていると言えます。