いつかイングランドの英語関係の歴史を書いたとき、ウィリアム・カクストンという、イングランドで最初の印刷屋の名前だけが出てきました。なぜ印刷屋が英語の歴史に関係しているのだろう、とお思いの方もいらっしゃったはずです。今日はちょっとそれについて述べてみたいと思います。
ジョハネス・グーテンベルクJohannes Guternbergが印刷技術と呼ばれる一連の技術をつかって、印刷ということを事業家した人だと認められているといって良いと思います。(異説もあるようです。)それまでは、写本という作業により、手書きで元の本から新たな本を人手で作っていました。大抵は羊皮紙だったようです。そこに中世末期にはいくつかの改良があったようです。例えば、ページに番号を振る、目次をつくる、1冊の本を小分けにして手分けして写本をすることで、スピードを上げるなどです。普通は、修道院の修道僧たちがリーダーの下で写本をしていたようです。彼らは中世で、母語、ラテン語、ギリシャ語などの読み書きが出来る知的エリートでもありました。貴族などの庶子(次男以下の子供)などが少なくなかったようです。今日、たとえばイングランドのHeptarchyのうちのNorthumbria(北部)地方の英語と、Sussex(南部)地方の英語がどの程度違うのかは、写本を比較することで推測されます。またなるべく当時の発音に沿って綴りが選ばれているはずですので、発音の比較もある程度可能になります。また、古英語の文法の崩壊の速度の違い(異なるゲルマン部族の接触の濃い方が文法単純化が速く進む)などの推測、比較も可能になります。場合によっては、元の本にある「誤り」を修正することも可能でした。また、修道院を支えたのはやはり地元の経済力です。ロンドン生まれのチョーサーが、カンタベリー大聖堂の司教となり、ケントなまり(Kentish)の本を書いた背景には、ケント州が、イングランドとフランダースとの毛織物貿易の中心にあり、それが膨大な富をもたらしたからです。ちなみに、ケンティッシュは一時英語の中心であることを、ヨーク、ウィンチェスターから引き継ぎますが、やがてロンドンに譲ることになります。ケント州とは、ゲルマン民族のうちのジュート族(ユトランド半島Jutlandなのでジュート族)の血の濃いエリアです。
それが活版印刷という時代になると、植字工が活字を拾います。キャクストンが印刷技術を学んだのは今のベルギー、たしかブルージュ(ブルッヘBrugge)という町だったと思います。そのせいでしょうか、キャクストンの、ロンドンのウェストミンスターにある印刷工房の植字工はオランダ人だったといわれています。植字工にとっては、同じ単語に異なる綴りがあるよりは、同じ単語なら綴りを統一した方が仕事がより速く、より正確になります。これが印刷が言語と深い関係を持つ理由です。
今日は、印刷と綴りの標準化、固定化について書かせていただきました。明日は、ある映画について書かせていただきたいと思います。
ジョハネス・グーテンベルクJohannes Guternbergが印刷技術と呼ばれる一連の技術をつかって、印刷ということを事業家した人だと認められているといって良いと思います。(異説もあるようです。)それまでは、写本という作業により、手書きで元の本から新たな本を人手で作っていました。大抵は羊皮紙だったようです。そこに中世末期にはいくつかの改良があったようです。例えば、ページに番号を振る、目次をつくる、1冊の本を小分けにして手分けして写本をすることで、スピードを上げるなどです。普通は、修道院の修道僧たちがリーダーの下で写本をしていたようです。彼らは中世で、母語、ラテン語、ギリシャ語などの読み書きが出来る知的エリートでもありました。貴族などの庶子(次男以下の子供)などが少なくなかったようです。今日、たとえばイングランドのHeptarchyのうちのNorthumbria(北部)地方の英語と、Sussex(南部)地方の英語がどの程度違うのかは、写本を比較することで推測されます。またなるべく当時の発音に沿って綴りが選ばれているはずですので、発音の比較もある程度可能になります。また、古英語の文法の崩壊の速度の違い(異なるゲルマン部族の接触の濃い方が文法単純化が速く進む)などの推測、比較も可能になります。場合によっては、元の本にある「誤り」を修正することも可能でした。また、修道院を支えたのはやはり地元の経済力です。ロンドン生まれのチョーサーが、カンタベリー大聖堂の司教となり、ケントなまり(Kentish)の本を書いた背景には、ケント州が、イングランドとフランダースとの毛織物貿易の中心にあり、それが膨大な富をもたらしたからです。ちなみに、ケンティッシュは一時英語の中心であることを、ヨーク、ウィンチェスターから引き継ぎますが、やがてロンドンに譲ることになります。ケント州とは、ゲルマン民族のうちのジュート族(ユトランド半島Jutlandなのでジュート族)の血の濃いエリアです。
それが活版印刷という時代になると、植字工が活字を拾います。キャクストンが印刷技術を学んだのは今のベルギー、たしかブルージュ(ブルッヘBrugge)という町だったと思います。そのせいでしょうか、キャクストンの、ロンドンのウェストミンスターにある印刷工房の植字工はオランダ人だったといわれています。植字工にとっては、同じ単語に異なる綴りがあるよりは、同じ単語なら綴りを統一した方が仕事がより速く、より正確になります。これが印刷が言語と深い関係を持つ理由です。
脱線しますが、英語史には星の数ほどたくさんの本があります。ですが、どれも似た内容ばかりで、しかも実感に欠けるというのが私の印象です。なぜでしょうか?著者が他人の著作を参考にして書いてばかりいるからでしょうね。だから、自分で実感、充分理解していないことでも、平気で網羅的に書けるのだと私は思っております。ちなみに、自分で納得、理解することはものすごく大事だと思っております。自分で腹落ちしていないことはなかなか他人には説明できないものです。最近、ちょっとしたことで、ギリシャのヘレニズムとはHellenismと綴る、Helen(女性名)とは違う、Hellenとはギリシャ人のことを指す言葉(古代ギリシャ語)であることをわが人生で(たぶん)初めて知りました。世界史の教科書、日本史の教科書など大体網羅的に書いてあります。著者の専門ではないことも、教科書なので書かねばなりません。だから、教科書はつまらないのでしょうね。
ちなみに、昔ドイツマルクという通貨があった時代に、10マルク紙幣の裏には、ガウスという数学者の肖像画と正規分布のグラフが描かれていました。これを私はある数学の本で知ったのですが、あとでドイツに初めて行ったとき確かめて感動しました。ちなみに、そのことを教えてくれた本は、若い統計学の先生が書いた本でした。とてもすてきな本でした。やはり著者が読者にこのことを知ってもらいたいという情熱を持つのと持たないのでは、本の出来にかなりの違いが出るのでしょう。このブログを書く人は結構強い情熱を持って書いていますので、ぜひ読者の皆様にはしっかりと受け止めていただきたいと思います。
今日は、印刷と綴りの標準化、固定化について書かせていただきました。明日は、ある映画について書かせていただきたいと思います。