字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2018年08月

いつかイングランドの英語関係の歴史を書いたとき、ウィリアム・カクストンという、イングランドで最初の印刷屋の名前だけが出てきました。なぜ印刷屋が英語の歴史に関係しているのだろう、とお思いの方もいらっしゃったはずです。今日はちょっとそれについて述べてみたいと思います。

ジョハネス・グーテンベルクJohannes Guternbergが印刷技術と呼ばれる一連の技術をつかって、印刷ということを事業家した人だと認められているといって良いと思います。(異説もあるようです。)それまでは、写本という作業により、手書きで元の本から新たな本を人手で作っていました。大抵は羊皮紙だったようです。そこに中世末期にはいくつかの改良があったようです。例えば、ページに番号を振る、目次をつくる、1冊の本を小分けにして手分けして写本をすることで、スピードを上げるなどです。普通は、修道院の修道僧たちがリーダーの下で写本をしていたようです。彼らは中世で、母語、ラテン語、ギリシャ語などの読み書きが出来る知的エリートでもありました。貴族などの庶子(次男以下の子供)などが少なくなかったようです。今日、たとえばイングランドのHeptarchyのうちのNorthumbria(北部)地方の英語と、Sussex(南部)地方の英語がどの程度違うのかは、写本を比較することで推測されます。またなるべく当時の発音に沿って綴りが選ばれているはずですので、発音の比較もある程度可能になります。また、古英語の文法の崩壊の速度の違い(異なるゲルマン部族の接触の濃い方が文法単純化が速く進む)などの推測、比較も可能になります。場合によっては、元の本にある「誤り」を修正することも可能でした。また、修道院を支えたのはやはり地元の経済力です。ロンドン生まれのチョーサーが、カンタベリー大聖堂の司教となり、ケントなまり(Kentish)の本を書いた背景には、ケント州が、イングランドとフランダースとの毛織物貿易の中心にあり、それが膨大な富をもたらしたからです。ちなみに、ケンティッシュは一時英語の中心であることを、ヨーク、ウィンチェスターから引き継ぎますが、やがてロンドンに譲ることになります。ケント州とは、ゲルマン民族のうちのジュート族(ユトランド半島Jutlandなのでジュート族)の血の濃いエリアです。

それが活版印刷という時代になると、植字工が活字を拾います。キャクストンが印刷技術を学んだのは今のベルギー、たしかブルージュ(ブルッヘBrugge)という町だったと思います。そのせいでしょうか、キャクストンの、ロンドンのウェストミンスターにある印刷工房の植字工はオランダ人だったといわれています。植字工にとっては、同じ単語に異なる綴りがあるよりは、同じ単語なら綴りを統一した方が仕事がより速く、より正確になります。これが印刷が言語と深い関係を持つ理由です。

脱線しますが、英語史には星の数ほどたくさんの本があります。ですが、どれも似た内容ばかりで、しかも実感に欠けるというのが私の印象です。なぜでしょうか?著者が他人の著作を参考にして書いてばかりいるからでしょうね。だから、自分で実感、充分理解していないことでも、平気で網羅的に書けるのだと私は思っております。ちなみに、自分で納得、理解することはものすごく大事だと思っております。自分で腹落ちしていないことはなかなか他人には説明できないものです。最近、ちょっとしたことで、ギリシャのヘレニズムとはHellenismと綴る、Helen(女性名)とは違う、Hellenとはギリシャ人のことを指す言葉(古代ギリシャ語)であることをわが人生で(たぶん)初めて知りました。世界史の教科書、日本史の教科書など大体網羅的に書いてあります。著者の専門ではないことも、教科書なので書かねばなりません。だから、教科書はつまらないのでしょうね。

ちなみに、昔ドイツマルクという通貨があった時代に、10マルク紙幣の裏には、ガウスという数学者の肖像画と正規分布のグラフが描かれていました。これを私はある数学の本で知ったのですが、あとでドイツに初めて行ったとき確かめて感動しました。ちなみに、そのことを教えてくれた本は、若い統計学の先生が書いた本でした。とてもすてきな本でした。やはり著者が読者にこのことを知ってもらいたいという情熱を持つのと持たないのでは、本の出来にかなりの違いが出るのでしょう。このブログを書く人は結構強い情熱を持って書いていますので、ぜひ読者の皆様にはしっかりと受け止めていただきたいと思います。


今日は、印刷と綴りの標準化、固定化について書かせていただきました。明日は、ある映画について書かせていただきたいと思います。

今日は無駄話をしますが、その前に、ジョン・マケインというアメリカの政治家の死が最近報道されました。この人はどのアメリカ人からも尊敬される政治家は数が少ないのではないでしょうか。若いときはいろいろやんちゃをしたようですが、ベトナム戦争で捕虜となってから以降の生き方は人々の尊敬を集めてきたといえます。自らの信念に忠実であることはこの人の大事な資質の一つだと私は思います。同じRepublicanですが、Don Trumpとは雲泥の差ですね。北ベトナムの拷問に耐えて生き抜き、拷問の後遺症のために両腕を肩から上には上げられなかったという話は有名です。War heroですね。冥福を祈ります。

今、書店には、英語の本が溢れています。フランス語、スペイン語などの本も、英語ほどではありませんが、かなりたくさんあります。フランス料理というジャンルがあると我々は思っています。でもフランス人と話をすると、そんなものはない、と言下に否定します。フランス料理はないが、たとえばボルドー料理はあるよ、という話になります。同時に、ボルドー料理にはボルドーワインが一番合う、という話になります。でもフランス人によると、世界で一番おいしい料理はお袋の味さ、ということで全員が納得します。これはイタリア人もスペイン人も同じです。

ドイツ人など、いわゆるゲルマン系の人々はこの種の議論にはまったくかみ合いません。彼らは、食事とは生きるために、体と活動を維持するための行為なのです。食事に味があるかどうかはほとんど気にしません。よって手間をかける、金をかけるのは無駄だと思っています。全員がそうではないですが、その傾向は極めて強いです。ドイツ人女性と恋に落ちる可能性のある若者に注意しておきますが、これは覚えておくべきことですよ。

そしてそのような人々は、飲み物には結構ウルサイです。たとえば、世界で一番おいしいコーヒーはドイツにある、というのが私の意見です。ちなみに、イングランド、アメリカは、まちがいなく、ゲルマン系の人々の国ですよね。(ところが、オーストラリアでは食事はおいしいです。これは驚くべきことです。ですが、驚いてばかりいないで、イングランド人もやればできるはずという良い例ですね。)

さて、スペイン語です。スペイン語なんてないぞ、とスペイン人に言われそうです。スペイン人なんてないぞ、とも言います。我々がスペイン語と呼ぶ言語はどうやら、カスティーリャ語というべき言語のようです。それ自体もいくつかに細分化されるのだとか。他にはカタルーニャ語、アラゴン語など、全部で6つか、7つの言葉に分かれるそうです。困ったことに、標準スペイン語はないそうです。しかも驚いたことに、「ポルトガル語」、「イタリア語」は、スペイン語話者はだいたい理解できるそうです。フランス語は少し習わないと理解できないそうです。外国語とは何かということを考えさせられますね。たしか古代ローマ時代の皇帝はスペイン領からも選出されていたはずです。(フランスからは選出されていないはずです。)

さて、マドリードのテレビの放送局で、素敵な男性、女性が話している言葉は、何語でしょうか。それぞれお国訛りを出して話すのが一般的だそうです。(1990年代から放送用スペイン語というニュートラルな言葉が普及し始めているそうです。)そして、サービス精神旺盛なエスパニョールがいると、南米の各国の訛りで「サッカー中継」をやってくれたりします。巻き舌の強い国、笑えそうな、変なピッチアクセントの国、早口の国などなど。それが何語かわからなくても、みんなで腹をかかえて笑えます。これはネタとしてかなり広まっている印象があります。たのめばやってくれる人が多いです。

最近、バルセロナを抱えるカタルーニャ州の独立問題で、いろいろとややこしそうなスペイン。カタルーニャが独立したら、他の5、6ある地方も、独立したいと言い出すのではないでしょうか。それが怖いので、スペインとしてまとまっていて欲しいということなのでしょう。でもフランコ大統領という古い、独裁政治を数十年に渡り行っていたカスティーリャは、他の地方を弾圧し続けてきた暗黒の歴史があります。それぞれの地方の人々の判断にまかせるべきだと私は思いますね。ソ連も力で押さえつけていた間はある程度まとまっていましたが、ロシアの力が弱まると瓦解しました。似たような締め付けをしてきたヨーロッパの田舎スペインが瓦解するにしても私には何の不思議もありません。

明日は綴りと印刷の関係について、です。

現人類のことをホモ・サピエンスと呼びます。この最初の語はhommoと綴ります。ラテン語です。ラテン語は現地語化してフランス語、スペイン語、イタリア語などに分かれます。(フランス語、スペイン語などは存在しない、という見方もあり、説得性があります。これについては後日お話します。)この単語はフランス語ではhommeと綴られますが、発音はommeです。では、なぜ書くときはommeにせず、発音しないhを付けて綴るのでしょう?私なりの説明は、元のラテン語の綴りをある程度反映させるためだと思います。

ラテン語が生きていた、古代ローマ時代から、すでに領内各地でh音の省略が始まっていたようです。「正当的」ラテン語話者はその発音を嫌っていたといわれています。ですのでh音消滅自体は、古くから始まったいたことだと考えられています。英語は、ベースがゲルマン系言語ですのでh音の省略はありません。ですが11世紀にノルマン・コンクェストが始まると、ブリテン島では、早速、文字記録上でもh音の消失が始まったことが残っています。今でも、ロンドンのコックニー訛りでは、h音は消失したままです。他の発音も異様で、コックニーは非常に聞きにくいですね。

英語の冠詞aは母音の前だとanになります。ですが、これは話の順序が逆で、もともと不定冠詞はanだったそうです。それが子音の前だとaに単純化されたのだそうです。英語の辞書のanの項目を見ると、母音およびhの前で使われる、と書いてあります。なぜhの前で?と思いますが、それはノルマン・コンクェストのために英語のフランス語化が進んだためです。

ノルマン人とはデンマーク人を指す言葉です。この人たちは、ヴァイキングが次々にヨーロッパの沿岸部を襲撃します。今ノルマンディーと呼ばれるエリアは、フランス王とデンマーク人が協定を締結して、ノルマンディー地区をノルマン人の土地とするので、フランスの他の地区を襲撃しない、という協定で授与された土地です。ちなみに、このときの調印式の様子が文字に記録されていて、デンマーク人の王Roloが部屋に入ってきて、フランス王の座る椅子を絨毯ごと持ち上げて、フランス王をひっくり返して大笑いしたといわれています。大柄なゲルマン民族のRolo本人は遊び半分だったのでしょうね。ちなみに、ヴァイキングがブリテン島に来た最初の襲撃の様子が描かれており、ブリテン島北東部のリンディスファーンLindisfarneという修道院が793年に襲われ、ヴァイキングは襲撃成功を祝って、頭蓋骨を盃にして祝杯を上げた、と記録されているのだとか。その場で殺した修道僧の頭蓋骨だとのことですが、ヴァイキングは頭蓋骨を個人、船のアクセサリーとしていたので、私としては、もともと持っていた頭蓋骨だと信じたいです。でも皆殺しにされた修道院で、その場を見たかのように「記録する」って、どうやったのでしょう。

ノルマンディー公国の人々は、デンマーク語(ゲルマン諸語の一つ)を話していたわけですが、ノルマン・コンクェストの頃には、フランス語のオイル語系といわれる方言を話すようになっていたわけで、言語史では、最も速い母語消失の例といわれているそうです。約200年ですので、6、7世代しょう。ヴァイキングは、船で移動したと言われてますので、乗り手はおそらく全員が男性だったと考えられています。襲撃先で現地のフランス人女性と結婚したためにこのようにスピーディだった、と考えられています。つまり、アングロ-サクソンは再度、ゲルマン語族の子孫(ノルマン人)と接して、言葉の方向性を変えられた、という点が非常に興味深いと思います。これと対照的なことは、アングロ・サクソンがブリテン島に移住したときにいた先住民族はケルト人ですが、英語にはケルト語の痕跡はほとんどない、と言われています。地名にいくつか残っている程度のようです。なぜそうかというとアングロ・サクソン人のブリテン島への移住は主に家族連れで行われたためです。

ちなみに、日本語でも、高校で習う古語の「夏は来ぬ」のような現在完了は消失します。これも文法の単純化なのかも知れませんね。なぜでしょうか。私の意見では否定形の「ず」の活用形と混同しやすいためではないでしょうか。それなら取っ払ってしまえ、という具合に。この説が正しいのかどうか私はまったく知りませんけれども・・・

さて、フランス語からhotelという語が英語に入りましたが、当初からan hotelと言われていたので、それが現代英語でもan hotelという言い方になって残っている、ということです。もちろん、a hotelも正しいので、場合によって、ということになります。特に教養のある、ないに関係なく、書き言葉でもan hotel/a hotelは共存しています。

さて、そして、さて、悪名高い英文法の世界には、h音で始まる単語のアクセントが第2音節以降にある場合には、冠詞はanになる、という「ルール」があります。守られることは稀といえますが。たとえば、historical bookという場合、文法的に、「より正しい」綴りは、an historical bookです。でもこれをやって「外人」の英語を直す場合、演技力、前後関係によっては大笑いで終わる可能性もアリですが、ひけらかしている、と思われる確率が100%近いので、知っている必要のない英文法といえます。でもなぜこんなことが「ルール」になっているのか不思議です。英語学者の考える文法と庶民の考える英語のギャップでしょうね。manyを使うときは否定形の文においてのみ、肯定文ではa lotを使うという、別の「英文法」を知っている人にあったことはありません。英語で学者馬鹿のことを「インク壷」ink hornといいます。ヤギなどの角を切って、インク壷にしていたのでしょう。昔は手で写本をする時代でしたので、貴重なインクを大量に使って、意味のない写本作業に没頭している、ということを表そうとしていると思います。

明日はスペイン語なんてない説、について、です。

《注:このブログだと、私のパソコンでの原稿では表記できる字が?に置換されてしまいます。済みませんがそれを補いながら読んでいただけますでしょうか。》
最初に、このブログをお読みになる方は既にご存知だと思いますが、英語では[i]と[i?]では発音そのものが違います。イングランドでもアメリカでもそうです。(そもそも私は英語には長母音と短母音の区別がないと考えます。)それは別にしても[i]と[i?]では音そのものが違います。この区別ができない話者は、小説に登場する場合、大体、東洋人である確率が高いような気がします。It is black.を、Eet eez buracku.のように綴ります。この例では、LとRを入れ替えてあり、子音で終わるのが下手なことを表すために、最後にuを足してあります。つまり英語では[i]と[i?]の区別はものすごく大事です。

さて、本日は発音記号に名前がある、ということです。発音記号にはいろいろなタイプがあります。つまり、日本人が使う辞書に出ている発音記号もあれば、アメリカ人が使う辞書に出ている発音記号もあります。後者は、慣れていれば分かりやすいのでしょうが、私はいまだに慣れておりません。慣れないうちに、音声ファイルで再生できる時代になり、発音記号の必要性は大幅に下がりました。学習者には理想的な環境ですね。

日本人が使う発音記号の多くは、ラテン・アルファベットを利用しておりますので、大抵はそのまま英語式の呼び方をするだけで足ります。そうではない発音記号もありますが、それらには別途名前が割り振られています。

θはthinkなどのthの音 theta。これはギリシャ語そのままですね。

・「?」
「エング(eng)」と呼ばれる記号です。英語の「n」や「ng」の綴りに対応します。「n」と「g」が組み合わさったような記号なので、覚えやすい部類に入ります。

・「?」
「エッシュ(esh)」と呼ばれる記号です。アルファベットの「s」に似ていますが、英語では主に「sh」の綴りに対応します。「nation(国家)」の発音記号「ne???n」や「conscience(良心)」の発音記号「k?n??ns」からも分かるように、「ti」や「sci」など、別の綴りに対応することもあります。

・「?」
「エッジュ(ezh)」と呼ばれる記号です。アルファベットの「z」に似ていますが、英語では「j」や「g」の綴りに対応するほか、「-sion」の綴りが「??n」の音で発音されることがあります。「d」の記号と組み合わされて「d?」という形になることもしばしばあります。

▼呼び名が発音とあまり関係していない記号のグループ

・「?」
「シュワー(schwa)」と呼ばれる記号です。いわゆる「曖昧母音」を表します。「シュワー」という名前はヘブライ語に由来し、「空虚」を意味するといわれています。横の棒が右に飛び出ている「?」は「鉤付きシュワー(hooked schwa)」と呼ばれますが、代わりに「?r」と表記されることもあります。

・「a」
「アッシュ(ash)」と呼ばれる記号です。アルファベットの「a」と「e」がくっついた形をしていますが、その形の通り、「ア」と「エ」の中間的な音になります。「アッシュ(ash)」は植物のトネリコのことですが、この単語を発音する時に「a」の音が使われるということで命名されました。

・「?」
「ウェッジ(wedge)」や「キャレット(caret)」などと呼ばれる記号です。「逆V(turned v)」と呼ばれることもしばしばあります。日本語の「ア」に近い発音ですが、「ア」に「ウ」が混じったような音になります。

・「?」
「長母音コロン(long vowel colon)」と呼ばれます。この記号が母音の後につくと、その母音を伸ばして発音することを意味します。

なそ、昨日の、湖水地方の話には、少し編集を加えてあります。気になる方はお手数ですが、再度目を通していただけますでしょうか。

明日の話題はan hotelは正しい?です。

今日は湖水地方を題材にとり、すこし実感しにくい、アングロ-サクソン英語なるものを見て見ましょう。(アングローサクソン英語とは、ノルマンコンクェスト以前のゲルマン民族がブリテン島で使った言語のことです。古英語とも言います。)

英語でLakesというと、普通はイングランドの北西部にある、エリア、日本語では湖水地方といわれるエリアを指します。私の持っている地図は古いようで、Cumberland county(州)とWestmorland countyが出ていますが、1970年代に統一されてCumburiaという名前になったのだとか。Cumbriaというと、このブログを読む方は既にご存知だと思いますが、Walesのラテン語名ですね。ひとつの国の中にCumbriaが2箇所にあるというのは少しややこしいです・・・ 年配の方にはベトナム戦争のときの、とんでもない、爆撃大好き将軍の名前がウィリアム・ウエストモーランドとして記憶なさる方もいるかも知れません。。この地方出身ということでしょうね。日本でいえば、武蔵さん、とか摂津さん、というような名前です。

このエリアの直ぐ北にはカーライルCarlisleというややこしい綴りの町があります。ここは、ハドリアヌス帝の長城Hadrian's Wallの西の果ての町。東の果てがNew Castle upon Tyne、あるいはupon Tyneを省いても他の町と混同することはない、ニューキャッスルです。つまり、このカーライル-ニューキャッスル線から南が、ローマ人の治めたブリテン島ということになります。

しかも、このハドリアヌス帝の長城(wall)の北に、後にアントニヌス帝の壁(wall)が作られます。英語だと両方ともwallです。ここはたしかハドリアヌス帝の長城より短期間で作った、速成バージョンでした。ローマ軍が作ったので、土木工事で働いた軍人の中には、後で述べる、ノルウェー出身者もいたかも知れません。

ローマ軍が撤退した後に、ゲルマン系諸民族がブリテン島などに進出してきます。ブリテン島のローマ軍が2万から4万と推定されており、そのうち、ローマ人の数千人だけだそうです。残りはゲルマン系諸民族から手当てしたそうです。解雇されたあと、それぞれの故郷に戻ったはずですが、デンマークから北ドイツにかけてのエリアよりは、ブリテン島の方が住みやすいぞ、と伝えたはずです。その人々と家族が次々にブリテン島に押し寄せて来たとしても、何の不思議もありません。ブリテン島には暖流が流れており、緯度が高い割りには、気候は大陸ほどには寒冷ではありません。イングランドに来たゲルマン系は、自分達はサクソン族である、自分達はアングル族である、と明確に意識していたわけではないようで、同じ部族があるときはサクソン族といい、あるときはアングル族である、と言ったといわれています。このため、ひとまとめにして、後に、アングロ-サクソンと呼ばれることになりました。この理由は、ブリテン島に来るまえに、ゲルマン民族など各民族は転々と移動をするのが普通でした。たとえば、フリージアと呼ばれる、オランダの北端の島に住む人々も、いわゆる(イングランドに定住した)アングロ-サクソンの一部なのですが、フリージアに来る前は、大陸にいた人々が圧倒的に多かったはずです。フリージア族の言葉は、アングル族の言葉に極めて近いといわれていますので、アングル族の一派と考える方が良いかも知れません。今のイングランドの北部は、アングル族(東から中央にかけて)とヴァイキングとしてやってきたノルウェー系(西側)の子孫であると考えられています。

ちなみに、オランダ語はドイツ語の方言ですが、オランダ語をボーっと聞いていると英語に聞こえます。注意して聞くと、それはオランダ語訛りの英語で、私に向かった話しているのだと気付いて慌てたことが何度かあります。イングランドで聞く「英語」も訛りがひどくて、何を言っているかわからないことがよくあります。これはだいたい、昔のアングロ-サクソンの時代の訛りを引きずるエリア出身の人が多いようです。

この2部族以外にも来た人々がいました。8世紀以降、つまりローマ軍が去った直後に来た、アングローサクソンとは別の人々が、300年後に再び津波のように押し寄せます。これがヴァイキングです。ブリテン島、アイルランド島などの大きな島と周辺の、ちいさな島々、つまりすべての島々をヴァイキングは襲撃し、帰り、後に一部に定住します。船でしたので、川伝いに内陸にも進出しました。ちなみに、このvikingの語源ですが、vikというのが入り江、ingが一族を表すそうで、vikingで、入り江の一族という意味のようです。fjordの語幹とvikは同じだといわれています。デンマーク系の人々が戦いの末、自分達の取り分のデーンローという地域をもらいます。ロンドンから北西に伸びる線で分けて、ブリテン島の東側半分がデーンロー地区と呼ばれます。しばしの間ここはデーン人の領土となります。

ノルウェー系の民族がブリテン島北部で、主に2箇所に分かれて定住しますが、そのうちのひとつが今のカーライル周辺といわれています。これが湖水地方です。

なお、ノルウェー系は、アイルランドなど更に南下していますし、北に上って、アイスランドにも定住しました。ちなみに、今のアイスランド語というのは、ほぼ昔のノルウェー語のままだと言われています。そこに、アイルランドからヴァイキングにより奴隷として連れて行ったケルト系民族の言葉が極わずか加わったと言われています。

湖水地方は、もしかするとノルウェー系の人々にとっては故郷に近い場所だったのかも知れません。Bassenthwaiteなどのようにthwaiteという語がついている場所が湖水地方にあります。湖水地方だけではなく、デーンロー(Danelaw)エリアにはたくさんあります。そのものずばりThwaiteという市が
North Yorkshireにあります。英語でthwaiteとは開墾地を意味しますが今は廃語になっています。地名、人名だけにthwaiteが残っているということです。この語源は古ノルウェー語のthveit、開墾地だと言われています。つまり森だったところで木を切って開いたところは、すべてthwaiteと呼ばれたようです。ちなみにDanelawエリアには北欧由来の地名が1500もあるのだとか。(なお、語頭のbassenはノルウェー語のbass低いを意味するようですが、間違えているかも知れません。もし正しいのであれば、Bassenthwaitとは、低い開拓地、という意味でしょうね。)今回検索した中で、Tristram Bassenthwaiteという名前がHarry Potterに登場することもわかりました。苗字は湖水地方の地名な訳ですが、おそらくノルウェー人の子孫であることを暗示しているのではないでしょうか。TristramとはTristanという名前の古い綴りだそうです。(ワーグナーオペラの『トリスタンとイゾルデ』に出てくる名前と同じです。)

繰り返しになりますが、ブリテン島における、初期のアングローサクソンの言語というのは、ノルマン・コンクェスト以前の、彼らが元々の居住地で使っていた、ドイツ語方言のことですね。アングローサクソンの進入がローマ軍と入れ替わりにすぐ始まります。その後で、8世紀から9世紀にかけて、さらに次のゲルマンの波が来ます。これがヴァイキングと呼ばれる人々の襲来です。定住したヴァイキングの子孫も英語に第2波の痕跡を残している、というわけです。(被征服民族のブリトン人の一部はウェールズなどに逃亡しました。)

これら一連のことは、我々にとっては実感がわきにくいです。ですが、実に重要なことにつながります。それは、アングローサクソンも、ヴァイキングも、両方とも似た地域から来ていた、ということです。つまり言語は同じでないにせよ、かなり近いために、お互いに言葉のやりとりが可能であったということです。つまり、厳格に当時のドイツ語方言の文法を適用してお互いの言語を正しく使って、結果相手を混乱させるよりは、なあ、なあの、ブロークンドイツ語もどきで話をした方が円滑にいく、ということに気付きます。これにより英語の、単純化が始まります。これが、次の大波であるノルマン・コンクェストを経て、フランス語とのチャンポンになり、英語独自の進化が始まります。その一つのマイルストーンが、1399年のヘンリー4世の戴冠式です。初めて英語(つまり支配階級の言語であるノルマン系フランス語ではなく)で王権の継承が宣言されたと記録されています。このときには、百年戦争というイングランドとフランスの戦争が続いていた時代です。なおかつ、イングランドの王は、もうフランス国内に領土を持たないという状態になっていました。そんなこんなで、英語の自立、成長に拍車がかかります。同時に、今日の英語にかなり近くなります。そしてシェークスピアの時代になります。湖水地方の話で入りましたが、なぜ英語がかくも単純な文法の言語になったのかの理由がそこには見え隠れしていると思います。

明日は発音記号には名前がある、です。

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