字幕なしの英語聴き取り応援団

英語の映画などの発話部分だけを編集、抽出して、繰り返し聞くという学習方法をおすすめするブログです。留学などの費用、時間をかけずに、実用的な英語力を涵養することができます。3か月以内に結果を出しましょう。既に210本以上の映画を紹介済み。

2018年07月

馬は少し変わった進化を遂げた動物とされています。草というあまり栄養のないものを食べる生き物です。牛のように反芻するための内臓を持っているわけではありません。草を噛みながら、少しでも目線を高くして敵を見つけやすくするために、頭骨が長くなったと考えられています。敵を見つけると、後足で蹴るか、逃げるかをします。でも蹄(ひづめ)は常に割れやすく、割れると走れません。

馬は自動車が実用化されるまでは大変に貴重な動力でした。蒸気機関、ガソリンエンジンの力強さを表す単位の一つが『馬力』です。馬何頭分の力を出すかを表しているとされています。サラブレッドはthoroughbredと書きます。徹底的に育種された、という意味です。ですが、18世紀頃までは世界で最高の馬を産出する場所はアラブとされていました。今の中東です。なぜかはわかりません。モンゴル帝国を支えた要素の一つは馬と考えられていますが、モンゴル馬は、非常に小型で、貧相で、とても名馬には見えませんね。それに対してアラブ種の馬は大型で体も頑健だといわれています。馬を筋肉隆々に保つのは大変で、運動と良い餌を与えねばなりませんが、燕麦(えんばく)は良い餌の一つといわれています。なんとなく馬はニンジンが好きなのだろうと想像しますが、ニンジンではハードな運動、労働に耐える体格を支えることはできません。ちなみに、元の時代のモンゴル騎兵の強さは、走りながら馬の首から血を吸いながら、つまり馬をつぶしながら交代させて何昼夜も走り続けるという、乗り手の能力にあるらしいです。

ちなみに、馬は走ると汗をかきます。汗をかく動物はあまり多くはありません。私が知る限り人間くらいでしょうか。ここからだけでも馬と人間は走ることが得意そうに見えますよね。

Samuel Johnsonという、有名な辞書編集者が18世紀半ばに現れました。この人は、自分の主義主張趣味を彼の辞書に盛り込んだことで有名です。その中で、私が特に好きな一節を引用します:
oats    a grain, which in England is generally given to horses, but in Scotland supports the people. Samuel Johnson 1755

ただ、私はこの辞書を一度も見たことがありません。普通の図書館には置いてありません。oatsとは燕麦のことです。あるいはオートミールの主原料といえばよいでしょうか。朝食で供される麦のおかゆのようなものです。オートとはいえ、自動車autoとはまったく関係ありません。ちなみに、変な英語ですよね。oatmeal。人間様の食事にmealをつける必要はなさそうですよね。でも付いているのです。corn flakeもほとんど牛の餌ですよね。ちなみに、cornというのはブリティッシュ・イングリッシュでは穀物全般を指す言葉です。なので、私達が知っているcorn flakeというのはアメリカの食べ物ということになります。

おそらくブリテン島で栽培される燕麦の品質が良かったからなのでしょうが、18世紀に突然イングランドは名馬を産する国に、特にサラブレッド種を産する国として世界のトップに躍り出ます。それまでは名馬の輸入国だったのですが、それ以降は輸出国になります。ただこのサラブレッド種は、1マイル程度の競争では優れているようですが、それ以下、以上では、もっと適した別の品種の馬がいるらしいです。

明日は映画『アラバマ物語』です。

今日はブリテン島の南側を占めた、ブリテン島の内側の話です。それで見えてくる英語の歴史は結構面白いですよ。

5世紀初頭に駐留していたローマ軍が退却したため、それにあわせて、今度はいろいろなところから異民族がブリテン島に流れ込みます。主に、アングル族、サクソン族、ジュート族が主で、少々のフリージア族であるといわれています。今日の地名から、移住前の居住地域を推定できますが、100%確実とまではいえないようです。ジュート族はJutesすなわちユトランドJutland半島だろう、という程度です。サクソン族になるとあまりはっきりしませんが我々にはドイツ北部Bremenあたりということで充分でしょう。フリージア族Frisianは初めて聞く方もいるかも知れません。今のベルギーのあたりです。

サクソン族が定住したあたりにの今の地名には、West Saxonが訛ってWessex (Wes-Seaxnaから、と言われています)、同じようにEast SaxonがEssexというように部族の名前を冠したものが残っています。かつてはご丁寧にMiddlesexという地名(county)まで存在しました。ロンドンから少し北のエリアにはアングル族が定住しました。このアングル族とサクソン族が2大勢力であったようです。後のアルフレッド大王Alfred the Great、Wessexの王、のときに、Anglo-Saxon Chronicle、アングロサクソン年代記なる本が造られます。この本には事実と神話がごちゃ混ぜになって書かれていると考えられていますが、そもそも原本の名前は、Chronicum saxonicum、つまりSaxons Chronicleであったということで、Anglo-Saxon Chronicleという題になったのはずっと後のことだそうです。ただ、古英語(OE Old Englishノルマンコンクェスト以前の英語)の本はそう多くは存在しないので、この本はOEの拠り所となっています。

テームズ川の名前はラテン語から入りましたが、ラテン語にするとき、ケルト語Tamesaから、と言われています。ケルト語で黒いを意味する言葉だそうです。海からロンドンに入るには船を漕がなくても、潮流に乗って、簡単に到着できるそうです。ですので、ヴァイキングも簡単に入り込めたようです。ヴァイキングと呼ばれる人々が各地を荒らしまわるようになった9世紀から10世紀頃。イングランドでは、アングロサクソン系とヴァイキング系が住み分けをするようになります。このことをデーン・ローDane Lawと呼びます。古英語OEではDena laguと綴ります。英語のlaw法律は、字面からフランス語のloiに由来するように見えますが、実はそうではなくて、ノルマンコンクェスト以前からlaguという語がOEに見えるようになるそうですので、デーン語に由来するということです。なお、このlawには社会というような意味までありますので、Dane Lawとは単に司法権の線引きというよりは、社会を分断する境界線を、Alfred the Greatとデーン人首長グスルムGuthrumとの間の和議で引いた、ということのようです。このDane Lawの北側では、デーン人(Denmark)、ノルゥエー人(Norwegian)が定住し、地名はこらの母国由来のものが数多く残されているとのことです。たとえば、Derbyという地名は、deor=deer +by=邸宅というスカンディナヴィア由来の言葉でできています。それが後の、競馬で知られるDerby伯爵の支配する地域の名前になります。Birminghamという地名などの-hamは-homeであろうといわれています。つまり-byと同じような言葉ですね。前の、BirmingはBeornmundという人物の名前だろうということですので、あわせてボールムントの邸宅を意味する地名で、これもスカンディナヴィア由来ですね。英語にはskで始まる言葉がいくつかありますが、これもまたすべてDane人が持ち込んだものだと言われています。古代デンマーク語でskyとはskeujam雲を意味したそうです。これがOEに持ち込まれてsceoとなり、skyという綴りで定着したようです。綴字法(ていじほう)そのものが不安定で、人により(書く人により)かなり異なったことは容易に想像できます。

従って、イングランドにはもともと色々な出自の人々が入り込み、独自の言語で生活していたことがわかります。OEと呼ばれるものも色々な訛りがあったことが容易に想像できますよね。そしてそれが現代までつながっているはず、ということも。(おそらくこれは日本にも当てはまるはずだと私は考えます。)ブリテン島北部は陰鬱な天気ですが、ノルウェーから見ると気候は温暖です。移民の動機はどの時代でもあったかも知れませんね。ブリテン島という島国ゆえの安心感も多少寄与したでしょうね。

最後に私のコメントとして、イングランドの地名と発音はメチャクチャだと思います。たとえばSouthamptonという港がありますが、これはサザンプトンと発音します。たまに、日本語のニュースなどでサウサンプトンと字幕で書いてあることがあります。間違いですね。サウサンプトンと書いてサザンプトンとイングランド人は読むのです。グリニッヂだってGreenwitchですよね。Birminghamのh音はイングランドでは落ちますが、アメリカンイングリッシュでは普通はちゃんと発音します。ただ、日本人としてはイングランドの地名と発音がメチャクチャだと指弾することは控えます。日本語はもっと遥かにひどいです。

追記です。OE古英語、ME中期英語などは辞書で頻繁に使われますので、覚えておくと良いでしょう。ASCというのはAnglo-Saxon Chronicleのことです。IEPはインド・ヨーロピアン語祖語を指します。ProtoのPです。

明日は馬の話です。

トム・ジョーンズという歌手がいますが、イングランドでは、彼は典型的なWelsh(ウェールズ人)であるとよく言われるそうです。イングリッシュとは違う、という意味なのでしょう。

ブリティッシュと話をしていると、スコットランド人、ウェールズ人、アイルランド人であることをとりわけ大事にしている、というか過度に強いアイデンティティを今でも持っていて私は面食らうことがあります。FIFAでは、それぞれ独立して代表団を送り込むことができるとのことで、サッカーではずいぶんと優遇されているなあ、とは思います。これはFIFAがまだ発足して間もない頃に、少しでも動員するナショナル・チームの数を多くしようとして生まれた妥協の産物です。このため非イングリッシュであるということは彼らにとってはものすごく大事なことのようです。ですが、遺伝子分析が進歩した結果、今ではDNA上の違いがあるとは言えないくらいに混血が進んでいるそうです。してみると彼らの言うアイデンティティとは、その根源とは何でしょうか。

ヨーロッパ人は、人を遠くから見ただけで、何人であるかを言い当てますよね。外見、持ち物、仕草、挙動、雰囲気などから判断しているようです。かなり正確に言い当てますね。そのWelshいう言葉自体が、アングロサクソン系の侵入者から見ての土着人、すなわち外国人を意味する言葉wealasに由来するのだそうです。ですが、この種の話は、私は参考程度に聞いておけばよろしい、と考えるものです。このDNA分析の結果を知るまで、すなわち数年前までは、かなり込み入っている話なので真剣に聞いて覚えようとしていましたが、混血が進んでいて区別できない、と知ってからは私はほとんど興味を失いました。数年前のスコットランド独立投票の話でもそうですが、かなり複雑な、外国人にとっては、あまり意味のない話が背後にある、ということで私は処理することにしました。

ゲール語の話ですが、日本語でネス湖、というのは、例の湖のことですね。Lake Nessではなく、Loch Nessと綴ります。Loch とは現地の言葉でlakeのことです。これはゲール語といわれています。ゲール語は、それ自体が少し理解が難しいのですが、アイルランド全部、スコットランド西側のケルト民族の言葉と私は理解しております。あまり正確ではないかも知れません。ケルト語は、インド-ヨーロッパ祖語の一つですので、日本人から見ると『英語』には或る程度近いと言って良いのではないでしょうか。私は他にゲール語をまったく知らないのですが、whiskyの語源はおそらくゲール語だろう、と言われています。Uisge-beathaウシュクベーハー⇒Usquebaughウスケボー⇒Usquaウスカ⇒Uskyウスキ⇒whiskyウィスキーという説があるそうです。

ゲール語を話す人々はケルト人ですが、NBA(バスケットボール)には、ボストン・セルティックスというチームがあります。Celticsすなわちケルト人というのがチーム名です。もちろんチーム名に過ぎませんので、プレーヤーの大半はケルト系ではありません。単にボストンにはアイリッシュ系移民が多い、あるいは多かったことを示すに過ぎません。スコットランドの西にスコットランド・ゲール語と呼ばれた地域が言語学的にかつて存在したようです。アイルランドのゲール語とはあまりうまく意思の疎通ができなかったようです。

ケルト人は、ローマ人退却の後入ってきたアングロ・サクソンと呼ばれる3,4の部族に追われるかのように西に移動したと考えられています。それが今のウェールズ、スコットランド、アイルランドになります。

ゲール語は今のイングランドに地名としていくつか残っていると言われています。Stratford-upon-Avonがよく引き合いに出されます。street/ford浅瀬/avon=riverの組合せだと言われていますが、そうではないという説もあるのだとか。

ちなみに、ゴシック建築のゴシックはゴート族風の、を意味する言葉だそうです。ちょっと驚きですよね。でもこの真意は、当時エレガントな文明だと考えられていたイタリア人がさげすんで使った、ゴート族風の、未開文明的であまりパッとしないもの、という意味でgothicゴート族風の、という言葉を使ったのだとか。活字のゴシックは、アメリカ訛りの用語法で、本来はサンセリフという、フランス語をベースにした字体から作られた、飾りの少ない字体のことを言います。

本当に言葉は時々ややこしく感じるほど込み入ったものですね。明日は、今度は視点を変えてアングロ・サクソンの話です。

今日は休暇というものを通して見えてくるものについて、です。

フランスでは、私の知る限り、年に一度3週間連続の休暇を取るという義務があります。その他に2週間程度の有給休暇がありますが、こちらは連続して取るという条件はありません。たいていは8月に3週間連続の方を取りますので、8月に、会社は閉鎖されてはいないが、ほぼ開店休業状態になります。国中がそうなります。本来のパリジャンは8月にはパリにいません。代わりに観光客がその穴を埋めます。

これと対極にあるのが、ドイツです。たぶん有給休暇が5,6週間ありますが、一斉に取ることはありません。いつも誰かがダラダラと休暇中という具合です。8月も正常に機能します。休暇の取り方にある、フランス型とドイツ型。フランスでもドイツ型を検討したことがあるそうですが、休暇中の他の人のバックアップを取ることがまるで下手なフランス人。とても無理となったようです。

日本はどちらでしょうか?強いていうと、日本はフランス型ですかね。全社一斉に休暇に入る、というタイプという意味で。普通8月の中旬にそうなりますね。ドイツ人に、フランスみたいに8月にバカンスとはならないか念のため聞いてみたことがあります。ドイツ人の答えは、もともとドイツは人口が多すぎるのだそうです。そのためいろいろな地域に大都市圏をつくって分散させてはいるけれど、全員で一斉に休暇を取れば、休暇先で大混雑になる、との答えでした。日本のことを知らないな、と思って黙って聞いてました。でもドイツ以外のヨーロッパ人も同じようなことをいいますので、共通の認識のようです。

ちなみに、ドイツ人が休暇に入るときは大方は予告なく休暇に入ります。その休暇中には電子メールはバックアップ係りの人に転送されて、こんなメールが届きます。『〇〇は休暇中です。お急ぎの件でしたら私が対応します。そうでなければ休暇から戻るまでお待ちください』というメッセージが届きます。これだと普通は、仕方なく待ちます。その呼吸がわからなかったとき、急ぐのでナントカカントカと連絡しました。最低限の引継ぎはなされているようでしたが、結局まったくダメでした。当たり前ですよね。それでも国全体としては日本よりドイツの方が稼ぐ付加価値は高いのです。(つまり1人あたりGDPはドイツの方がはるかに高い。)こうなるとフランス人がいうバックアップってよほど要求レベルの高い話だったのでしょうか。そんなことはなさそうに見えます。こうやって色々考えてくると、日本人は異常に要求レベルが高いのだろうという結論になりますね。要求レベルが高すぎてお互いに休暇をとれない。すこし緊張感が強すぎるから、と私は思っています。もっと、手を抜いて生きるべきなのに。

私は日本人の全社一斉に、というスタイルに関心があります。なぜこのようなことになるのでしょうか。新幹線、高速道路など移動手段は8月中旬にはものすごく混みます。移動先で、のんびりとはならずに、大抵は親戚で集まって墓参りとかの、共同体の再確認イベントがあるため、『ウチは10月に休暇取ろう』というようなことは初めから排除しています。日本人はかならずなんらかの共同体に属していないと落ち着かない民族なのですね。

明日はゲール語について、です。

オランダは江戸時代なぜ日本と貿易を続けたのでしょうか。

マカオにはセント・ポール寺院の壁が残っていますが、この石は、ポルトガルからマカオに来るときに詰んできたもの。重心よりも低い位置に重量貨物を置いて重心を下げることで船に、傾いた時の復元力を持たせるためです。バラストと呼ばれます。ということは、マカオからポルトガルには積むものがあっても、逆はあまりなかっただろうということにでしょう。オランダ船の荷物の多い少ないについては私はわかりませんが、江戸時代初期に、日本は結構豊かな銅の産出国でした。足尾、別子などです。この銅を一時期オランダは必要とした、と言われています。当時、大砲をつくるためには、青銅、砲金という合金が必要で、銅はかなり偏在したためです。ただし、鋼製ではない大砲だと、破裂のリスクがありました。その後、鋼のベルトで大砲をくるんで、多少は破裂しにくくし、さらには、産業革命時期には、イギリスで鋼の大量生産ができるようになり、大砲のための銅の需要は減りました。オランダにとっては、イギリスに日本貿易を独占させたくない、という思いもあったはず。

アメリカは海難などの際、捕鯨船の保護のため日本に開国を求める、という意向を事前にヨーロッパ各国に通知しました。これを受けてオランダは徳川幕府への年次報告書の中で近々アメリカの艦船が開国を求めて来訪するだろうと予告していました。このため浦賀沖にペリー艦隊が登場したときには、まったく慌てずに対応したそうです。従来、ペリー提督の書いた文書だけを史実としていたために、江戸中が大騒ぎになったかのように理解されていましたが、日本側の外交官、林復斎(ふくさい)の記録などを元に見直しがなされるようになり、アメリカの一方的な主張は退けられるようになったそうです。林復斎はアメリカ側の国際法違反などを指摘したそうです。なお、ペリー艦隊の接待に、日本橋の高級料亭が指名され、冷蔵庫のない時代に日米合計500人分の接待料理が振舞われたそうです。予算は今の価格で1人あたり20万円位だったそうです。気になるのは通訳のレベルです。ジョン万次郎は通訳としてこのときに活躍したらしいですが、漁民の子息に日本語であれ、英語であれ、外交用語が語彙に入っていたのでしょうか。気になりますね。

最近、日本の各地で江戸時代末期の反射炉のレプリカをみかけるようになりましたが、果たして本当に鋼を製造できたのでしょうかねえ。元になったのは、オランダ語で書かれた、反射炉などによる製鋼法を書いた本だったそうです。本を参考にしただけで鋼ができたのか私は疑問に思いますが、どうなのでしょうかねえ。オランダはライン川のデルタ地帯で成立している国ですので、鉱物資源はまったくないようです。隣のベルギーはかつて優秀な鉄の生産地でしたし、対岸のスウェーデンも優秀な鋼の輸出国でした。かならずしも自国産出にこだわる必要はないはずです。鉄と鋼の違いは炭素量で、炭素量により溶融温度に違いが出て来ます。鋼の方が炭素量が少なく、溶融温度は高くなります。


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